三章 元勇者、子育てをする
三章 元勇者、子育てをする(1/8)
ゴブリンが巣食っていた遺跡からさらに東へ徒歩で数日。港町セクメル。アルの出発点である墓場には逆に近づいた地点にある町である。
広大なセケル海を臨み風光
豊富な漁獲量を誇る漁業と観光業、そして港を利用した交易が町の主な産業だ。鮮魚も交易も、
そのため町の規模は大きく、貴族街、
定住者の他、港から来る者
しかしそんな町で、アルは迫害のただ中にあった。街中においても、
「ひっ」
「う、うわっ、
「ちょっ、来るな、来ないでくれ! 金はそこに置け!」
「……お断りだ」
「大変申し訳ないのですが、
こんな具合である。
「ううう、こんな
地面に手を着き、しょぼんと
「お前、慰めてくれるのか……ってこれ違うな。腕骨持ってこうとしてるな。犬まで厳しいのかよここ。止めろコラ」
路地裏で犬と格闘する骨がそこにあった。道行く子供が指さすのを、親が「見ないの」と連れて行く。
「くぬやろ! くぬやろ! あっマジ
──
ドン引きされた。
まずまともに会話が出来ない。物も
恐らくは「冒険者のスケルトンが来る」という情報だけが組合から各街へ伝わり、保証だの実績だの、
(まあ、あっても
激闘の末なにやら友情めいたものが生まれた犬を
彼の見込みが甘かったと言わざるを得ない。アロンダでは最初に勇者の推薦状を見せたのが効果的だった。加えて、セクメルは港周辺と歓楽街を除けば亜人種が少ない。
人で
(はい! 人が避けてくれて大変歩きやすいです。……勇者の時とは理由真逆だけどな!)
異物への拒否反応、
(ま、しょうがないね! せいぜい早目にここを出るとするか)
本人がどう思っていても、
「およ……」
吹く風に物思いから顔を上げれば、
一緒に歩いていた犬も、「そろそろ俺の縄張り外だぜ。アバヨ」とばかりに歩み去っていく。
「ばいばーい。と、ずいぶん離れまで来ちゃったぜ。スラムってやつか。こっちは……西」
町で経済が回れば、こういった場所は出来てくる。それに、昨今は
「勇者の頃は前線ばっかだったから、こういうとこ来るの初めてだけど……まあ
アルはかしゃかしゃと西スラムを歩く。物陰や粗末な木組みの家の中から視線を感じるが、もう大して気にもしていない。この辺り、本人は自覚していないがやはり
「ほねさん?」
小さな声がした。アルが立ち止まる。声の方を振り向けば、
「ほねさんだ」
黒い髪に、
少女だった。幼女と言った方が正しいかも知れない。
アルと目が合う。彼は怖がらせてしまうかと
「えーと……俺?」
アルは一応自分を指さして聞いてみる。幼女は繰り返す。
「ほねさん」
「アッハイ。ほねさんです。アルと言います」
自己紹介してみるアル。幼女はぱっと目を見開いて、とてとてとアルへ向かってくる。
「プーチ!」
うん? とアルが首を
「なまえ! あたしの! みゅふふ!」
「おお」
なるほど、とアルは手骨をからんと打ち、
「よろしく、プーチ。俺は悪い骨さんじゃないから、ご近所にもよろしく言ってあげてくれ」
プーチは一瞬きょとんとした後、
「うん! ほねさんはどこいくんですか!」
「どこ行けばいいんだろう……」
「まいご?」
「うん、ちょっと人生の……いや人生は終わってたか……」
現状を思い出して
「うちくる?」
「えっマジで」
予想外の申し出である。思えば勇者の時分はちょくちょく民家に世話になっていた。
「……いやいや。ありがたいけど、親御さんに迷惑だろうしなあ」
「おかあさん、ずっとねてるの」
「もっとだめじゃないそれ?」
しかし、言ってからアルは気付く。スラムに暮らす経済状態で、仮に母一人子一人の生活。親が倒れれば──
「……いや。プーチ、じゃあちょっとだけお
「いーよ!」
◯
「おかーさーん、ただいま、おきゃくさん!」
西スラムのさらに端に建つ家屋……とも言えないような小屋へ、プーチが入り込んでいく。入り口も、布を上から垂らしただけのものだ。
(もし泊めてもらえたなら、お礼に戸の一つでも作ろう、うん)
そんなことをアルが考えていると、プーチが顔を出す。
「おかーさん、やっぱりねてる」
「そっか。少し
アルは手持ちの薬が
(あー……これはアレだ)
アルがアンデッドとなったことで、鋭くなった感覚が一つある。
──生者を感知する能力。
もはやアルは無言になり、その女性の肩に触れる。ゆっくりと
やせ
勇者にとって、死はある意味生より身近なものだ。アルは全く動じることなく、周囲の
