凡人の地獄巡り3/3

(……ここは、なんだ?)


何も見えない、何もない真っ暗な空間。思えば、何度も同じような暗闇を見てきたダンだったが、ここは今まで見てきた暗闇とは何かが違うと思える。


(何も見えない。聞こえない)


ここまでの道中。地獄も、ここに蹴り入れられたことも覚えている。が、ここに至った記憶はない。今来た気もすれば、ずっとここにいた気もする。


(手は動かせない。 ……ないも当然か。足も同じ……唇も張り付いてはいるが……喋れないか)


自分が、今どういう状況になっているのかダンはわかっていないが、なぜここにいるかという理由は覚えている。早く生き返るために、癒着してしまっている手足を動かそうともがいている。


(ガロウスさんやハルカがいないってことは、俺はまだ地獄にいるってことだ。早く次の扉を探さないと……ん?)


必死にもがいていたダンが、微かな違和感に気づく。


(どこも、痛くない)


地獄にきて身体中に傷を作り、それをいじくりまわされていたダンから、痛みが消えていた。傷が治ったのかどうかはわからないが、痛みがないのは好都合。ダンは今の内にここを脱さねばと考えた。


考えた、だけだった。





「……っ、ガロウス!来て!」


ダンが再び死に、ガロウスたちも再び組手をしていた。


「んん?死霊の小娘が我を呼ぶとは珍しい」


「笑っている場合じゃない!早く!」


「ほう」


軽口を叩いたガロウスだったが、いつもと違ったティアの強い口調に素早く駆けつける。ハルカたちも何かあったのだろうとそれについていく。


「どうしたのだ」


「……ダンの魂が変質を始めた」


言い難そうに口を開いたティアだったが、ダンの魂を縛っているのも、それが見えているのもティアだけであり、どういう事態が起こっているのか他の4人は理解できていない。


「それは、つまりどういうことなのですかな?」


「……転生は失敗。魂が形を変えてモンスターになってしまう。そうすれば、ダンとしての自我が壊れて地獄にも天国にもいけない。もう人として転生の輪に加われなくなる」


ミチタカが詳しい説明を求めると、ティアは悲し気に教えてくれた。


「……っ!死霊の小娘はそのまま魂を縛っていろ。ムルトの小娘は循環呼吸で血を巡らせろ!ミチタカは心臓を動かせ!我では破裂させてしまう!ゴンは王宮の医療従事者を呼んで来い!」


「は、はい!」


「任せよ」


「あぁ!」


「……待って」


ガロウスはすぐに指示を出し、誰も躊躇うことなくそれに従い、迅速に動こうとしたが、それを止めたのはティアだった。


「小娘、今は時間が惜しい。無駄な話ならば許さぬぞ」


ガロウスから微かに殺気が零れるが、ティアはそれに動じず、強い口調で言った。


「ダンは仮死でも瀕死でもない。もう、死んでる。生き返らせることは絶対にできない」


「……すまない」


全員がそれをわかっていたはずなのだが、改めて言われるまでそれをわかりたくなかったのかもしれない。ガロウスは感情的になってしまい、仲間であるティアに微かではあるが殺気を向けてしまったことを謝罪した。ティアはそれに対し小さく頷くと、言葉に詰まりながらもそれを口にする。


「……今、私達がしなければならない、ことは、決断。ダンを殺す決断」


ティアの話によれば、魂の変質が始まってしまっても生き返る可能性はあった。だがそれは、転生神の導きがあった場合の話。今のダンにそんなものはなく、魂が変質して生き返ったとしても、何らかの後遺症、又はダンではない何かがダンとして生き返る可能性もある。今ティアたちに迫られているのは、ダンをダンの魂のまま完全に殺し、他の人間として転生の輪に加えさせるか否かということ。もはや時間は無く、その決断をこの場の5人でしなければならない。相棒であるシシリーはおらず、親友であるムルトもいない。早く決断をしなければ、ダンという魂が永遠に失われてしまう。


5人は、未だ地獄で頑張っているはずの仲間を殺すことに、躊躇している。


「小娘、ダンがダンのまま死ねるのはあとどれくらいだ」


「1分くらい」


「……ゴン、ミチタカ、急ぎでダンの相棒を探してきてくれ」


2人は返事をすることなくすぐにこの場からいなくなった。ガロウスは短く溜息をつき、横たわるダンの隣で構えをとり、拳を固める。


「ムルトの小娘、60数えろ」


「……はい」


ハルカも短く返事をし、目を瞑った。ティアも目を瞑り、祈り始める。


「我の騎士だ。我がトドメを刺す」


一瞬で頭砕けるよう、ガロウスは集中を始めた。





地獄では、変わり果てたダンがピクリとも動かずに横たわっている。だが、そうなっているのはダンだけではなく、辛うじて人の原型を留めている者、多少の欠損で済んでいる者など、様々な亡者がダンと同じように少しも身じろぐことなく横たわっている。


