第80話 虫剥がしとリラの報復
王室がアストロラ国内に持つ別荘のうちの一つ。その一室で、アストロラ国王エルキュルスは、目にくまを作って震えていた。くまのある目が睨む先は、部屋の扉だ。テーブルやクローゼットその他の家具で塞いでいる。
その向こうから扉を叩く音と、役人の声。
「陛下! 開けてください!」
「黙れ……」
小さくつぶやくエルキュルス。扉の向こうにいる役人には、とても届かないだろう。
「もう諦めて下さい! アストロラは民主国家です! あなたに調印の拒否はできません!」
「黙れ黙れ……黙れ……! 何が民主国家だ。アストロラは王家が……私が統べる王国なのだ……。この国の繁栄は、古来より我ら王家が……」
エルキュルスの周りでは煙の様な影がゆらめいている。隣に立つ仮面の男ゾウマ・ファントムは、はたから見れば明らかに様子がおかしいエルキュルスの姿を見ても、「アヒヒ」と不気味に笑うばかり。
「その通りですよぉ。アストロラ王家の誇りを傷つける事など、決してあってはならないですよねぇ。アヒヒヒ……ん?」
突然、窓ガラスが割れた。そこから飛び込んできたのは、蛇と薔薇のナンバーツー、影使いのメイ。持っている杖をトン、と床につくと、そこから漆黒の大きなウサギが這い出てきた。
「ギョロロロロロォオォオオ!」
漆黒ウサギがゾウマに向けて火の玉を吐く。ゾウマはエルキュルスから離れて飛び退き、天井にべたりと貼り付いた。そして、粘土のようにぐにゃりと体を曲げて、仮面の付いた頭を揺らす。
「えぇ?! 『影使いのメイ』が来るとはねぇ! ワイ、何かジャオを怒らせるような事しちゃった?」
漆黒ウサギは問答無用で火の玉を吐きまくる。ゾウマは蜘蛛のように天井を素早く這い、メイが割った窓の前へと逃げた。
「相手が悪すぎるねぇ。アストロラではさんざん遊んだし、もういいや。バぃバぁーイ!」
ゾウマが窓から飛び出していくと、エルキュルスは座っていたベッドの上に倒れてしまった。漆黒ウサギが、扉をふさいでいた家具を大きな腕で薙ぎ払い、扉が開いて役人達が駆け込んでくる。
*
「司法取引を行った。連合国が逮捕していた蛇と薔薇のメンバーを減刑することと引き換えに、影使いのメイを国王エルキュルスの元へ向かわせたんだ。条約の調印は、間もなくなされる。もうされているかもしれないな」
師匠がそう言うと、リューマはため息をついた。
「正直言って……助けられた感じだな」
「いや、それはどうだろうな。『ファントム』というのは、元々連合国の犯罪者だ。我々も詳しく素性がつかめないやつだが。つまり、私達からすると助けたというより、自分の尻拭いをしたと言ったところだろう」
「ふふ」と軽く笑った師匠。立ち上がってリラを呼んだ。
「リラ、ここに来い」
「何ですか?」
「お前は以前、王室直属ハンターに言われた事があっただろう?」
メイジャーナルで言われた事。ついさっきも、ライランドに言われて思い出したばかりだ。
「はい。『人は何かを守るために闘う。闘うために強くなる。そのための訓練が人を強くする』」
「いい機会だ。こいつら四人の前で、お前に教えてやろう」
師匠はリラではなく王室直属ハンターの方を向いた。
「人は何かを守るために闘う。確かにそうだろう。だが、強くなるのは闘うためではない。闘わないためだ。もし私と私の部下が弱ければ、どちらかが全員死ぬまで闘うはめになっただろう。そして、人を本当に強くするのは訓練ではなく教育だ。もし私達が『闘うために強くなる』と教育されていたら、お前達四人は全員死んでいたはずだ」
「でも師匠」
リラ。王室直属ハンター四人のうちの一人を見ながら師匠にこう言った。
「師匠はそれくらい強いかもしれませんが、私はまだそんなに強くはないです」
「だろうな」
笑顔でそう言った師匠。一歩下がり、リラと場所を入れ替わる。リラはライランドの前に立った。
「もう一度言う。私はレイナじゃなくて、リラ・ベルワール。プロの機械獣ハンターとして、相棒と一緒に黄金の獅子を狩る夢を追う、リードルメ生まれ十七歳の女の子」
「レイナ?」とこぼすのは、アイヴリン。リラは話を続ける。
「私の相棒も女たらしだけど、あなたは彼と比べても最悪の女たらしだよ」
「ねえ、レイナって誰?」
ライランドに聞くアイヴリン。ライランドは二人から視線をそらしている。
「他人を自分勝手に使って遊んで捨てて、見下して馬鹿にして」
「ねえレイナって誰なの?」
「このろくでなし!」
「レイナって?!」
「これでも喰らえ!」
リラの固く握った拳がライランドを殴り飛ばした。後ろに転げるライランドを見て「フッ」と鼻で笑ったのは、アイヴリン。
壁の穴の向こう、空からプロペラ音が聴こえてきた。
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