第35話 襲撃 幕開け




 コンコンコン……というガラスを叩く音と、微かな「イザック」という呼び声で、イザックは目を覚ました。音の出所である小さなベランダの窓の方へ、同室の生徒達を起こさないようそっと向かう。

 窓を開けてベランダに出ると、「イザック!」とささやくような声でナヤが抱きついた。イザックは慌てて周囲を確認する。

「ナヤ、誰かに見られたらまずいぞ。何で男子寮にいるんだよ?!」

 ナヤは体を離して言った。


「どうしても一緒にいたくて……。怖いんです」

「怖い? 何がだよ」

 ひそひそ声でそう聞くイザック。ナヤは、ベランダから見える湖の彼方を指さした。

「まず、空の上から女の人の叫び声がして、その後湖から水音がしたんです。テロ予告があった直後なので、怖くて……」


 これを言ったのがもしリラやオスカーだったら『何言ってんだよ』で終わらせるが、ナヤとなると話は別だ。


「他には何か聴こえたか?」

 暗闇に目を凝らすイザック。湖対岸のトイスターの街明かり以外は、何も見えない。

「落ちた後に、波を切り裂くような音が。何か、大きな魚か何かが泳いでいるような」


 ナヤの特技の一つは、壁を伝ってイザックの部屋のベランダにやって来られる身軽さ。だが、一番の特技はこれだ。超人的な聴覚。特に今はほとんどの人間が寝静まっている真夜中。こんな環境なら、数百メートル離れた人間の話の内容も聞き取ることができるだろう。


「今は?」

「アカデミーの島の周りを、たまに波を裂くように泳いでる生き物がいます。ただの魚とは思えません」

 イザックは怯えるナヤを見て『分かった』と一言。

「男子寮の前で待っててくれ。オスカーも起こして行くから」




 *




「才能がない……?! まさか、私には霊術は使えないって事なんですか?!」

 師匠は軽く笑いながらリラに「いいや」と首を横に振った。

「霊術は原理的には、生き物であれば必ず使える。だが、お前の目的のために今時間を費やしてまで身に着けるべきかどうかは、微妙なところだな」

「そんな……」

 予想外の衝撃的事実に打ちひしがれるリラ。師匠は「あまり気にするな」と言って肩を叩いてくれたが……不可能だ。気にしないなど。リラはこれから先どうするべきなのか。スタート地点に戻ってしまった。

「お師匠さん」

 窓から外を見ていた秘書さんが師匠を呼んだ。師匠が秘書さんと一緒に窓から下の道路を見る。


「さっきから陸軍の車がやけにせわしなく走り回ってるんです。何かあったのかもしれません」

「無線傍受はどうした」

「よく地面を見てください。水たまりが見えるでしょう? 雨が降り始めたんですよ。無線傍受は厳しいですね」

 秘書さんがそう言うと、師匠は「馬鹿者!」と一喝。


「雨を確認したらすぐに情報を共有しろ! この仕事を何年やってるんだ!」


「す、すいません。でも雨くらいで別に……」

 うろたえながらそう言う秘書さんに師匠はグイッと顔を近づけた。


「ブルービーストはどうやって獅子の亡霊を動かしているのか分からないんだぞ。もし無線を使わずに動かせるなら……こちらが無線を使いづらい雨の時を狙って事を起こすはずだ」


 眼光鋭くそう言う師匠に、秘書さんも固唾をのむ。

「どうしましょう」

「すぐに表へ出て……」


 ドン! と爆発音。そして悲鳴が外から聴こえてきた。師匠の「外に出るぞ!」という声に合わせ、三人とも二階の窓から飛び降りた。バシャバシャと水たまりから水がはねる。


 悲鳴のした方に見えたのは、シングルスターパイソン。目が真っ赤に光る変異体だ。さらに街並みのその奥にはブレードストルティオ、ケラベアーの姿も。そして、さらにその奥。金色の光が建物の向こうに見える。


「獅子の亡霊だ。あちらに向かおう。カメラはあるな?」

 師匠の前に秘書さんが得意げに小型カメラを見せた。師匠は「よし」とうなずくと、リラに振り返った。

「いくぞ。途中の機械獣に関しては、お前の力を……」


「先に、アカデミーに向かえませんか?」


 リラは師匠が話す途中でそう言った。師匠は一瞬間を置いてから「落ち着け」とリラの肩を持った。

「アカデミーの友人達が不安なのは分かるが、まずは……」


 車のクラクションが鳴り響き、師匠とリラは道の脇に寄った。二人の前を獅子の亡霊目指して通り過ぎたのは、王家の紋章が付いた、傷だらけの車。リラは思わず「あっ」と声を上げた。

「王室直属ハンター!」

 師匠が「何?」と車の方を振り向く。

「お前が負けた相手だったな。よし、見失う前に行くぞ!」

 師匠はリラの手をつかんで走り出そうとした。ところが、リラはその手を本気で振り払った。


「すいません! 私、同じ失敗は絶対繰り返したくないんです!」


 すぐに体を翻し、獅子の亡霊と反対方向、アカデミー目指して走り出したリラ。師匠は慌てて追い始める。


「待てリラ、離れるな! 私と一緒にいろ!」


 師匠の声も、リラには届かない。雨の中バシャバシャと音を立ててわき目もふらず走っていくリラ。師匠も必死に追うが、足に関してはリラの方が速い。

「くそっ!」


 さらに追い打ちをかけるように、街角からカンノンコングが飛び出してきた。殴りかかってきたが、師匠は地面をスライディングしてくぐり抜ける。

 ところが、その一瞬の隙に、リラの姿は見えなくなってしまった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る