「新劇場版エヴァンゲリオン Q」
本来は今日、シンエヴァが公開されるはずであった。
さて、Qである。
これは困った。
いまだにもってこの作品が何をしたかった作品なのかわからないからである。
前回の破が2009年。
そして2011の震災を経て
2012年にエヴァンゲリオンQは公開された。
これはね多分公開初日に見に行ったはず。
待ったなあ、すげえ待ったよ。3年ってすげぇ長いからなあ。
まさか、今時はシンが出るまでに8年かかるとは思いもしなかったけどね。
しかしまあ公開前の時点でいやな予感しかしなかった。
まず、2時間ではなく90分になった点。しかも謎の同時上映、巨神兵東京に現る。
さらには、公開直前の金曜ロードショーでやった冒頭5分くらいのUS作戦。
その予告編の冒頭部分で、あれ結構作画適当じゃね?
って気がした。
実際作画担当が変わってるらしいんだけど、あれアスカってこんな造形だっけかなあ感が否めなかったし。
実際Q全体をみて、うわあやっぱエヴァすげーとはならなかった。
正直言うとQ全体として、作画は手を抜いてるんじゃないかという気がしてならなかった。
序も破もあんなに映像美にこだわっていたのに。
Qは雑というか、なんだか敵が幾何学すぎてよくわからんのよ。最初のネーメジスシリーズだっけ? あれもなんだかどういう使徒だか何回見てもよくわからないし。なんだっけ偽装コクーンから引きずり出して倒すっていうのも、なんか燃えないんだよね。
敵に限らず、そもそも舞台が宇宙空間とコア化した世界、さらにはジオフロント内だから、序・破の時のように、背景にこだわったりする必要がそもそもないんだよね。だから、序と破の時のようなbeautiful worldではなかった。あ、だからエンディングが変わったのか。
さてここで一つ新たな疑念が生まれる。
Qでは話が大きく変わって、破の続きが直接かかれなかった。
そして、そこから14年後のニアサードインパクトごの世界が書かれていた。
なぜか。
間に合わなかったんじゃないのか。
破の予告後の世界を描くには、予算が足りなかったとか、スタッフが足りないとかそういう事情があって、ならば、とそもそものストーリーを変えてしまって、世界が崩壊した後ならば描きやすいということで、あの形になったのではないか?
勿論ね、Qはあれはあの感じがエヴァだからあれでいいんだという意見もあるし、分かるんだけど、とりあえず最初に見た時の感想は、なんというか「がっかり」であった。
「破」を見た時のような鮮烈な感動がなかった。
ストーリーの難解さは、それがエヴァだから言うことないんだけど、やっぱなあ作画は不満だよ。別に作画中じゃないんだけど、新劇場版エヴァって、エンタメ作品であるべきと思うんだ。序・破は仮にあれがエヴァじゃないとしても楽しめる作品だった。
ところがQという作品が、序・破・と切り離して単独として興行作品で成り立っていたかというと、絶対にそうではないと思う。
破の続きのエヴァンゲリオンだからまだ見れた。というところじゃないだろうか。
少なくとも俺はそう思う。
今改めてQの感想を書いてるからこそより一層そんなことを思う。
3年の時間もかけて待たせた結果がこの作品なのか。
とはいえ、上映当時はそこまでひどい感想を持っていたわけではなく、何なら同年に行われたエヴァンゲリオン3部作年越し上映をつくばに見に行った記憶がある。
あれは楽しいイベントだったなあ。
だからねこんなひどい感想をもってはいるけど、やっぱエヴァが好きなんだよね。
それにしてもQという作品は何のためにあったんだろうか。
破というのははっきりとシンジ君の成長の物語、青年の自立であり、また庵野が生み出したいわゆるエヴァ的作品、セカイ系との決別だったと思う。
つまりエヴァが生み出してしまったいわゆるアダルトチルドレン的俺のような人間に対する一つの答えを出したとも言える。
だがQはなんだ?
なぜ自立したはずの、シンジを再び絶望に追いやる必要があるのだ。そういう鬱的なもの、エヴァ的なものをやめようとしたのではないか庵野は。
なぜ再び俺たちに問いかけたのだ?
タイトル通りの難解な
「Q」
を再び我々に投げかけた。
作者はちょうどエヴァンゲリオン世代で就職氷河期を越えて、失われた20年を生きて、上はポストが埋まってて出世できず、下の世代の創造性には勝てないという間を生きている世代である。
ちょうど個性が大切だといいう教育がされ始めた世代でありながらも、一方で会社に入ると同時にロイヤリティをもとめられ、個性を捨てろと社内教育を受けたりもした。まあそれは今も同じかもしれないが、自己矛盾を抱えまくるそういう世代なのである。
同年代で会社内に残りながら、序列として成功してる奴はほとんどいないだろう。
終身雇用と成果主義のはざまで就職してしまったために、どちらにも対応できないものがほとんどだ。
そんななかだから、もはや自分で何かをするしかない。
そうやってベンチャーを作り出した世代でもある。
しかし、そのベンチャーバブルはホリエモンの台頭を代表として、謎の社会の圧力によってつぶされた。
我々世代の心のよりどころであるニコニコ動画もいつの間にか存在感を失っており、いつの間にか日本の中心はYouTubeになった。
なんだか我々エヴァ世代は世代のはざまで消えようとしてるのではないか。
さあ、なんでこんな話をここでするのか。
ここで出てくるのが、バブルの象徴であるミサトである。
「行きなさい、シンジ君、あなたの願いのために」
とか散々あおっておいて、Qでは
「あなたは何もしないで」
と急な手のひら返し。
これって社会じゃん。
ベンチャーを作れー、起業しろうとあおっておきながら、実際に成功しようとするものを叩いていく。結局日本ではGAFAのように成長できる企業は生まれなかった。GAFAが台頭したのなんて、2010年以降の話で、日本にだって可能性はあった。
意を決して立ち上がったものを叩いていく、それが社会なんだよ。
日本なんだよ。
ちょうどこのころ務めていた会社のオーナー社長がなくなって、混乱のさなかであった。そんな中で、俺と尊敬できる法の上司は会社のために動こうとした、いろいろやったが、皆の声は総じて「あなたはなにもしないで」であった。
シンジの気持ちだよ、そんなん。
そして俺は2017、自営を始めたわけだが、決して周りの人間の誰も応援はしなかった。反対はしないけど、応援もしない。
そんな感じである。
まあ応援しろとは思ってなかったし、反対されてもやってたと思うが。
破では、シンジは個を主張して立ち上がる。
しかしQでは容赦なくぶっ叩いて絶望のどん底に陥れた。
一体この悲しい現実に、庵野は何の思いを込めようとしたのか。
ましてやこの作品東日本大震災の1年後の作品である。
皆が立ち上がろう、あるいはまだそんな立ち上がろうという気も起きていない時期だったかもしれない。
そんな時に投げかける「Q」はいったい何なのか。
やっぱりわからないのである。
シン・エヴァンゲリオンではそういったQの謎の答えを示してくれると同時に、
作画面などでもぜひ期待に応えてほしいものである。
それにしてもエヴァがロングコンテンツになってくれたおかげこうして自分の人生とリンクさせながら語ることができるというのは本当に面白い。
願わくはガンダムのように、今回の映画で完結することなく、ずっと続いていって、俺の人生に付き合ってほしいものである。
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