骸骨は重なる
一瞬固まってしまったが、俺は椅子にかけるのをやめ、片膝をつき、頭を垂れる。
「か、数々の無礼、心から謝罪する」
『あらあら、そんなこと気にしてないけど、どうぞおかけになって』
「いや。私の心の拠り所である月のあなた様と同じ席につくこと自体が烏滸がましい」
『あら、それは私の判断が悪いってこと?それとも私とは同じ椅子に座って話したくない?』
「そ、そんなことは……」
そんなことはあるはずがない。日々見惚れ、敬愛してきた月。その本体であられるアルテミス様と言葉を交わし、このような場に呼ばれている。それだけでも最上の喜びである。
『さぁ、座って。ずっとあなたと話がしてみたかったの』
「……そ、それでは失礼す、します」
『うふふ、いいのよ。ありのままのあなたで。かしこまらないで』
「す、すまない。モンスターゆえ、常識というものがなくてな……」
『うふ、本当に面白い。あなたは生まれた時から面白いスケルトンだったわ』
「お恥ずかしい……」
『あなたは周りのスケルトンとは違っていて、見ていて楽しかったわ』
「最初期のことは覚えていなくて……あなたは」
『アルテミスって呼んで?』
「アルテミス……様は、私のことを知っているのですか?」
『うふふ。知っていますよ。あなたが生まれた頃からね。生まれた頃のあなたは、周りのスケルトンと同じで、自我を持たず、ダンジョンに入ってきた冒険者を襲うただのモンスターだった』
自我を持たずにその場で立っている。俺が知っているスケルトンの行動だ。
『でもね。ある日あなたがダンジョンの大穴で立ったまま夜になってね。その穴から覗く私に気がついたの。周りのスケルトンは前を向いて立っているのに、あなたは顔を上げて私を見上げていたわ。その日から、あなたは夜になると、自分が立っていた場所から移動してきて、いつも大穴に来ていたわ』
恐らく、そんな日が続いた頃に俺に自我が芽生え始めたのだろう。まだろくにものを考えられなかった頃、あたりが暗くなった頃にふと大穴の方へと向かいたいと思うようになり、月を日々見続けたのだ。
『あなたは、毎日私を慈しむように見ていたわ。あれは何を考えて私のことを見ていたの?』
「何を考えて……ただ、ただただ美しい。そう思っていた」
『それだけ?』
「あぁ。月を見て、美しい。その一言に尽きる」
『うふ。お上手ね』
「?す、すまない」
『謝らないでいいのよ。そういえばあなた、ダンジョンを出てからも私を見続けてくれたわよね。この街についてからも、1日も欠かさず』
「アルテミス様は私の心の拠り所。あなたのために生き、あなたのおかげで生きている」
『うれしいわ。あなたと話せて楽しい』
「こんなモンスターと話せて……楽しいか?」
『嬉しいわよ。あなたは他のモンスターとは違うの。優しく、勇気に溢れている……あの人を思い出すわ……』
「あの人?」
『あ、いいのよ。気にしないで。ところで、その剣はどうかしら?』
アルテミス様は、俺の腰に差している月光剣ナイトブルーを指差す
「とても使い勝手がいい。そして美しい。これはアルテミス様が授けてくださったものだろう?」
『はい。その通りです。よかった。あなたは見聞を広めるために遅かれ早かれダンジョンから出るとは思っていたの。それがせめてもの助けになれば、と』
「とても使いやすい。心からの感謝を」
『いいのよ。その剣はまだまだ育っていくわ。あなたと共に、ね……』
「ふむ。大事に致す」
『そろそろ……時間ね。あなたと話せたこと、とても素晴らしかったわ』
「それはこちらも同じこと。ありがとう」
『月の教会へくれば、また私と会うこともあるでしょう。ですが、あまり長くは話せない……と思います』
「十分です。話せずとも、日々あなたを想い続ける」
『うふ。嬉しいわね……最後になにかしてほしいことはある?』
してほしいこと……抱きしめてほしい……それはダメなのだろうか。
俺はそんなことを考えたが、すぐに辞め
「……名前を、つけてはくれないだろうか?」
『名前?』
「知り合いのエルフが言っていた。名前は、自分がつけてほしいと思える人につけてもらうと良いと。あなた様以上につけてほしいと思える人には会えない……と思う」
『お安いごようよ……そうね……』
アルテミス様は腕を組み、目を閉じ、考えている。その姿すらも高貴に見える。
『ムルト……というのはどう?』
「ムルト……いい。いい響きだ。気に入った」
『ムルト、またあなたと話せる時がくるでしょう。最後に確認しておきたいのだけれど……人間は好き?』
「好きだ」
『そう。それはよかった。だけど、人間も良い人だけではないわ。悪い人もいる。そんな人にムルトは傷つけられるかもしれない。それでも、人間全てを嫌いになってほしくないの』
「それなら安心するといい。モンスターは悪いものばかりだと言うが、私のようなものもいるのだ。自分で言うのも恥ずかしいが……
ならば人間もそのようなものがいるとは思っている。心配はいらない」
『本当にムルトは、優しいのね……』
「それほどでもない」
『ありがとう。あなたと話せたこと、本当に楽しかったわ。また、ね……』
俺の体が光の粒子になり消えていく。アルテミス様は笑みを浮かべながら手を振っていたが、その目には涙を溜めていた。
★
目の前からムルトが消え、真っ白な空間には絶世の美女、アルテミスのみが残る。
『本当に、楽しかった……』
それは、もうこの場にいない彼へと投げかけられた言葉だろう。アルテミスは心の底から楽しんでいる。昼夜問わず争っている人間を、彼女は日々見ていた。
時には自分を信仰している教会の人間を守るために神託を下す。
それでも争いの火は消えず、襲われ、憎しみが憎しみを呼び、自分を信仰していた人間までもが争いを始める。そんな人間を幾度となく見た彼女は、とうとう人間に愛想を尽かし始めていた。
その日、彼女はいつものように人間の戦いを見ていた。そしてある日、その中で一体。ただ自分のことを見つめるモンスターがいた。
彼は自我を獲得し、知恵を得て旅をし、とうとうここまで辿り着いた。
彼女に会いにくるために。そんな彼に、彼女も会いたかった。
『オリオン。あなたにも……会いたいわ……』
今は亡き彼を思い出す。
『ムルト。あなたに感謝と、心からの祝福を……』
独りぼっちに戻ってしまった彼女は、人知れずに頬を濡らす。
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