第4話 剣術学園-3

「なぁ、ちょっと!」


 朝のホームルームが終わり、三々五々散っていくクラスメートたち。俺はその一人の背中を追いかけて、廊下の途中で捕まえた。


「マリア、さん、だったよね。あのー、さっきはありがと。庇ってくれて」


 マリアはくるりと振り返った。フランス人形のような美貌を、初めて正面から目の当たりにした。顔立ちこそ大人びた、思わずどきりとするほどの美形だが、改めて、小さい。身長は130センチあるかどうかというところだ。


「……別に、庇ったわけじゃないわ」


「そうなの? てか、君もウォーカー本気で目指してるんだって? 俺もなんだ。一緒に頑張ろうね」


 やはり、ちょっと小っ恥ずかしい台詞も英語だとうまく伝えられる気がする。マリアは俺の言葉に、綺麗な顔を険しくした。


「目指すのは勝手だけど、馴れ合うつもりはないわよ」


 予想外に冷たい対応にショックを受けていると、マリアは容赦なく追撃してきた。


「胸ぐら掴まれたぐらいでやりすぎじゃない? 随分楽しそうに暴力を振るうのね。あんたって、外にいるモンスターと一緒だわ」


 グサッ、と不可視の矢が俺のガラスのハートを貫いた。硬直する俺をよそにマリアはさっさと背を向け、去って行ってしまった。


 追いかけてきたハルが、呆然と佇む俺を心配そうに気遣ってくれた。


「……あの、シオン。さっきは、その、ありがとね。情けないところ見せちゃったなぁ」


 無理して笑うハルを、俺はため息混じりに小突いた。


「別にいいよ。俺こそ出しゃばってごめんな。もし報復されたら、すぐ言えよ。半殺しにしてやるからさ」


「気持ちは嬉しいけど……そんなひどいこと、冗談だって言うもんじゃないよ。僕なら大丈夫だから。ね!」


 冗談ではなかったのだが、ハルに真剣な顔で言われて俺はますます陰鬱な気持ちになった。俺ってやっぱり、どこかオカシイのだ。


 それにしても、この男は人が好すぎる。並んで歩きながら、こいつを守ってやらねばならない、という妙な使命感を強める俺だった。



***



 何はともあれ、いよいよ修剣学校での最初の授業が始まった。


 剣の学び舎。その名に相応しい、厳粛で実践的な剣術を学べると思っていた俺は--早くも、机に突っ伏す寸前だった。


「えー、これは、食べられる野草。これも、食べられる野草。で、これが、食べたら激痛に七日七晩なのかしちばんのたうち回ってショック死する毒草」


 見事に頭の禿げ上がった、白衣姿の初老教官による、全く見分けのつかない三種類の草の解説を、あくびを噛み殺しながら聴いている。


「この毒草は《ジゴクラク》といって、どこにでも生えておる。毒には数日の潜伏期間があるから誤って食べても気づきにくい。口に入れてしまった場合、ただちに解毒草を摂取せねばならん。で、これがその解毒草。そう、見た目は一緒じゃ」


「……まさか、こんな世界に来てまで勉強しなきゃなんないなんてなぁ。英語だけでいっぱいいっぱいだっての」


「ウォーカー目指すなら、植物学は頑張っておいた方がいいよ」


「その辺に生えてる草なんて、頼まれたって食べねえよ……」


 隣のハルと小声で会話する。一時間目は、植物学の授業。薬草、毒草の見分け方から始まり、アカネに原生する、知られている限りの植物について学ぶ学問だそうだ。


 壁の外に出るなら知っていて損はない知識なのは分かるが、てっきり日がな一日剣の鍛錬をするものとばかり思っていた俺は、どうにもやる気が出ないでいた。


「む、ナツメ候補生。今あくびをしたな。5ポイント減点」


「あ」


 隣でハルが、言わんこっちゃないとため息をつく。


 ハゲの教官が、授業の最初に提出した俺の学生証を取り出し、裏面に羽ペンで何やら書き込んだ。


 この学校は、必修単位を全て取った上で、各教科担当の教官から合計10,000ポイントを稼ぐと卒業試験に挑戦できる仕組みである。ちなみに俺の現在のポイントは今ので-10だ。


