第四章 世界の求めかた(5)


    ◯


「ゲーム理論の問題だ。いいか? タカハトゲームというルールがある。


・得られる最大のえさ(利得)を10とする。


・プレイヤーはタカ戦略とハト戦略を選び、えさをうばう。


・タカ派ならこうげきしてうばり、ハト派ならじようしてえさをゆずる。


 このような条件で、タカとハトの利得表はこのようになる」



【利得表⑤を参照】



「ハトとタカならタカが勝つ。しかし、タカ派同士が出会えば、えさは半分でしかも傷つく。ハトは争わないからタカと出会えばなにも得られない」


「つまり、わたしたちはハトだと?」


じようをするなら、そういうことだ。タカに会えばうばわれるしかない」


「生き残るには、ハトと出会うしかない。けれど、この世界のどこを向いてもタカばかりです。わたしたちは羽をむしられて飛べなくなるのを、ただだまってれろということになってしまいます」


「まったくそのとおりだ。タカに会えばむしられるだけ。かといってハトの姿はまったく見えない。ぼくたちの周りには強いやつばかり、このじようきようならだれもがタカになる。──だけど、だ。だからこそぼくらが生き残るんだよ」


「どういうことですか?」


「いいか? ハトとタカがそれぞれ1しかいないなら、タカが全てをうばっていく。しかし、プレイヤーが増えたらどうなる? タカハトそれぞれ2なら、タカはハトから20うばう。しかし、タカ同士で傷つけあう時も増える。しかしハトの取り分は一だけだった時より、5増える。


 もしもタカだけが増えたら? 3羽なら? 4なら? ──?」


「……タカが多すぎれば、マイナスが増えてタカは生き残れません。ハトだけが生き残ります!」





「そのとおり。この国の周りは敵だらけだ。だけどうれしいことに、敵同士もまた敵対関係にある。進化ゲーム理論によれば、タカ戦略ばかりのプレイヤーというわけだ。では、その中で最大の適応度を得るには──ハト戦略を取ってしまえばいい。


 ぼくたちは相手と戦わない。えさをうばい合わせて、タカ同士で戦ってもらう。つまり、タカでもハトでもなく、必要なのはゲームの席とえさだけだ」


「具体的には、何をするのですか?」


「20万や40万じゃない。やつらに、100万フィセターくれてやるのさ。だってそうだろ? オルデンボーの議会は。だから血船王の意向がどうでも、ふっかけた以上の額を見せたら喜んで食いつきに来るさ」




    ◯




 進化ゲーム理論による適応度。それがこうしようをがらりと変えた理論でした。


「い、いや、だとしても、100万ははらえるはずが……」


 デュケナン司教が苦しげに言います。わたしはうなずきました。


「ええ、まったくそのとおりです。心苦しいことでしたが、フィセター銀貨100万枚をぽんとはらえる財力はファヴェールにありません。


 ですから、ぶんかつで、とお願いしました。休戦協定の間、一年間に20万ずつおはらいする、という条件でもオルデンボーの議会は承知してくれました」


 これは、わたしがナオキさんに提案したお給料の話と同じことです。ただ、規模が大きいだけで。


「! ……そうか、あえて増やすことでぶんかつを認めさせたのですな」


「かわりに、イェーセンからもアルマ地方からも、オルデンボーには兵を退いてもらいました。領地かつじようあきらめていただくのは少し難航したようですが、ちゆうかい役のエイルンラントとベネルクス連合の両国は、オルデンボーの貿易をふうすることまでほのめかしてくださったとかで」


「完全に大国のきようはくではないか!」


「まったく、おそろしいものです。ちゆうかいたのんだとはいえ、わたしが大国のやりように口をはさめるはずもないのですが……もう少し、おだやかに進められるようになりたいものです」


 オルデンボーの議会は、おどされないと動かなかったそうです。しかたありません。


 無念に思うわたしの前で、デュケナン大司教が机の上に出した手を強くにぎり、ぶるぶるとふるえるほど力をめています。


「……アルマ地方から兵を引き上げたのは、このためですな!? 勢いづいて戦線を拡大した血船王は、さらにようへいをおやといになられた。戦争につぎこむ予算をさらに無心してきたことに、議会は難色を示して……ここへ来てあの大国に貿易を差し止められては、戦いどころか財政のたんを招いてしまう!」


「さすがは老練な知識をお持ちです。ファヴェールの評議会にも、すぐにそうと理解してくださるかたは多くはありませんでした」


「し、しかし、ぶんかつとはいえ、フィセター銀貨20万枚をはらい続けるなど、ファヴェールにはないはず……じゆつだまされるものか! いまからでもそんな約束に飛びつくようなまねをやめるように言えば──」


