第3話 ステーキと美女-2

 どうにか言い切った。どきどき心臓が跳ねる。カンナは大きく目を見開いて、びっくりしたようにしばらく固まってから――ぱあっと笑顔を弾けさせた。


「ほんと!? それ、最高だよ! 笑うわけない!」


 あまりに予想外の反応で、今度は俺が固まる番だった。身を乗り出すカンナの喜びようは今にも俺に抱きつかんばかりで、初めて俺に見せた、素の表情のようにも思えた。


「シオン君は絶対、向いてるって思ったもん! 嬉しいなぁ、後輩ができるなんて!」


 そう。カンナは、俺の命の恩人は、ギルド《白薔薇》直属の冒険者ウォーカー。酒場で歓迎されていた男たちと同じ、危険を顧みず人々のために怪物と戦う、この国の戦士だ。


 なすすべなく殺されるところだった俺を助けてくれたカンナの強さと、美しさに、俺は骨の髄まで惚れてしまった。


 そして、俺もカンナのようになりたいと、思ってしまった。


「……今日、あのバケモノの首を刎ねたとき。俺を殺そうとしてきた相手を、逆に殺してやった……怖いくらいに、それが気持ちよくて」


「うん」


「アブナイ奴だって思うよ。けど、そんな奴じゃなきゃ、たぶんやっていけない仕事だと思うんだ。物心つく前から剣術修行を強制されて、正直、何が楽しくて生きてるのか分からなかったけど……今までの俺の人生が、無駄じゃなくなる道があるなら、挑んでみたい」


 俺は弱い。十年を超える剣術修行は、今日、クソの役にも立たなかった。目の前で新客の男性が食われていくのを、何もできず眺めていることしかできなかったのだ。


 強くなりたい。カンナのように。俺の剣が、いつか、もし、俺を迎えてくれた温かい人たちの役に少しでも立つなら。


「ウォーカーに、なりたい」


 カンナは二度、大きく頷いた。


「私もね。私を助けてくれた白薔薇のウォーカーに憧れて、彼みたいになりたいって思って、ウォーカーになったんだ。みんなにはもんのっすごい反対されたけどね!」


 おどけるカンナに俺もつられて笑った。それはそうだろうな。九歳の女の子がそんな世迷言を言い出したら、誰だって止める。


「そんなカンナも、今では白薔薇でもかなり腕の立つウォーカーなんだって? ぜひ、弟子入りさせてくれよ」


「えぇー、師匠なんてガラじゃないよ。それに、ウォーカーになりたいならちゃんとした学校に入った方がいいよ」


「……学校?」


 俺にとって馴染みのある、この世界にはあまり似つかわしくないその名前に反応した俺に、カンナが頷く。


王立冒険者ウォーカー養成学園。その名の通り、ウォーカーを育てる学校だよ。新客なら学費もいらないし、退役した凄腕ウォーカーが何人も教鞭をとってるから、早く強くなりたいならうってつけだよ」


「へぇ……カンナもそこを出たのか?」


「ううん、私はその……年齢も国籍もバラバラの、知らない人ばかりの学校ってちょっと怖くて。英語もまだ全然できなかったし。ごめんね、勧めておいてなんなんだけど」


 そりゃそうだ、九歳の女の子だった。だが、そうなるとカンナは独学であれほど強くなったというのだろうか。


「私は、助けてくれたウォーカーさんに剣を習ったの。その人、今じゃ白薔薇のエースなんだよ」


「ふーん……」


 何やらさっきから、ちょくちょく出てくるカンナの命の恩人。そいつの話をするとき、カンナは露骨に可愛い顔になる。なんとなく面白くない。


「それなら、やっぱりカンナが教えてくれた方がいいじゃないか」


「もちろん私が教えられることなら教えるけど……これでも最近ちょっと忙しいんだ。ありがたいことだけど。私、本当は学校行きたかったの。だから、よかったらシオン君に、学校の話聞かせてもらいたいなー、なんて」


 本当はつきっきりでカンナに手ほどきしてもらいたかったが、そうもいかないようだ。まぁ、カンナと会う口実が増えるのなら、行ってみるのもやぶさかではない。


「分かった。土産話をたくさん仕入れてくるよ。まずは英語を勉強しないとな……」


「シオン君ぐらい基礎ができてたら、ここで生活してるだけでそのうち嫌でも覚えるよ。マーズさん、受付嬢だけど昼間は割と暇してるから、分からないことあったら彼女に習うといいかも」