そして、そんな者たちの目の前に優しく発光する何かが優しく浮いている。それは手を伸ばせば届く距離にあるが、その場の誰も手を伸ばせる者はいなかった。


「お召し物をお持ち致しました」


「……ご苦労。下がっていいぞ」


そんな空間に、唯一動ける人影が二つ。


一つは、ダンや他の亡者を苦しめるのを生業としている地獄の住人。もう一つは、ダンをこの空間へ蹴り入れた全身真っ黒な男。


その真っ黒な男は、地獄の住人から渡された衣服を身に纏いながら、足元に横たわっているダンのことを見つめている。


「……タナトス・・・・様、ご理解とは存じ上げますが、神が転生前の亡者に干渉することは固く禁じられております」


「……」


「一度目の……転生神様の灯火は認められたものでしたが……その亡者を、無限地獄へ蹴り入れたことも干渉の内に入ります」


タナトスは、そんな話を聞きながら革鎧を着こみ、ボロボロな衣服とマスク、シルクハットを被って静かな声色で言った。


「貴様、いつから私に指図できるようになった?」


「い、いえ。指図などと……」


「私は、下がってよいと言ったはずだが?」


「……申し訳ありません。失礼致しました」


タナトスにそう言われた地獄の住人は、震えながら無間地獄をあとにした。残されたのは動かない亡者とタナトスだけ。


タナトスが言われた通り、神が人間に直接何かをするのは禁止されている。そのため、それぞれの神に仕える者に神託という形で指示を出すのだが、それも頻繁に行ってはならない。生きてる人間ではなく、転生前の人間に協力するなどもっての外。転生神と死神である2人はダンの魂の格をあげるために協力をしているのだが、それも創造神や最高神と話し合いと交渉をした結果許されたもの。


「チッ」


タナトスは小さく舌打ちをした。


無間地獄に辿り着けば、あとは光に触れるだけで転生できる。だが、それが難しい。手足は動かせず、思考しかできない空間で、あることをしなければならない。


それは、懺悔。


今までの罪や行いを反省し、懺悔しなければ、身体を動かせるようにはならない。だが、許されているのは思考のみ.懺悔をしろと言われず、どうすればいいかも説明されない。悠久ともいえる思考の海の中、それに辿り着いた者だけが転生を許される。


それはダンも同じなのだが、ダンにはこれといった罪もなく、他の亡者と違い、時間に余裕はない。タナトスも、ダンが少しずつ本来の亡者に近づいていることに気づいている。


「……」


『タナトス様』


見守ることしかできないタナトスへ、ティアからの祈りが届く。


「……ティアか。神託は下していないはずだが」


『ダンは……大丈夫でしょうか』


「……危険な状態だ。それは魂を縛っているお前もよくわかっているだろう」


『……はい。 ……タナトス様、実はお話が』


「ティア」


タナトスは、何か言おうとしたティアを止め、優しい声色で諭すように言った。


「私とお前は、他と違い仲がいい。ただし、友達というわけではない。 ……私の言いたいことはわかるな?」


『……はい。申し訳ありません』


その呟きを最後に、ティアとの会話を切った。


「すまないな……」


タナトスは小さくそう呟き、また何をするわけでもなくダンを見つめている。


すると、そこへ小さな影が姿を現した。


「……転生神か。私もお前も、もう無茶はできないぞ」


タナトスは、諦めたようにそう言ったが、転生神は何も返さない。


「それより、なぜ自分の持ち場を離れてまでこんなところにいる?」


タナトスがそう聞いても、何も答えない。元々、あまり喋るタイプではないことをタナトスは知っているのだが、神として似たような役割を持っており、ティアから聞かされた今回の件で協力を仰いだ時も、神々との交渉の時も言葉は発さなかったものの、尽力してくれた。


「……まぁいい」


言葉だけではなく、深くかぶったフードのせいで表情すら読み取れない。タナトスは転生神を無視してダンに視線を落とす。


禁忌ではあるが、今ダンを蹴り上げれば、光に触れさせることができる。それさえできればダンを生き返らせることはできるものの、その後は自分が邪神として拘束、または処分されてしまう。


(ティアには、もう立派な仲間がいる。こいつもその1人……)


覚悟など微塵もしてはいないが、タナトスは自分の大切な巫女のため、動いた。

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