第64話 オスカーの過去




 イゲルマイトは、自分の半分ほどの身長しかないヤーニンの頭をつかみ、スープの器に押し付けた。

「うぶっ! ぶふぼっ!」

「美味いだろう? お前だけの特性スープは! え?! 美味いだろうが!」

「ぶぐぐぶっ……ぼっへ!」


 イゲルマイトが手を離すとヤーニンはひっくり返った。その拍子に、右足がテーブルに当たってスープの器が転げ落ち、左足が器に当たって、飛んだ器がイゲルマイトの顔にぶち当たった。イゲルマイトは後ろに倒れ込み、鼻を抑えて痛そうに唸る。

 ヤーニンが関わると、よくこういう妙な偶然が起こるのだ。

 奴隷達は不格好なイゲルマイトの姿に笑いをこらえている。怖がりのドグウさえ顔を伏せて笑いをこらえるのに必死だ。

 イゲルマイトは立ち上がり、ヤーニンの首根っこをつかんで持ち上げた。

「このガキがぁっ! ぶっ殺してやる!!」

 殴りつけようと拳を構える。その腕をオスカーが抱きかかえるように抑えた。

「わざとじゃないんだ、やめてくれ!」

 そう言われたイゲルマイトはヤーニンを捨てるように投げると、オスカーを殴りつけた。さらに、膝蹴りを食らわせて押し倒す。

「人間の分際で生意気な。お前を代わりに殺してやる!」

 オスカーの首を絞めるイゲルマイトの両腕を誰かが揺さぶった。


「イゲルマイトさん、だめですって!」


 騒ぎを聞きつけて飛んで来た、部下の半獣人ジョイスだ。

「殺すのは流石に。奴隷って言ってもブルービーストの持ち物ですから。総統に知れたら大変ですよ」

 イゲルマイトは舌打ちして手を離した。そして鼻息荒く体を翻したかと思うと、ジョイスとその隣に一緒に来ていたコエンを殴り飛ばし、食堂を出て行った。


「いってえな! 何で俺が殴られんだよ!」

 全く何もしていないのに殴られたコエン。納得いかないのも当然だが、これはいつもの事。

「あのオッサンに『何で』なんて理由あるわけないでしょが。自分がムカついたら殴るってだけだよ。さてと……」

 ジョイスが奴隷達を見渡す。

「騒ぎの元作ったのは誰だ!」


 そっと手を上げるヤーニン。ジョイスは呆れたように口をあんぐり開け、首をくるりと振った。

「あんた、また……この馬鹿! 余計な仕事増やすなっての!」

 ジョイスがヤーニンの腕をつかみ、引っ張る。ヤーニンはイザック達に声を上げた。


「ごめん、今日も遅れるー。先に始めててー!」


 ヤーニンはジョイスとコエンに食堂の外へと引っ張られて行った。




 *




 一日の仕事が終わり、毎晩奴隷達が雑魚寝する大広間は騒がしくなる。仕事終わりから消灯時間までは、唯一の完全な自由時間なのだ。イザックとオスカーが、ヤーニンを待っていた。


「お待たせー」

 ヤーニンが顔にあざを作ってやってきた。だが笑顔で痛そうなぶりも無くあっけらかんとしている。奴隷管理の半獣人、ジョイスとコエンにお仕置きされて帰ってきても、一向に堪えるそぶりがないのは彼女のすごいところだ。


「昨日は南支部に行った所まで話してもらったっけ。今日はいよいよ、オスカーの昔の話でしょ? 今、どこまで進んでる?」

 そう言って楽しそうにぺたんこの布団の上に座るヤーニン。だがオスカーは「いや」と首を横に振った。


「お前は先に始めろと言ってたが、まだ始めてない。ドグウが来たら始める」

「へえ。ドグウは?」

「トイレだってよ」

 イザックがヤーニンに教えると、「どうだかな」とオスカー。

「またを貰いに行ってるのかもしれない」

 帰りを待つ三人の元に、ドグウが帰ってきた。手には瓶を持っている。

「お待たせ」

 そう言ってぺたんこの布団の上に座るドグウ。イザック「全く」とため息。

「また酒か。トイレって言ったじゃねえかよ」

「ごめん、トイレのついでに」

 そう言って苦笑いするドグウ。すると突然、オスカーがドグウのズボンのポケットに手を突っ込んだ。「あっ!」と慌ててポケットをふさごうとするドグウだが、オスカーはその前にドグウのポケットから、紙の小箱を引っ張り出した。

