凡人ーダンー

ダンの頭上から落ちてきたのは、まるで夜空のように黒い剣。見覚えのあるそれを躊躇うことなく掴み、目前に構えると、ジェラスはそれがただの剣ではないということを感じ、すぐに足を止めた。


「なんで宵闇が」


ダンが試練を受ける前に、自分がもっとも信頼しているパートナーに渡したものが、頭上から降ってきた。箱の外で何か指示があったのかもしれないが、友から譲り受けた宵闇があるというだけで、勇気が湧いてくる。


『ダンよ、一筋縄ではいかぬぞ』


横を見ると、いつの間にかダンの横でキラキラと光る球体が浮かんでいる。そこから聞こえたのはミチタカの声。少し驚いたが、その光は先ほどダンに協力を申し出た者たちがひとつになったものだとわかった。


『そら、くるぞ』


『グルアアァァァ!』


ジェラスはただの突進だけではなく、巨大な爪を振りかぶっているところだった。


『ひ、左腕、前にだして』


次に聞こえたのはダバンの声。宵闇を握っている方ではなく、何も持っていない方の腕を前に出せば、ジェラスの大きな爪で引き裂かれてしまうことは容易に想像できたが、ダンはダバンの言葉を信じ、腕を前に出した。


「なっ」


鈍い音と強い衝撃がダンの腕を襲ったが、ダンの腕は引き裂かれていなければ痛みもない。

青い触手が、ダンの腕を守るように幾重にも重なり、覆っている。


『止まるな、次だ』


堅固の男の声が聞こえ、ダンはすぐに横に避けた。瞬間、ダンの居た場所にジェラスの巨大な足が振り落とされていた。


『クソォ!ちょこまかとしやがって!』


一撃でダンを仕留めきれなかったのが悔しいのか、ジェラスはイラつきながら続けて言った。


『剣を持ったからなんだ?他の奴がお前についてるからってなんだ?調子こいてんじゃねぇぞ!』


ジェラスは身体を低くし、またもや突進の構えをする。それは先ほどのただの突進ではなく、紫色の影が強まった突進。スピードも先ほどまでとは比べ物にならなかったが、次は強欲の少年がダンへ呟く。


『僕の力は、相手の力を奪って弱体化させること』


「っ!」


ダンはすぐに左手を前に出し、それをジェラスに向けた。


『チッ!』


すると、ジェラスを覆っていた紫色の影が弱まり、スピードが一気に落ちた。


『私の力は、力を与えること。それは自分から人へ。自分から自分へもできるわ』


『俺の力は、身体が丈夫になる。それだけだ』


色欲と堅固の声が聞こえ、ダンは自然とその力の使い方を理解することができた。

ダンの身体をピンク色の光が包み、ダンの力が純粋に上がったことが分かった。

そのまま突進してきたジェラスを左手で受け止めた。普段のダンならこの突進で四肢が散るはずなのだが、色欲の強化、堅固の膂力、ガロウスの加護によってそれを回避することが出来た。


『ボ、ボクは力、だけ』


「ありがとう!モブくん!」


赤い光が宵闇に流れ、宵闇が赤黒くなる。ダンは受け止めたジェラスに向かって剣を振り上げた。


『ちぃ!!』


ジェラスは高速回転しながら飛び上がり、その攻撃を避けた。そしてそのまま空中で口を開き、力を溜める。


『調子に……のるなぁ!!』


ジェラスが放ったのは、紫色のブレス。頭上から放たれた広範囲の攻撃を、ダンが避けきれるはずがなかった。


『僕の力は、吸収だよ。恐れないで』


暴食の青年からそう言われ、ダンは構えていた宵闇を下げた。紫色の炎がダンは包み込み、周りを焼き尽くしていく。結界内で起きたことは箱自体にダメージを与えないはずなのだが、ジェラスの力が強大すぎるのか、地面は少し焦げてしまっている。


「次はこっちからいくぞ!!」


『なにっ!!』


そんな炎の中で、ダンはピンピンとしていた。身体は焼けておらず、ダンの周りの地面だけが何かに拭き取られたかのように綺麗だった。そこからダンは駆けた。そのスピードは桁違いに速く、一瞬でジェラスの目前へと迫っていた。