(こういう言い方もおかしいが、無事に昇天したみたいだな)
しばし、女性の前で祈る。その
(さて、まずは
遺体を前に考える。と、横にプーチが寄ってきていた。
「おかあさん、まだねてるね」
そこでアルは理解する。プーチへ向かって語りかけた。
「プーチ、君のお母さんは、もう起きられない」
「もうおきない? ずっとねてるの?」
「……長いお休みをしたんだよ。死んでしまうって、分かるかい?」
「むしさんとかねこさんとかがうおかなくなるやつ?」
この少女は、死という概念を理解していない。正しくは、実感していない。
四歳か、五歳か。その年で、誰からも教育を受けていなければそうもなろう。
「プーチ。人間も死ぬんだ」
「…………」
プーチはひざまずいて、母親を見る。
「おかあさん、しんじゃった?」
アルは
しばらく後。息づかいが聞こえ、アルが横を向く。プーチは声を出さずに泣いていた。鼻水も涙も流しているが、声は上げていない。
(習慣、か。病気で寝ていた母親を起こさないように……強い子だ)
アルはプーチの頭に手を乗せる。
「声出していい。もう、お母さんも許してくれるさ」
プーチはアルへ抱きついてくる。そのまま、小さな声を上げて泣き出した。彼女を抱き上げて、アルは外へ出る。まだ日は高い。向かいの家の戸を
「ああ? なんだよ……うおおおお!?」
出てきた初老の男性は、アルの姿を見て飛び上がるほど驚いた。
「はっ! プーチ……そうか! お、お前が人さらいか!」
「人さらい……? はっ! いや違う違う!」
改めて自分のなりを確認し、アルは
数秒、
「あ、やっぱアルだ!」
「……あれ? レヴァ!?」
以前、共にオークの群から村を救った女行商人だ。
「おっす、おひさ……ってほどでもないか。いや仕事でこっち来たらさ、街でアンデッドの冒険者が来たって大層な
両手で指差しつつ言ってから、レヴァはまじまじとアルの様子を見やる。腕骨には幼女。
「……人さらい?」
「
「れ、レヴァ? 知り合いかこいつと?」
ん、とレヴァは男性に
親しげに話すふたりに、男性の警戒が
「かくかくしかじかってわけで」
「あ、ああ……そういや少し前に町の方で聞いたな……なんかしゃべるスケルトンの冒険者がいるとかなんとか。おいレヴァ……こいつ、信頼していいのか」
「もちろん。あたしが行商人の
それに、男性はようやく気を落ち着けた。プーチは、
「もしかして、アフチの
母親の名前だろう。アルは
「食い物も最近はほとんど手つかずだったしな……。まさかとは思うが、あんたが殺したんじゃないよな?」
「「んな・わけ・ないだろ(でしょ)」」
両者から否定され、安心した、と男性は家から出てくる。
「
「助かるわー。俺が一人で墓作って埋めてたら、怪しいとかそんなレベルじゃない!」
これに男性とレヴァの二人が苦笑した。
「確かに。まんま死神よね」「違いない」
「うっせうっせ。……俺が言うのもなんだけど、あまり怖がらないね、
「
男性はサランと名乗り、町外れの共同墓地をアルへ教えた。仕事のあるレヴァには孤児院の空きを調べてもらうことを頼んで別れ、二人して穴を掘り、アフチを布に包んで
「石をまあバターみてえにスパスパと……今度他の
終わった頃には夕方手前と言ったところだった。スコップを手に一息(つけないが)つくアルへ、サランが目を向ける。
「……最近この辺りを変なのがうろついてるからな。お前もその手かと思ったが」
「変なの?」
自分を指さすアルへ、サランが苦笑する。
「お前さんほどじゃない。さっきは驚いたが、
「うはははは! そりゃどーも!」
「あんた、これからどうする。聞いた感じ、町の方じゃ歓迎されなかった様子だが」
「まあ最悪野宿でも俺はそんなに困らないけど。生前で
言っている途中で、アルは自分の
「……ほねさん、うちでねるの」
アルとサラン、二人はプーチを見、そして目を合わせる。
「
「あまり長居するつもりはないんだけど」
「少しの間で
それもそうか、とアルはプーチを抱き上げる。そもそも、元勇者としてこの娘をこのままにしていくという選択
(孤児院ね。レヴァにも頼んだし、そっちは俺の方のコネでも何とかなるだろうが……)
サランの言うとおり、根回し他、あれこれ準備も必要だ。
「じゃあ、少しだけ世話になるな、プーチ」
「……うん」
ぎゅう、とプーチがアルの
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