凡人の地獄巡り2/3
ダンは、今すぐに空腹を満たしたいという食欲を理性で抑え、声をかけてきたと思われる亡者を見た。全身を蟲が這いずりまわり、身体中に空いた穴から次から次へと蟲が飛び出したり引っ込んだりしている。
「え、な、なんで」
「なんでもいいから。まずはその蟲を捨てて、俺の話をしっかり聞きやがれ」
ダンはわけも分からず蟲を手放したが、これ以上空腹を耐えることは難しい。すぐに他の蟲に手を伸ばしてしまった。
「よしよし、いい子だ」
目の前の亡者はそれを許さず、ダンの両手を掴んで持ち上げた。宙ぶらりの状態になったダンは蟲を拾うことはできなくなり、目の前の亡者の身体で蠢いている蟲に噛みつこうとしても、距離が足りない。
「お前、見た感じここに落ちてきた奴じゃねぇだろ?他のところから来た、違うか?」
この亡者は、蟲に身体を食い破られて悲鳴を上げ続ける他の亡者とは違い、身体に巣食っている蟲も数も違うのに、悲鳴を上げるどころか涼しい顔をしてダンに語り掛けている。ダンはそんな彼を見て、少しずつ冷静さを取り戻していった。
「……地獄を、巡ってます」
「地獄を?こいつはすごいな」
ダンは、ここに至るまでの道程を彼に話した。ダンがどれほど大変な目にあったか、それでも次の地獄に行かなければならないという話を、彼は静かに聞いてくれた。話をすればするほど、ダンの心は冷静に、穏やかに、何のためにここまで食いしばってまできたのかを、改めて魂に刻んだ。
「ここは、飢餓地獄といったところか?灼熱の太陽と砂に身を焼かれ、水分を奪われて、蟲の沼で血肉を貪る……ここの蟲はな、こっちから食べなければ、食われることもない。その腕、自分を食ってでも進んできたんだろ?お前なら大丈夫だ。我慢できる」
「……痛覚も意識も消えないのに、なぜあなたは……」
ダンは、疑問に思ったことを彼に問いかけた。彼は蟲に歪んだ口元をさらに歪ませ、笑いながら言った。
「俺は……慣れてる」
笑っているように見える顔だったが、その一言はどこか寂しそうで悲しそうだった。
その亡者はダンを沼の中心に連れていくと、おかしな形に密集している蟲たちを見せた。
「お前の言ってる扉ってのは、多分これだろう」
ダンなら大丈夫だと思ったのだろう。亡者はダンを下ろし、蟲たちがひしめくそれに手を突っ込んだ。密集している蟲たちはそれを嫌がったのだろう、手を突っ込んだ彼に蟲たちが襲い掛かる。彼の姿は、一瞬にして蟲の群れに飲み込まれて見えなくなってしまったが、声だけが聞こえる。
「何かのために頑張れるってのは、いいことだよな」
「……ありがとう!」
ダンは、蟲のいなくなった扉に手を伸ばし、それを開いた。瞬間、飢餓地獄の熱さとは比べ物にならないほどの熱風が扉の中から吹き荒れた。
『ギ!ギギギギィ!』
扉の近くにいた蟲たちはその熱で焼け死に、ダンの身体もすぐに火だるまになったが、そんなもの気にする時間もなく、扉の中へと飛び込んだ。焼け尽きていく蟲の繭の中から、ダンを助けてくれた男の姿が見えた。穴だらけになっている身体ではあったが、その笑顔はとても気持ちよく、どこか懐かしさを感じた。
ダンが次に訪れたのは、まさしく灼熱地獄。轟々と燃え上がり広がる地獄の炎に、身を焼かれ続ける。飢餓地獄で水分を奪われていたダンの身体は、本当によく燃えていた。
針山で擦り減った肉体は再生せず、呼吸をしようとすれば喉が焼け、何もしなくとも全身が焼け爛れる。ダンにとっては死ねないのが唯一の救いで、地面に張り付く皮膚を引き剥がしながら少しでも前へ、前へと身体を引きずった。
灼熱地獄では亡者の悲鳴は聞こえず、黒い肉塊からうめき声が聞こえてくるだけだった。ダンは自分の意識だけに集中し、ひたすらに這いずった。
そこからは早く、灼熱地獄の扉はすぐに見つけた。他の地獄同様、扉の近くに他の亡者はいるものの、その先の地獄に自分から進もうなどという者はいない。ダンはさっさと扉を開き、次の地獄に進んで行った。
次の地獄は極寒地獄。飢餓地獄や灼熱地獄とは違い、今回は熱くはない。が、凍てつく寒さだけがある。
灼熱地獄で爛れた皮膚はすぐに凍り、傷口には雪のようなものが付着していく。
唇や瞼がなくなったダンの身体を、鋭利な氷が切り裂く。あまりの寒さにすぐ止血できるのがいいことだろう。
慣れることのない痛みを我慢しながらダンは進み続けた。
烏合地獄では食べる身もなく、不味そうなダンは襲われず、恥辱地獄では、辱める身体もなければパーツもないとさっさと見送られてしまった。
そして、最後の地獄、無間地獄に通じる扉の前に、ダンは辿り着いた。
「ひゅ、か、かれふぇふぁいひょ(はぁ、こ、これで最後)」
癒着した皮膚を幾度も引き剥がし、ダンは腕の力だけで這いずる。しかし、完全に地べたを這いずることしかできない身体になってしまったダンは、ドアノブに手が届かなくなってしまった。
(どうする……)
自分が地獄に落ちてから、どれほどの時間が経ったのかわからない。躊躇うことなく急いで進んではいたが、それでも一週間ほどは経っているかもしれない。こんなところで時間を食ってはいけないのだが、ドアノブに手が届かないのも事実だ。
ダンはドアにしがみつき、なんとか立とうとしたが、足が完全に一つになってしまっており、うまくバランスがとれない。
(クソ……!)
「邪魔だ。行くならさっさと行け」
「ひぇ?」
ダンが知恵を振り絞っていると、目の前の扉が乱暴に開けられ、ダンはその中へと蹴り入れられてしまったようだ。ダンは、一瞬だけその亡者を目にした。眼と思えるところ以外が真っ黒。ただそれだけの、知らない亡者に、ダンは顔とは呼べない肉を歪ませ感謝し、意識だけが残った。
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