「そんな調子じゃ、一生卒業できないよ」


「うるせぇなぁ。ハルは、今何ポイントなんだよ」


「えーっと、確か2307ポイントだったかな」


「もうそんなに!? すげーなハル、そのペースだとあとどれくらいで卒業なんだよ」


「んー、6ヶ月と20日くらいかな」


「計算早えよ」


「あはは……これ全部座学や研究で稼いだポイントだから。剣がからっきしの僕は、実際そんなに早く卒業できないさ。出席さえすれば10点はもらえるんだから、とりあえず減点だけは避けないとだよ、シオン」


「ナツメ候補生、私語は慎みなさい! 減点20!」


 会話、強制終了。俺とハルは口を噤んでペンを持ち直し、黙々とノートに向かった。


 ……いや、なんで俺だけなんだよハゲ。


***


 大学や、自動車学校の仕組みと似ている。


 この修剣学校の話だ。


 授業は1日60分×5コマ。三限と四限の間に一時間の昼休憩が挟まれる。そして、授業の科目は大きく、"必修"、"選択必修"、"選択"の3つに分けられる。


 必修は、全員が履修を義務付けられている科目だ。今日の一時間目、《植物学》は必修科目だが、出席している机はまばらだった。


 "内容が日毎ひごとに飛ぶ"からである。


 この学校は、義務教育ではなく、言わば特殊な資格を取るための場所。地球の文化で考えると、自動車学校が一番身近だろう。


 新客のメンタルが回復する時間に個人差があることもあり、この学校では入学のタイミングが定められていない。だから体系的な授業計画が意味をなさないのだ。


 そのため、1時間ごとに完結する単発の授業を全ての教官がそれぞれ10時間分用意し、①から⑩までの番号で管理している。


 俺たち生徒は、1ヶ月単位で伝達黒板にて発表される時間割計画を参照し、まだ自分の受けていない番号の授業に出席すればよい仕組みだ。スタンプラリーのような形式で10時間分の全ての授業に出席すれば、テストやレポートの提出などの最終課題に合格したのち、単位と、100程度のポイントをもらえる。


 この仕組みのため、必然的に移動教室が多い。同じクラスの連中でも、実際に受けている授業は毎日バラバラというわけだ。


 俺は今日入学したばかり。何に出席してもいいので、ハルが誘ってくれたこともあり、当分はハルの受ける授業にくっついていくことにした。


「つっかれたー……」


 午前の授業が終わり、待ちわびた昼休み。学園の食堂は大勢の候補生や教官でごった返していた。


「お疲れ様。この時間はやっぱり多いね。三限は空きにして、早めのお昼にしてもよかったかも」


 この学園の生徒数は、入学、卒業、自主退学によって日々増減こそするものの、千人以上と言われている。教官と講師もあわせて百名近く在籍しているから、混雑時の食堂は相当の人数でごった返し、かなりむさ苦しかった。


「ハル、お前それだけしか食わないの?」


 向かい合って腰掛けたハルのトレーには、小さな茶碗に盛られた白米と、緑野菜のサラダだけ。この食堂は量り売りのバイキング形式で、必要な分だけ自分で配膳する仕組みだ。ただでさえ破格の料金設定なので、ハルの量だと銅貨一枚でもお釣りがくるに違いない。


「う、うん。ちょっと節約してて」


「そうなのか? 仕方ねえな、俺の分けてやるよ」


 俺だって随分節約して、たったの二人前くらいしか米も惣菜も盛っていないのだが。さすがに目の前の友人が忍びなく思われたので、俺は照りのあるハンバーグや魚のフライを箸でつかみ、ハルのサラダの横に添えてやった。


「あ……」


「遠慮すんなよ。そんだけじゃ力が出ないだろ」


「い、いいよ! 気持ちは嬉しいけど、これはシオンが食べなよ。実は肉や魚が苦手なんだ」


「なんだ、菜食主義者ベジタリアンってやつ? そりゃ悪いことした、ごめん」


 ハルの皿からハンバーグとフライを救出し、そのまま頬張る。肉も魚も俺の知る世界のものではないが、味や風味が多少違っても、これはこれで美味い。


「……シオンこそ、よくそんなに食べられるね。美味しいの、それ……? モンスターの肉だよ」


「ん、美味いよ。ものによって血の味が濃かったり、臭みが強かったりするけど、それはそれでクセになるもんだぜ。ガキの頃から、クマや野ウサギ、ネズミにトカゲ、ゴキブリなんかも食わされてたから、耐性があるのかもしれん」


