第4話 剣術学園-2

 教室に入った瞬間、その多国籍ぶりに驚かされた。


 肌も髪も瞳も、さまざまな色の少年少女が、おもいおもいの場所で固まって談笑している。教室の内装は俺の知る学校と雰囲気が近く、木の机が等間隔に並べられた、こじんまりとした空間。それもあって、まるでインターナショナルスクールに迷い込んだような感覚に陥った。


 だが、俺は、どういうわけか安心感を抱いた。さらに言えば、懐かしさに近い感慨さえ覚えた。


 ここにいる、俺と近い年齢の十五人ほどの子どもたちは、全て地球人だ。国籍や人種が違っても、俺はよっぽど、彼らの姿に親近感を覚えたのだった。


「シオンの席はここだよ。僕の隣」


 最後列窓際の席を示して微笑んだハルは、端的に言っていいやつだった。始業のベルと担任教官を待つ間、席について色んな話をしてくれた。


 ハルは、俺と同い年の14歳。イギリス人だそうだ。アカネに来たのは去年。この学校には、つい二ヶ月前に入ったばかりだという。


「シオンはいつアカネに? 英語上手だね」


「そうか? 語学の堪能な知り合いにみっちりしごいてもらって、なんとか日常会話ぐらいはって感じだよ。アカネに来たのは……もう二週間くらい前になるのか。同い年だけど、ハルは一個先輩だな」


 何の気なしに言った言葉に、ハルは仰け反って驚いた。


「今年の新客だったの!? 全っ然見えなかった! それでもうココに入学って……うわぁ、君って行動力の塊だ……」


「お、大げさなやつだな……モンスターに食われそうになったとこを、助けてくれた人がいるんだよ。その人に憧れて、ウォーカーを目指すことにしたんだ。これだけ早く立ち直れたのもその人のおかげで」


 青い瞳を輝かせて尊敬の眼差しを送ってくるハルに苦笑しながら、命の恩人の可憐な笑顔を、つい思い浮かべた。


 カンナとは、あの日以降結局一度も会えていない。


 彼女が忙しいというのもあるし、俺はそもそも、カンナの家も、行動圏も、何も教えてもらっていない。携帯電話のないアカネでは、会いたい人と思いつきで会うのもかなり難しいのだ。


 次に会えるのは、いつになるのだろうか。


「すごいなぁ……僕なんて、ずっとニュービータウンに引きこもりっぱなしで、一ヶ月はご飯も喉を通らなかったよ。食べ物も、文化も、全てが慣れ親しんだものと違って、受け入れられなくて……死ななかったのは、ただ、死ぬ勇気がなかったってだけで」


 ハルは自嘲気味に笑った。


「この学校も、何かが変わればいいなって、とりあえず入った感じだし。ウォーカーになろうなんて、考えたこともなかったよ。だからシオンはすごいと思う」


「いや、俺は……育った環境がちょっと特殊だから、色々ズレてるのかもなぁ」


 なつめ家の流派は殺人剣。伝わる剣技の数々は、全て、いかに効率よく人を殺すかを突き詰めたものだ。もっとも、実際に棗の剣を血で汚す予定など全くなく、ただ脈々と受け継がれてきた技を途絶えさせないためだけに、俺はその殺人剣を父から叩き込まれたのだった。


 実際その教育は生半可なものではなく、血反吐を吐くような思いで泣きながら剣を振るっていた、苦い幼少期の記憶がある。


 幸か不幸か、俺に崇高な武士道精神などなかったために、知恵がついてくる年頃になってからはいかにキツい稽古を楽にこなすかにばかり頭を回すようになった。おかげでこの歳まで五体満足でいられている。


 そんな俺ですら、普通の中学二年生と比べたとき、取り返しのつかないズレが生じているのは実感がある。


 一つ例を挙げるなら--なんだかんだ言って、俺は命のやり取りが、嫌いではないということだ。


「僕、シオンのこと応援するよ! 本気でウォーカー目指してるの、ウチのクラスじゃマリアぐらいだったから、仲間ができてきっと喜ぶよ」


「マリア?」


「最前列のど真ん中、ほら、教卓の目の前に座ってる小さな女の子」


 言われてその方向を見れば、確かにその席には、非常に小さなシルエットがちょこんと腰かけていた。緩いウェーブのかかった栗色の髪の毛を揺らす、青い瞳の少女だった。この角度からはノートに目を落とす横顔が微かに見える程度だが、美少女らしき雰囲気は十分感じ取れる。だが、あれはどう見ても……


