凡人への涙

「王城が見えてきましたね。あれが私達がお世話になっている国、イカロス王国です」


ミナミがそう言って指をさした方向には、お世辞にも豪華とは言い難い、石造りにいくらかのレンガで装飾された大きな城が見えている。

その下に、城壁、城下町、城壁の外にも田や家が密集しており、さらにその周りにも大きな外壁が築かれている。

広大な草原に建っているその国は、一見簡単に攻め落とされてしまうのではと皆が思っているが、それをジュウベエが否定した。


「イカロスの城を見てもらえればわかると思うが、王は自分自身にではなく、民にその財を分け与える。金ではなく安全の確保だったり税率を下げるなどな。

なにより、城壁はただの石だが、国全体を守っている外壁にはミスリルがふんだんに使われている。これも、自分の身よりも民を大事にしているからこそだ」


ジュウベエやミナミ、サキはイカロスの王がどれだけのお人好しかを知っている。この三人でなくとも、イカロスの王がお人好しなのは近隣の国も民も知っている。

それ故、イカロスに対して戦争や略奪をしようとする国もあるのだが、イカロスは未だ不敗の平和な国としても有名だった。


「王都には冒険者ギルドの本部があるしね。たくさんの強い冒険者がいるから。何より、私達十傑がいるから、攻め込まれようと負けはしないわ」


ミナミとジュウベエがイカロスの生い立ちや、なぜこんなに豊かなのかという話をしてくれてはいるが、その国に着くのはまだまだかかるようだ。

城が見えたと言っても、国の輪郭が見えるだけでまだ遠い。


『この速さならば、あと半刻ほどでつくだろう』


前を行くレヴィアを追いかけながら、ガロウスが言葉を発した。


「……ね、ねぇ、ダンは」


「ミチタカさん!!俺と組手の続きしてくれよ」


「あ、あぁ!よいとも!」


「ガ、ガロウスさん」


「ミナミ!俺達も軽く手合わせでもしようじゃないか」


「……は、はい」


「……」


ミチタカとゴンは組手を再開し、ミナミとジュウベエも軽い打ち合いをし始めてしまった。サキは俯くシシリーのことを気にしながらも、何も言わずお茶の用意を始めた。

皆がシシリーのことを気にかけてくれていることはわかっている。わかっているが、シシリーはその優しさに傷ついていた。


「ねぇってば!!!」


突然大きな声を上げたシシリー。皆は時が止まったかのように動きを止めたが、誰もシシリーの方を見ることはなかった。

沈黙が辺りを支配し、シシリーの荒い呼吸音だけが聞こえる中、ガロウスが口を開いた。


『どうした。小娘』


重く低い声に、シシリーは少し強張ってしまうが、ガロウスの声が優しさに満ちていることは知っている。


「ダンは……ダンはどうなっちゃったのよ……」


震える声でそう言うシシリーに、皆の視線が集まる。


『覚悟はしておけ。と言ったはずだ』


「でも、対話の試練は突破したんでしょう?!」


『あぁ。しただろうな。正直驚いた。何の取り柄もない凡人が半日もかけずに対話の試練を突破するとはな』


今から2時間ほど前に、ダンは対話の試練を突破した。その次の闘争の試練のため宵闇を投げ入れ、そこからさらに激しい音が響き続けた。

何かが衝突する手応えや、嫌な力が箱の中に充満していたのを、ガロウスは箱を持つ手から感じ取っていた。

そして大きな力がぶつかり合った後、箱の中は静かになり、それ以降箱の中で何かが動く気配はしなくなった。


『だからと言って第2の試練も突破できるとは限らない。第2の試練は文字通り殺し合い。どちらかが死ぬまで戦いは続く。そして決着はついた』


「へ……?決着?」


『仮にダンが第2の試練を突破していたとしよう。依り代を殺し、創龍を生み出せばこの箱の中から出てこれる。だがそれがないということは……』


「嘘よ!そんなの嘘に決まってる!!」


『覚悟はしておけと言ったはずだぞ小娘。心配するな。ダンはお前らを王国に連れて行ったあとで、龍王騎士達の墓場で丁重に埋葬してやる』


「そんなの嫌よ!!ダンが、ダンが死ぬわけ……サキちゃん!!箱に隙間を作って!」


「え、は、はい」


「私が行ってダンを助けるわ!!ダンならきっとまだ生きてる。動けないだけ」


『勝手なことをするな小娘!!!!』


大気が震えるほどの怒声に、前を飛んでいたレヴィア達も思わず振り返ったようだ。


『貴様は戦士の決意と覚悟を愚弄する気か!!』


「っ!」


『近くにいた貴様が一番、ダンの辛さをわかっているだろう。これ以上ダンを辱めることはこの暴龍王、ガロウス・グ・ドラゴニアが許さん!!……わかったら何も言わず大人しくしていろ』


