月の女神
これは古い古いお話し、優しく美しい女神と、優しく気高い男神の悲しい恋の話
後ろ姿だけで絶世の美女だとわかるような女性が、小高い丘の上で座って空を見上げている。
その女性に後ろから近づく、男の影があった
「やぁアルテミス。また月を見ているのかい?」
後ろから突然話しかけられ、驚いた女性であったが、その声の主が誰かわかると、すぐに屈託のない笑顔を見せ、元気に答えた
「オリオン!こんばんわ。えぇ。今日も月を、ね」
「まだ月を撃ち落とすつもりかい?」
「それが目標だもの。……手が届かない場所にあるアレに、私は少しでも触れたいの」
哀愁を漂わせるように彼女は呟いた。
これは、狩猟の女神アルテミスと、神の子の狩人オリオンの話である。
「月に触れたいのだったら、セレーネにお願いすればいいんじゃないかな?」
「嫌よ。姉さんにお願いしないで、自分の手で触れたいのっ」
アルテミスは立ち上がり、パタパタと土を払い、どこからか出した美しい弓をとり、矢を番えた。
弦を振り絞り、天空に浮かぶ月めがけ、それを放つ。
真っ直ぐに飛んだ弓は空を登り、小さな星のように見えなくなってしまう
「どうだった?」
「届かなかったわ」
「だろうね」
オリオンは、はにかみながらアルテミスにそう言った。アルテミスは機嫌を損ねたのか、頬を膨らませ不貞腐れる
「いいよーだ。どうせ私は月を射抜くこともできない狩猟の女神よーだ」
「月はさすがに無理でも、アルテミスはすごい狩猟の女神でしょ、今日も僕と対決する?」
「どうせオリオンが負けるんだからやったってつまらないわよ。負けて楽しいの?」
「僕は勝つために練習してるからね。さっ、いこ」
「うんっ」
アルテミスは笑顔でオリオンの後をついていく。
これはいつもの日課だ。
自分の矢が月に届かず不貞腐れているアルテミスを、オリオンが狩猟の勝負を持ちかけ、アルテミスが勝利する。すると、アルテミスはご機嫌に戻るのだ。
オリオンだって負ける気で勝負をしかけているわけではないが、さすがは狩猟の女神とゆうべきか、オリオンは全敗している。
「今日も私の勝ちね!」
「アルテミスには敵わないよ」
「でも諦めちゃダメよ!努力をすれば必ず報われるわ!」
「神に伸び代があるかと問われれば、疑問な点ではあるけどね」
笑顔で談笑をし合う2人、神だということを知らなければ、仲睦まじいカップルだと思えなくもない。
いや、2人は愛し合っているカップルなのだ
★
「アルテミス、またオリオンと会っていたのか」
「えぇ。でも兄さんには関係ないことでしょ?」
「関係ないものか、妹を脅かそうとする男を俺は許すことはできない」
「アポロ兄さんはいつもそう!私のことを大事にしてるようで縛っているだけよ!」
「アルテミス!聞け!」
アルテミスはそんな言葉を無視しながらどこかへと行ってしまう。
「オリオンめ……妹を誑かしおって……殺してやりたいが、神殺しは神界ではご法度だからな……いや、オリオンを殺したところでアルテミスにすり寄ってくる男は多い……そうだ。これだ」
アポロは何やら悪巧みをしているようだった
★
「やぁアルテミス。また月を見ているのかい?」
「あらオリオン、またそれ?いつも言ってるでしょ。私は月に触れたいの」
「セレーネに」
「それもいつも言ってるわ。姉さんには頼みたくないの」
「そっか。セレーネが触らせてあげる。って言ったら触りたい?」
「……姉さんがそう言うのなら、触ってあげなくもないけど」
「そうか」
「それよりオリオン、あなたが日に日にここに来るのが遅くなっていくわね」
「あぁ……そうかもしれないね。色々やることがあって」
オリオンは少しだけ焦ってしまったが、すぐに笑みを浮かべる
「そう。何をやっているかは聞かないけれど」
「そうしてくれると助かるよ。よし、今日も狩猟勝負だ!」
「ふふふ、今日こそ私に勝てるかしら?」
「やってみなきゃわからないよね!」
今宵も2人は愛を確かめた。
★
