第3話 ステーキと美女-3

 俺の部屋は六畳ほどのワンルームで、入り口付近の床が腐っていたせいで入室早々足をくじいた。


 おもちゃみたいなコンロの一つある小さなキッチン以外、家具の影もほとんどない殺風景な部屋。その隅に敷かれた、薄っぺらいわら布団と分厚い毛布が二枚。それが俺の寝床だった。


 水道のたぐいは見あたらない。飲み水は、タウンの入り口に井戸があったのでそこから汲んでくればいいとして、トイレはどうすればいいのだろう。そう考えたら無性におしっこに行きたくなってきた。歯も磨きたいし、贅沢を言えばお風呂に入りたい。


 心身を清潔に保つためには大量の水が必要なのだと、思い知った瞬間であった。水は偉大である。


 びゅうびゅう入る隙間風が骨身にみる。俺はたまらず、コートだけ脱いで木の椅子に掛けると、二枚の毛布の間に体を滑り込ませた。


 これが、驚くほど暖かい。


 ずぶずぶと体が沈み込んでいくみたいな柔らかさと、毛皮の上質な肌触り。きっとモンスターの素材だ。足をくじいたあたりから実を言うと半泣きだったのだが、心がホッと、落ち着いてくる。


 羽虫の飛び回る音を気にしないようにしながら、暗闇の中、馴染みのない天井を見上げた。改めて、とんでもないところに来てしまった。


「……言葉ことは。急にいなくなってごめんな。て言っても、そっちじゃ俺の存在なんてなかったことになってんのかな」


 ずっと心に引っかかっていた、残してきてしまった妹に、届くわけでもないのに話しかける。


「俺、頑張って生きてみるよ」


 ダメだ、せっかくマーズやカンナのおかげで前向きになれていたのに。一人でいると、やっぱり不安で押しつぶされそうになる。


 それでも、疲れには勝てないのか、その夜は思ったよりも早く眠りのとばりが訪れた。



***



 翌朝。目覚めは、気持ちよく暗い部屋で眠っていたところに突然電灯を点けられたような、不快なものだった。


 どうやら窓から差し込む空の光が顔を直撃したらしい。体を起こすと、窓の外はすでに景気のいい茜色に焼けていた。壁の振り子時計を見るにまだ午前六時だが、この世界の夜明けは日暮れと同様、突然らしい。


 体の調子は悪くなかった。上質な毛布のおかげで、硬い床でも体を痛めず熟睡できた。


 癖でスマートフォンを探して、そんなものどこにもないことに気づく。


 どうでもいいことに絶望できる分だけ、昨日より精神状態はマシなのかもしれない。


 それにしても……


「暇だ」


 文明の利器がないと人はこれほど暇になるのか。こんな早朝からギルドが空いているはずもないし。ましてや24時間営業のコンビニなんてあるわけない。


 家の中にいても気が滅入るので、散歩に出かけることにした。入り口付近の腐った床を踏んでまた足をくじいた。


 外に出ると、夜に見るほどニュービータウンは不気味ではなかった。住居群こそボロいが、十世紀前の山村じみた奥ゆかしさがある。おどろおどろしい血色の空と、妙にマッチしていた。


 タウンの入り口まで戻って、井戸で水を汲んで飲んだ。タルが二つ括りつけられた滑車がついていて、両方に水を入れることでつり合い、僅かな力で引き上げられる仕組みだ。


 冷たい地下で冷やされた井戸水は、冴え渡るような美味さだった。ついでに顔を洗い、髪を洗うと、随分さっぱりした。


 俺は思いついて、目を皿のようにして下を見ながらタウンを歩き回った。程なくして、長さ1メートル程の、手頃な木の棒を発見した。


 ギルドが町役場も兼ねているなら、九時には開業するだろう。それまで二時間半と少し。


「ひたすら振るか」


 棒切れを剣に見たて、引き絞るように両手で握ると、思い切り振り上げた。

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