「……っ……っ」


「シシリーさん……こっちに」


何もできない自分が悔しくて悲しくて虚しくて。シシリーは止め処なく涙をこぼしてしまう。サキはそんなシシリーを気遣い、寝室へと連れて行った。


「……ガロウス殿、イカロスまではあとどれくらいじゃ?」


『……もう目と鼻の先といったところだな。今しがた、レヴィル嬢からゆっくり飛ぶよう合図が出たが……おかしい』


「おかしい?」


ミナミは不思議そうにそう問い返した。


『龍が2匹、王国に向かって一直線に飛んでいるのだ。レヴィル嬢ならともかく、我のように巨大な黒龍を見て警報も聞こえなければ外壁に近衛兵すら出ておらん』


ガロウスが言っていることはもっともである。敵対するかどうかもまだわからないが、それでも万が一を想定して兵や伝令を走らせるものなのだが、それがない。

もしかしたらこのまま国を飛び越えるかもしれないと考えているのかもしれないが、それはさすがに楽天すぎる。


ミナミもこんなことは想定しておらず、窓から顔を出し前方を注視した。


「……っ!あれは!」


「ぬぉ!」


驚くような声を出したミナミにつられるように、何やら嫌な予感を感じ取っていたジュウベエも窓から顔を出し、同じように驚いた。


『二人して何を……む?あれは』


レヴィアを挟んでさらに向こう。お洒落でも豪華でもない石造りの王城の天辺。少しばかりレンガで彩られた屋根に、人影があった。

その人影は腕を組んで仁王立ちをし、レヴィアとガロウスを見据えているようだ。


「不味い!ガロウス殿!レヴィア殿と左右に散っ」


「喝ァァァァァァァァァァァァ!!!!!!」


ジュウベエが何かを言おうとした途端、砲撃音のように大きな声が空に響き渡った。


『な、何っ』


翼を動かし、空を飛んでいたはずのガロウスとレヴィアは、まるで金縛りにでもあったかのように身体が強張り、動けなくなってしまったようだ。それは背中に乗っている皆も同じようで、逃げ出そうにも逃げ出せなくなってしまっている。

羽ばたくことをやめさせられてしまったガロウスとレヴィアはそのまま真下に落下するはずなのだが、何かに引っ張られるように前へ前へと吸い込まれていく。


『あ奴、大気を掴んでいるのか』


それは、王城の人影の仕業のようだ。腰を低く落とし、右手を前に突き出し、何かを掴んで捻るように右の腰まで持っていく。


「不味すぎる」


『な、なんなのだあれは』


「|鳥落とし〈バード・プレス〉。名前のような可愛いものではなく、空気自体を掴んで殴りつける恐ろしい技です。逃げ場は、ありません」


全身が硬直する中、ミナミがそう言った。なぜジュウベエがいち早く気づき、ミナミが補足できたのか。それは、二人に近しい人物が龍の討伐をするときによく使っている技だからだ。


「あれは冒険者ギルド本部グランドマスター。俺達十傑のリーダーでもある。拳神バリオだ。殺す気満々ってところだな」


瞬間、とてつもない圧力がガロウス達を襲った。だがその圧力は大本などではなく、その後にくる衝撃が本当の攻撃であった。

動けないガロウスとレヴィア達。その攻撃を避けることは不可能。例え動けたとしても、攻撃の範囲が広すぎて致命傷を負うことは間違いない。


『衝撃に備えろ!』


咄嗟の判断だったが、ガロウスはそう言った。ガロウスとレヴィアが盾となり、少しでもムルト達のダメージを軽減しようとしたのだ。そんなことをしても全身骨折は免れないのだが、死ぬことはないだろう。

全員が、動かせない身体をさらに強張らせ攻撃に備えた瞬間、よく知る仲間の声が聞こえた。



「ダバン!!!グレゴリさん!!!頼む!!!」

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