「アルテミス」
「アポロ兄さん、話しかけないで」
毎日のように小言を言われていたアルテミスは兄、アポロの話をまともに聞こうとしていなかった。
「いいのか?オリオンのことだが」
「……何よ、また別れろって言うんでしょ?」
最愛の人の名に足を止める。
だがアルテミスは予想できた。
別れろだとか、他にいい男がいるだとか、俺が認めた男しか認めないだとか、毎日毎日同じことだ。だが今日は違った
「オリオンのやつ、最近何かおかしいとは思わないか?」
ドキりとするアルテミス、よくよく思い出せば、少しだけ不安な点はあった。
いつも同じ時間に丘にくる彼は、最近日に日にその時間が遅れている。
アルテミスにとってオリオンがそうであるように、オリオンにとってもアルテミスは最愛の人物なのだ
「あいつはいつもおかしいわよ。負けるとわかってて私に勝負を挑むし、海を歩けるくせに泳げないし、狩人なのに動物やモンスターにも優しいし、それにそれに」
「いやいや、違う。様子がおかしいと言っているんだ」
アポロンはアルテミスの言葉を遮ってそう言った
「よ、様子って?」
「アルテミス、お前はいつも丘の上で待ち合わせをしているな」
「え、えぇ」
「オリオンは最近待ち合わせの時間に間に合っていないのではないか?」
「……それがどうしたのよ」
「おかしいとは思わないか、不本意ではあるが、お前はオリオンを愛している。そしてオリオンもお前を愛している。愛している女が待っているのにそれに遅れるというのはおかしいとは……思わないか?」
「……用事があるって言ってたわ。オリオンは狩人だけど、私達と同じ神よ。人間を導いたりすることもある。いつも時間に間に合うのもおかしい話だったのよ」
「そうか……それはおかしな話だ。俺には人間を導いていたとは思えないが」
「何の話よ」
「いやいや、この間たまたまオリオンを見かけてな。その時、女と話していたんだ」
「女と?」
「あぁ。それも楽しそうに笑いながらな、よほど仲が良いように見えたぞ」
「それは、本当?」
「あぁ。なんなら、自分の目で確かめるといい。だが、あいつも神の1人、近寄ってはバレてしまうだろう」
「……」
「場所は俺が見つけといてやる。明日の晩、俺についてこい」
「……えぇ」
その顔は、絶世の美女とは言えないほどの憎しみがあった。微かに残る美しさは、何かを壊してしまうほどに美しく、いつもの優しいアルテミスは、最早いなかった
★
そして明日。アルテミスはアポロンに連れられ、どこかの砂浜へときていた
「見えるか?」
太陽のように輝く何かが見える。それは、アポロンがあらかじめ魔法でオリオンにつけていたというマークのようなものだ。
眩しいほどではないが、そこにいることはしっかりとわかった。
オリオンと、オリオンと話している女性にバレぬよう、アルテミスの矢が届くギリギリの場所に2人はいた。
アルテミスはオリオンと話している女性が誰だか見えなかったが、それでも2人が楽しく談笑し、握手を交わし、抱擁をしているところを目撃する
「憎いか」
「えぇ」
「殺してやりたいか」
「えぇ」
アルテミスは矢を番えた。
弦をキリキリと絞り、アポロンがつけたマーク、オリオンの頭を狙う。
アルテミスが矢をギリギリ当てられない距離にオリオンはいた。だがアルテミスは狩猟の女神、風を、空気を、全てを読み、確実にその矢がオリオンに命中することを確かめる。
アルテミスの頭の中に、神殺しというタブーを犯してしまうという考えはなかった。
愛した男が他の女になびき、自分を捨てたこと、その恨みと憎しみしかなかった。
「さようなら、最愛だった人」
矢が風を切り、弧を描くようにオリオンへと向かう。
矢がオリオンに刺さる瞬間、オリオンはその矢に気づいた。だが、遅い。
アルテミスの放った矢は、オリオンの眉間を確実に射抜いた
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