「小学生?」


「バカっ! それ、絶対本人に言うなよ!? 殺されても知らないからな……あの子も僕らと同じ14歳だよ」


 俄かには信じがたいことだったが、ハルの剣幕があまりに凄まじいので俺はこくこく頷くしかなかった。よく見れば、このクラスに女の子は彼女一人だけだ。


 妹に剣で負かされ続けてきた俺に言わせれば、戦いの世界に男だ女だを持ち込むのはナンセンスだが、冒険者ウォーカーを養成する学校だけあり、男女比は著しく偏っているらしい。


「そんなに強いのか? あの子」


「強いなんてもんじゃない。マリア・シンクレアといえばこの学校の首席だよ。大人のクラスもフレイムも入れて、一番なんだ。十年に一人の逸材だってもっぱらの噂だよ」


 本気でウォーカーを目指している、このクラスで唯一の同士。ハルの話を聞けば聞くほど、彼女への興味が膨らんでいた。


「後で話しかけてみるかな」


「うーん、マリアが誰かと話してるの、見たことないかも。僕も会話したことはないんだ。でもシオンなら、もしかしたら仲良くなれるかもね。くれぐれも体格に触れちゃダメだよ」


「分かってるよ」


 気がつけば俺とハルは、随分打ち解けていた。ここまで誰かと会話が続いた経験など皆無だった。慣れない英語を使うことで、逆に言葉がスムーズに出てくるのかもしれないし、ハルは大変喋りやすい相手だった。


 そんなハルに、ふと、教室で固まって騒いでいた四人組の少年たちが近づいてきて、一人がハルの肩を馴れ馴れしく抱いた。俺はハルを奪われたみたいで、途端に面白くない気分になった。思えば、二ヶ月も先に入学しているハルに、他に友達のいないはずがない。


 ハルとはたまたま仲良くなったが、ハルの友達とも同様に仲良くできる保証はない。俺は体を正面に戻して、不干渉の姿勢を示した。


「ハールちゃん、おはよ」


「いつものやつ、早く早く」


 ニコニコ笑顔の少年たちに囲まれ、実に仲むつまじいことである。ところがどういうわけか、ハルの笑顔がぎこちない。


「……い、いつものやつって?」


 気のせいだろうか。ごくごく僅かに、少年たちの笑みが剥げかけた。


「おいおい! 天才ハルちゃんが物忘れなんて珍しーこともあるんだな!」


「今日は徴収ちょうしゅうの日だろ? まさか持ってきてないなんてことは……」


 ハルの右手が反射的にズボンのポケットに伸びたのを、俺は見逃さなかった。


「あ、あぁ、そうだったね!」


「まったく、ハルちゃん頼むぜ!」


 笑う五人。一見、仲良し同士の他愛ないやりとりだ。だが鈍い俺でも、ハルの様子がおかしいことだけはよく分かった。ハルが笑いながら、震えていたからだ。


 ハルは一瞬だけ俺の方を見た。それで目が合って、ハルは慌ててそらした。ハルはヘラヘラ笑いながら、少年たちに蚊の鳴くような声でこう言った。


「ま、また後きてくれないかな。今はちょっと……」


「--なんだお前。新入りの前だからかっこつけてんの?」


 鋭利な刃物のように。笑顔を完全に消したリーダー格の少年が、低い声でそれだけ吐き捨てた。ハルのなけなしの勇気は、それで呆気なく吹き消された。


「だっせ。クラスの誰にも頭上がらないからって、新入りに先輩ヅラとか寒いわー」


「新入りクンもさ、友達選んだ方がいいぜ? そいつマジでヘタレだから。君までナメられるよー」


 ぐっと唇を噛んでうつむくハルは、これだけ侮辱されても何も言わない。リーダー格の少年が、ハルの震える肩に手を置いて耳元で囁いた。


「さっさと出せ。それとも、また痛い目みたいのかよ」


 まぎれもない殺気を込めた脅迫に、ハルが目に見えて怯む。握りしめていたポケットの中から巾着袋を取り出し、机の上に広げた。金属のぶつかる軽い音が響く。そこにはいくらかの小銭が入っていた。銀と銅の、それぞれ10円玉サイズの硬貨だ。


 ここまで見て、さすがに俺も、ハルがクラスメートに白昼堂々カツアゲされている事実を察した。


 俺たち新客は毎月、国から銀貨30枚を支給される。この、日本円に換算して約3万円という金額で、俺たちは一ヶ月を乗り切らなければならない。


 住居も衣類も別で支給されているため、食費を節制して生活すれば決して無理のある額ではないが、当然贅沢とは無縁。安い肉さえ滅多に食えない、まさに最低限度の生活というやつだ。