「あの人、現地人ナチュラルなのに日本語も堪能だもんな……」


「噂だと十ヶ国語はマスターしてるって」


「なにもんだよ……」


 時間を忘れて談笑し、気づけば午後九時を回っていた。この世界の時計は意外にも近代的で、尺度も地球と同じなので分かりやすい。夜が訪れる瞬間を午後六時に設定しているようだった。太陽がないことを考えると、世界の端と端で時差もなさそうである。


 遅くなってもいけないからと、どちらからともなく、俺は相当の名残惜しさを感じながらお開きにした。会計は全てカンナが負担してくれた。お代は銀貨八枚だったが、どうにも相場が分からない。


「銅貨百枚で銀貨一枚。銀貨百枚で金貨一枚だよ、簡単でしょ」


「銅貨一枚って、日本円でいくらぐらいだ?」


「この国の物価だと、だいたい十円ちょっとかな」


 ということは、今日のカンナの支払いは八千円以上。俺にとっては途方もない額だ。


「こう見えても私、お金持ってますから」


 店を出て並んで歩く。カンナはどうやら新客居住区を久し振りに見て帰りたいらしく、俺を送ると申し出た。


「ウォーカーって儲かるのか?」


「公務員ってこともあるけど、基本給だけだとかなり厳しいよ。ただ、プラス歩合制ぶあいせいだから、活躍や名声を上げていけばまぁ、それなりにですよ」


 悪戯っぽい笑みを俺の顔に近づけるカンナにドキッとする。新しい顔を見せてくれるたびに、気持ちが浮つく。


 煌びやかな夜の街を縫い、純白の居城の方角へ、来た道を戻るようにして歩く。道中、明らかに"そういうお店"とおぼしきピンク色の看板が立ち並ぶ妖しげな通りに迷い込んだときは、気まずい空気が流れて仕方なかった。


「よ、夜に出歩くの久し振りだからなぁ〜。ごめんねシオン君、なるべく避けてきたんだけど、こういう店、中心街にはちょっと引くぐらいあるの」


「いやっ、賑やかでいいと思う、うん。俺にはちょっと早いけど……」


「おっ、そこのカップル、二時間休憩していきませんか? 淫魔蝶サキュバタフリの鱗粉サービスしとくよ」


「「結構です!」」


 どうにかピンク通りの包囲網を抜けた頃にはお互いぐったり疲れ果てていた。たどり着いた城の西側に、先ほどまでとは対照的に薄暗い路地が伸びている。くぐるだけの木製の門には、「Newbie Town」――新客の町、と彫られた看板が打ち付けられていた。


「英語じゃ新客はニュービエって呼ばれるのか。覚えとこう」


「うん、ニュービーね」


「……」


 門をくぐると、賑やかな街の喧騒が一気に遠ざかったような気がした。舗装の荒い小道の先には、作りの甘い掘っ建て小屋が猥雑に立ち並ぶ居住区が広がっている。人の気配はするが、エネルギーを全く感じない。寒気を感じて思わず身震いした。


「懐かしいなぁ、こんなだったなぁ」


「なんか……不気味だな」


「気をつけたほうがいいよ。君ほど切り替えが上手くいってる人ばかりじゃないから。ご近所さんに挨拶回りを考えるなら、数日は待ったほうがいいかな」


 カンナは俺が今日から住むことになる家の前まで送ってくれた。マーズからもらったメモを頼りに、居住区の中ほどにある、ひしゃげた長屋を見つけ出した。強風が吹けば飛びそうな藁葺きの建物に、若干、いや、かなりの抵抗を覚える。


「住めば都だよ」


「だといいけど」


 辟易へきえきを隠して頷き、俺はカンナと向かい合った。


「色々、ありがとう。こんな遠いところに来ちゃって……それでも前を向けてるのは、カンナのおかげなんだ。本当にありがとう」


「こちらこそ。君を助けることができてよかった。六年前のことを思い出して、ちょっとは一人前になれたのかなって、思えたから。そのあとは逆に助けられちゃったから、全然まだまだだけどね」


 それじゃあ、と、終わってみればあっさり、俺たちは別れた。帰り際、カンナは一度だけ振り返って、背中を見送り続けていた俺に手を振ってくれた。


 カンナの姿が見えなくなってから、俺は意を決して、オンボロ長屋の暗い玄関に足を踏み入れた。

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