それもそのはず。吸収があるということは、放出もある。そしてダンが吸収した嫉妬の力は、スピード。


ジェラスを倒すために頭上に振り上げた宵闇。

強欲の罪でジェラスの身体能力を下げ、色欲の罪で身体能力を上げ、暴食の罪で相手の能力を奪い、嫉妬の罪でスピードを上げ、憤怒の罪で剣を覆い、堅固の徳とガロウスの影で膂力を補う。


そもそも、龍王騎士の試練自体、こんなにもはっきりした素材の元が出てくることなどなく、こんなにも複数の力を扱えるはずもなく、力を制御する前に身体が崩壊する。それを成せているのは、信仰の徳とハイエルフであるミチタカのおかげなのだが、こんなにも強大な力に囲まれながらも自我を失うことなく戦えているダンの想いが一番強いのかもしれない。


確実にジェラスに一撃を加えられるその瞬間、ダンの耳元へ正義の徳の声が聞こえた。


『僕の力は、正義。君の正義が、君の想いが、強ければ強いほど何でも切れる刃になる。さぁ、君の正義は、どっちだい?』



ダンの宵闇が金色に輝いた。眩いほどのその光は結界内を照らしている。その光の大きさこそがダンの想いの強さ。


「うおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


ダンは叫びながら眩く光る宵闇を振り下ろした。


『クッソオオオオオォォォォォ!!!!』


叫びは結界内に虚しく響き、剣の輝きはジェラスの頭から入り、下顎から飛び出した。大きな音を立ててジェラスは地面に落ち、ダンもそのまま着地する。


『……でも正義がなければ何も|切れない〈・・・・〉鈍らになる』


『ハッハッハッハッ』


「はぁ……はぁ……はぁ」


地面に横たわり、短く呼吸をする|無傷〈・・〉のジェラスを見据え、ダンは何を考えているのだろうか。


「やっぱり、こんなのは、違う」


金属の落ちることが結界内に響き、ダンは力なく膝をついた。横に浮かぶ光からは、問いかけの言葉がダンに投げかけられていた。


『こんなのって?』


「力で、|服従〈・・〉させる、こと」


『でも、君は誰にも負けない力が欲しいんでしょ?僕の力を使えば君は誰にでも勝てるんだよ』


「俺は勝ちたいわけじゃない。|守り〈・・〉たいんだよ」


『守る?だったらやっぱり殺すしかないじゃないか!!』


『そこまでにしておけ、狂気の勇者、ユウト・カンザキ』


「狂気……?」


『ユウト・カンザキ、転移者にして過去最強の勇者。その武勲は数多く、その中でも一番有名なのは邪神の封印。ですがその後、大量の……』


『いいよ。僕が一番わかってる』


堅固と信仰が続けるようにそう言うと、正義が止めるように話を切った。


『そこの勇者が言うみたいにさっさと俺を殺したほうがいいぜ?それでこの試練は終わりだ。簡単だろ?』


「俺は、お前を殺したくない。ジェラス、お前は本当に俺の力になってはくれないのか?」


『はっ!!人間なんかと手を組むなんざ、死んでも御免だ!!てかお前、殺さないって!お前は力が欲しいんだろ?もしも自分の大切な仲間が殺されても、殺さないなんてほざけるのかよ?』


「いやいや、それは殺す」


『はぁ?!』


何やら空気の重い話をしていたはずなのだが、明るく殺すと言ったダンの言葉に、ジェラスは変な声で驚いてしまった。


「そりゃそうだろ。仲間が殺されたら殺すさ。でも、俺が欲しいのは守る力。仲間が殺されないようにする力だ」


『じゃあ、俺を殺してさっさと力をつければいいだろうが。協力してくれるやつはそんなにいるんだからよ』


「お前は俺の仲間を殺してもないし、俺も殺されてない。それに、お前もこれから仲間になるんだ。仲間を殺すわけないだろ」


『俺が、仲……間?でもお前、俺を殺さないとここから出れないんだぞ!!』


「んー……それは困るけど、そん時はそん時だ!!仲間を殺さなきゃならねぇんなら、俺はこっから出れなくていい!!」


ダンはジェラスの隣で大の字になった。先ほどまで殺し合いをしていた二人だったとは思えないほどに、ダンは警戒をしていない。頭の後ろで手を組み、無防備に天井を見上げている。