 ハルは俺の話にますます食欲を無くしたようで、顔を青くしてしまった。


「それはそうと、ハル……お前の履修、座学ばっかりじゃないか」


 俺は食事をかきこみながら、恨みがましく目を細めた。


 二限は《生物学》だった。主にモンスターの生態について学ぶのだが、教官が開口一番、「モンスターは個体一つ一つが規則性も何もないデタラメな発達をしていて、その上絶え間ない進化を繰り返しているから、学問としてぶっちゃけお手上げ」みたいなことを言い放ち、席に座っている意味を早々に見失った。


 三限は《歴史学》。俺にとってはこれが一番面白かった。渋い髭面の教官から語られるアカネの数千年分の歴史は、そのどれもが刺激的で、まさに小説よりも奇なり。授業態度を評価され、10ポイントのボーナスをもらったほどにのめり込んだ。


 ここまでの3時間、全て講義形式の座学だ。まさかハルは実践的な訓練を履修していないのではないか。疑うような俺の目に、ハルが慌てて両手を振る。


「そ、そんなことないって。午後の授業は《剣術基礎》だから」


「ほう!」


 露骨に目を輝かせた俺に、ハルがちょっと引いた顔になる。


「それを早く言ってくれたまえよ、ハル君」


「君はホントに変な人だな……剣なんて、おっかないじゃないか」


 苦笑しながら、マグカップのコーヒーに口をつけたハルが、次の瞬間、ガタン、という音とともにバランスを崩した。大きく揺れたカップからコーヒーがこぼれ、ハルのシャツを茶色く染める。


「あぁ、ごめんごめん」


 薄っぺらい謝罪を口にしたのは、食器の乗ったトレーを片手に、ハルの背後を通りがかった少年だ。ポマードでなでつけた髪が、燃え立つように赤い。


 ナチュラル。見覚えのある顔だった。今朝、俺が間違えて入った、フレイムの教室にいたはずだ。同じ赤毛の少年を二人、友人と言うよりは手下のように連れていた。


「服が汚れてしまったね。支給品の安物とはいえ、君の懐事情ふところじじょうでは痛恨事つうこんじだろう。弁償しようか?」


 侮蔑的な笑みを口元に貼り付けて言う少年に、取り巻きが粘着質な笑い声を漏らす。ハルは後ろを振り返ることもなく、ただ揺れる瞳で、テーブルを見つめていた。


「……結構です」


「あっそう」


 つまらなそうに笑みを消し、少年は深紅の外套を翻した。まったく、よく絡まれる男だ。なぜだか無性に腹が立って、立ち去ろうとする三人組に、思わず声を荒げた。


「待てよ」


「……なにかな?」


 振り返った少年に向かって剣呑な眼差しを向け、立ち上がる。ハルが小さく、強い口調で俺を諭したが、「大丈夫だ、もう手は出さないから」と言って振り切り、少年の元に大股で近づいていった。


「ハルの椅子いす、わざと蹴ったろ」


「そんなまさか。なにを証拠に」


「なんだ、じゃあ足元の危険も察知できないんだな。壁外に出て転ばないか心配だ」


 鼻で笑った俺に、少年の灰色がかった瞳がギラリと光った。


「いい度胸だ……"アンナチュラル"風情が」


「アンナチュラル?」


「お前らみたいな"外人"のことだよ。税金で生活する気分はどうだ?」


 騒ぎに気づいた周囲の人間がざわつき出し、誰かが教官を呼びに行ったらしい。


「まずいよ、ユーシス君。喧嘩は大減点だ」


 取り巻きの一人がそう言うと、少年、ユーシスは舌打ちして俺から背を向けた。


「お前、名前は?」


 去り際、一度だけこちらを振り返り、ユーシスはそう問うてきた。


「シオン・ナツメ」


「間抜けな名前だな。覚えていろ、ナツメ。俺を侮辱したこと後悔させてやる」


 顔を背ける前の一瞬、尋常ならざる憎悪の表情で俺を凝視したユーシスは、芝居がかった仕草で外套をなびかせ、取り巻きとともに遠ざかっていった。

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