「やっぱりな」

 そう言って小箱を開け、中を覗くオスカー。イザックは「おいおい」と呆れ、ヤーニンも「あーらら」と笑いながらも眉間にしわを寄せる。


 ここでは奴隷に毎晩、酒と『カジェンタ』という麻薬が与えられる。程よく満たされるため、夜の自由時間に『俺は逃げ出してやる』だの『やってられるか』だの愚痴をこぼしつつも、奴隷達はみなここを離れられなくなっているのだ。


「お前、やめるって約束したじゃねえかよ」

 イザックがそう責める傍ら、オスカーは小箱に十本ある葉っぱを丸めた棒のうち、二本だけ取り出して窓から海に捨てると、残りをドグウに渡した。

「ごめんなさい……」

「いや、俺がここに来たばかりの頃は毎晩三箱やってたからな。かなり減った。お前はよくやってるよ。八本ゆっくり大事に吸うんだぞ」


 もちろん麻薬『カジェンタ』をやりすぎて使い物にならなくなった奴隷は捨てられる。ドグウはやめたいと思いながらも、今までずっとやめられなかったのだ。オスカーがここに来てからは、ドグウのカジェンタの量を管理している。


「よし、じゃあ始めよう。楽しい話じゃないが、俺を心配して追って来てくれたイザックと、偶然で俺達を何度も救ってくれたヤーニンのために、全部聞かせる」

 それは、オスカーがここに来た理由と、使の話だった。




 オスカーがまだ七歳の頃だった。村で一番やんちゃだったオスカーは、公園で偶然会った、五歳ほどの男の子と仲良くなり、川へ遊びに行った。オスカーは、村から離れて上流に行こう、と誘ったが、男の子は怖がり、首を縦には振らなかった。そこで、オスカーがその男の子にかけた言葉。

『何があっても守ってやる。俺がいれば大丈夫だ』

 これは、当時オスカーが大好きだった漫画の主人公のセリフだった。




「カッコいいじゃん」

 イザックはそう言って笑う。オスカーも「まあな」と言いつつ「だが」と続けた。

「言った通りにできるならの話だ」




 恐がる男の子を連れてどんどん村から離れて上流へ行ったオスカー。そこに、変異体の機械獣ブレードストルティオが現れた。恐怖のあまりオスカーは逃走。男の子を残して。

 オスカーは村へと逃げ帰ったが、男の子は帰ってこなかった。村の大人たち総出で捜索、もちろん警察も力を尽くしたが、遺体も遺留品も見つからなかった。当時まだ七歳だったオスカーを責める者はいなかったが、オスカーにとっては、罪を償う機会を失う形となった。

 そのまま十年。法律に基づき死亡宣告がなされ、聞いたところによると村にはその男の子の墓があるらしい。

 あるらしい、というのは、オスカーが村に帰っていないからだ。




「一度もお墓参りに行ってないの?」とヤーニン。

「ああ。身勝手な……話だが……」

 オスカーはぽたぽたと涙をこぼし始めた。いつもの仏頂面が崩れ、顔がくしゃりと歪む。


「墓参りに行くと、あいつが死んだことを認める事になる。それが……俺には耐えられないんだ」


 顔を手で覆い、暫く荒い息をした後、オスカーはドグウの膝に手を置いた。

「だから……ディエンビに潜り込んだ時にこいつを見つけた時は、人生で一番の衝撃だった。何としても助け出さないと。それができないなら、俺はもう死んだ方がいい。どうしてもほったらかしにはできなかった。だからここへ来たんだ」


 ドグウは恥ずかしそうに笑う。だが、イザックには引っかかる事も。

「何でドグウがその子だって分かったんだよ」


「決まってるだろ」とオスカー。

「この紫と黄色のオッドアイだ。名前は憶えてなくても、これだけは忘れられない」


「ふーん……」とうなずくが、まだスッキリしない様子のイザック。オスカーは「もちろん」と付け加えた。

「ドグウがそうだと確実に言えるわけじゃない。でも、俺はそんな確認なんかは後回しでいいんだ」


「ドグウの方は、何も覚えてないの?」

 ヤーニンがそう聞いた。ドグウは「うん」とうなずく。


「僕は小さい頃の記憶は何もないから。一番古い記憶は七歳か八歳くらいで、もうここで奴隷だった。だから、オスカーがここに来て最初に話を聞かされた時は、『変な人だ』って思ったよ。でも、ずっと一緒にいてすごく気遣ってくれるから……」


 うんうんうんと首を揺らすヤーニン。ビシッとグーサインを決めた。

「頑張って四人で逃げ出そう! 実はね、私さっき、耳寄りな情報を手に入れたの」



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