「……外のあいつらもわかってくれるだろ。それに、1人じゃねぇから餓死するまで退屈しないからな!」


ダンはこのまま、自分が死ぬまでここから出れないことを悟っていたが、その口から出たのは能天気にも聞こえる言葉だった。


ジェラスはそんなダンを見て、大きな口で笑った。


『はっはっはっは!!出れなきゃ死んでも構わねぇ、1人じゃねぇから退屈じゃねぇって!お前、バカだな!』


「は、はぁ?!別にバカじゃねぇよ!」


『ダンはバカじゃ』『バカだな』『バカね』『バ、バカ?』『アホ?』『クスクス』


「ちょ!みんなも言うのかよ!!くっそ!口きいてやんねぇぞ!」


『フフ、そうなったらダンさん、退屈しちゃいますよ?』


「あ、そうだ!やっぱ今のなし!!お願いします!俺とお話してください!!」


『『『はははははは!!』』』


殺気というものが全くなくなり、まるで久しぶりに顔を合わせた友人達が酒場で笑い話をしているかのような空気だ。


『……お前に使われるのも、悪くねぇかもな』


「は?使わねぇよ!言っただろ?力を借り、る……って……」


呟いたジェラスに顔を向けると、そこには額に傷を負った大きな紫色の狼が座っていた。それがジェラスだということにすぐに気づいた。よくよく見れば、ひとつの光になっていた他の者達も、初めのように横に並んでいた。初めと違うのは、それが影ではなく、顔も姿もはっきりと見えるようになっていること。


「へ?ど、どうなって?」


困惑するダンだったが、これから生涯世話になる話し相手なのだ。姿が見えた方が良いに決まっていると、勝手に納得したが、そんなダンを無視するようにみんなが喋り始めた。


額に大きな傷がある紫色の巨大な狼。

『嫉妬の大罪、ジェラスだ』


全身が血のように真っ赤なミノタウロス。

『憤怒の大罪、モブ、だよ』


結界内に収まらないほど巨大な身体を持った青い怪物。

『お、おでは、怠惰の大罪、ダバン』


豊満な胸をさらけ出してはいるが、どこか上品なドレスを着た女性。

『色欲の大罪、リリ。坊やには期待するわね』


タキシードを着た、豚鼻の金髪の青年。

『暴食の大罪、グンピル』


ずっと俯いている少年。

『強欲の大罪……フォル』


筋骨隆々の男。

『堅固の徳、グレゴリ』


修道服を着た女性。

『信仰の徳、モニーです』


煌びやかな鎧を着ている青年。

『正義の美徳、ユウト』


『儂は、こっちじゃな』


声はミチタカだが、服と姿が全くの別人だった。ミチタカはダンの後ろに行き、誰かの横に立った。ダンが気配を感じ後ろを振り返ると、そこにはガロウスが腕を組んで仁王立ちをしていた。


「ガロウス、さん……?」


少し考えれば、それがガロウス本人ではなく、他の者たちのように影が像を持ったものだと理解できるのだが、ダンは姿を見ただけでいくらか安心した。


『剣を前に』


ガロウスはダンに一瞥もくれず、短くそう言った。ダンは言われるがままに宵闇を前に出すと、目の前の皆が呆れつつ笑いだす。


『おいおい』『ふふふ』『ははは』『クスクス』『ぼはっぼはっ』『……っ』『くくく……』


「え?……あ!!」


ダンは少しだけ、なぜ自分を見て皆に笑いながら呆れられているのかわからなかったが、何かに気づいたようで、ダンのその様子を見た皆が『よし』という顔をし、ダンの宵闇に手を添えた。


「俺は凡人だ!特別な力は何もない!ただのダンだ!皆、これから世話になる!」


元気にそう言い放つダンに、皆はまた笑い、消えていった。

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