「おい、何やってんだ? それ大事な生活費だろ」


 見兼ねて口を出した俺に、教室の空気が凍りついた。気づけばクラス中の人間が俺たちの方に注目している。


「えーっと、新入りクン。いーんだよこいつは好きでやってるんだから」


「お前じゃなくて、ハルに聞いてる」


 割って入ってきた少年には目も向けず、ただハルを見つめる。少年たちは俺に対して笑みを消し、どうやら精一杯らしい威圧的な表情を作った。ハルはうつむいたまま、何も言わない。


「なんだ新入り、お前、俺たちに逆らう気? 分かってねえようだから、親切に教えてやるよ」


 俺の机が激しい音を立てたことで、一気に教室が騒がしくなった。リーダー格の少年がいきなり俺の胸ぐらを掴んで引き上げたのだ。細身とは言え人間一人を片手で引き上げるなんて、なかなかの腕力をしている。


「アカネ四年目の先輩が教えてやる。この世界にゃ地球での常識なんて通じねえ。強い奴が、弱い奴から奪うんだ。文句があるなら強くなるしかねえんだよ。分かったら、二度と調子に乗んな」


 顔を近づけて凄む少年の言葉は、俺にとってむしろ、願ってもないことだった。


「いいねぇそれ」


 次の瞬間、俺の胸ぐらを掴んでいた少年は、俺に蹴飛ばされてサッカーボールのようにすっ飛んでいった。教室の壁に激突して止まった少年は、泡を噴いて動かなくなった。


 文字通り、教室が震撼しんかんした。俺は胸元を手ではたきながらハルに言った。


「ハル、嫌なときは嫌って言え。じゃなきゃ損してばっかりだ。それでもダメなら」


 一瞬呆けた手近の二人が、奇声を上げて殴りかかってくる。それらをくぐり抜け、二人の頭を右手と左手でそれぞれ無遠慮に掴むと、そのまま胸の前でぶつけ合わせた。ゴチンといい音がして、二人がその場に崩れ落ちる。


「ひぃぃっ!」


 あろうことか背を向けて逃げようとした残り一人の背中を容赦なく追いかけて、飛び蹴り。蹴った俺の方が驚くほど景気よく吹き飛んだ少年が、白目を剥いて気絶しているリーダーの上に覆いかぶさる。


「戦え。こんな風に。俺はそうやって生きてきた」


 ハルは信じられないものを見るような目で、俺と、倒れたいじめグループを見つめていた。


 その時、古ぼけた鐘の音が鳴った。始業のチャイムだろうか。ほとんど同時に教室の扉が開き、ひとりの男がのそりと入ってきた。


 ぼさぼさの総髪と、2メートルを超える巨体、そして、肩に担いだ、その身の丈に迫ろうかという巨大なロングソード。それらのどれよりも、彼の顔から目が離せなかった。


 まだ若い、雄々しく精悍な顔に、一対の、惨たらしい巨大な爪痕そうこんが、両目をそれぞれ縦断して刻み込まれているのだ。その傷が封をしているみたいに、男のまぶたは完全に閉じきって、ピクリとも動かない。


 目が、見えないのか。それにしては、男はスイスイと、迷うことなく教卓にたどり着いた。


「よし、出欠とるぞー。……ん? どうした、なんの騒ぎだ? 知っているやつ、説明ー」


 クラスの連中が一斉に俺を見る。俺が説明しなければならない空気である。観念して口を開こうとしたとき、別の人物に先を越された。


 最前列に座る小さな少女の、生っちろい細い手が挙がったのだ。


「お、マリア、言ってみろ」


「騒ぎも何も、男子たちがふざけて取っ組みあって、転んだだけですよ。それより早く朝会しましょう」


 ごくごく冷静なマリアの声音は、真実を語っているようにしか聞こえなかった。両目に傷のある男はそれで果たして納得したのか、含み笑いで頷くと、「よーし席つけー」と言ってそれ以上は詮索してこなかった。


「お、そういや今日は新入りが来るんだったな。お前か」


 教室の後方に転がっている少年たちを平手打ちで雑に起こしていた教官が、俺の方に顔を向けて無邪気に笑った。塞がっているはずの目に射抜かれて、反射的に背筋が伸びる。


「俺はロイド。お前らの担任の先生ってやつだ。これからよろしくな」

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