「人を師みたいに言うな。ちゃんとはらうもんははらうよ」


 パタンととびらを開けて、ナオキさんが部屋へと入ってきました。デュケナン大司教がぎょっとして立ち上がります。


「ま、じゆつ……!」


 ろうそうたいして、ナオキさんはいつものゆうゆうとした態度で告げました。


「そんなこわがるなよ。じゆつなんてただのあだ名だ」


 大司教の反応を不満げにとがめたナオキさんの言葉に、ろうの顔がいかりに赤くなります。


「わ、私めがお前などおそれるか!」


「じゃあ落ち着いて聞けよ。いいか? プレイヤーはみんな自分の利益優先で動く。まずエイルンラントとベネルクスが、貿易のために外洋でファヴェールの味方になる。そしてオルデンボーのりやくせんだが、貿易のじやをすればばいしよう金がはらわれない。だからこれからはファヴェールをおそえないだろう。


 ということは、これまで貿易のさまたげになっていたりやくせん問題の大半が片付くことになる。では、どうなると思う?」


「ど、どうなる、と言うのだ……?」


「輸送船団のうち、軍船の数を減らして輸送船を増やせる。直近のオルデンボーを無視できるなら、輸送力はいまの1.5倍以上になる。なにせ周辺海域の危険がぐっと減るんだ」


 わたしたちのがいさんでは、軍船として配備されていた船の半分以上は輸送船にしてしまえます。


 その計算に、大司教が息をんで聞き入っていました。


「なんと……!」


「ファヴェールの鉱物資源による収入はいまは年間でフィセター銀貨5万枚くらいだ。これが4ヶ月で8万枚まで増やせるメドがたってる。


 そのあとは、りやくせんや関税について不安の無い貿易だ。どんどん設備投資をして、輸送量と生産力を高めれば、毎月4%くらいは増産が可能と試算できてる。毎月4%の複利計算だと、8万枚が20万枚になるのにかかる時間は、わかるか?」


「4%……あ、ええっと……1年で48%……」


 デュケナンの答えに、ナオキさんは首を横にりました。


「それは単利計算だ。言っただろ? 複利計算で増える。1ヶ月後は104%だが、2ヶ月後には108.16%になる。


 およそ2年で、20万をえる。5年もかからない。3年目には32万をえる。20万を引いても、いまの5万の倍以上の収入が入るようになるってことだ。4年目で52万以上。5年もすれば84万だ。


 もちろんその間、鉱山や輸送業で働く人間には給料をはらって、ぐーるぐる経済を回してもらいながら、という状態でな」


「な……!?」


 最後のたのみのつなをあっさりとられて、デュケナン大司教は顔じゅうを歪めます。


「戦争前より敗戦後のほうが収入を上回る、だと……!? そんな、そんなことがありうるものか! これでは、まるでファヴェールのいくさではないか! ふざけている!」


「あんたがやってくれたことほどふざけちゃいないだろ。としを取り、カッとなりやすくなってないか?」


「無礼なことを言うな! 私は大司教なるぞ!?」


 その取り乱す姿を見て、わたしはほっと息をきます。


「ああ……ようやく年寄りぶって非礼をごまかすことをやめてくださったようですね」


「なっ……!」


 デュケナンが、絶句してわたしを見ています。ちょうどいいので、用件を告げることにしました。


「あなたのちゆうかいはもはや必要ありません。いまだ水面下の話ではありますが、もうすでにこの戦争は話がついています。


 今後は、あなたが王宮に出入りすることを禁じます。あなたは司教領のへんかんを求めた。くにの領地に野心あるような人物がここに立ち入ることを、わたしは許しません。


 今日あなたを呼んだのは、それをお伝えするためです」


 告げられた内容に、目をいたろうえます。


「わ、私を追い出すつもりか!?」


「そのとおりです。本来なら、今日こうしてあなたに会うこともえんりよしたかったほどです。ただ、ひとつだけ、たずねておきたいことがありましたので、最後に目通りを許したのです」


「なにが……きたいと?」


 まるでそれが最後に残された希望であるかのように、なまつばんでおそるおそるたずねてきます。


 とんだ誤解です。


「わたしがあなたにきたいのは、ひとつだけ。──?」


 ただ単に、おくそくではなく事実としてそうなのか、ということを白状してほしいだけでした。


 しばらく、ちんもくの時間が過ぎます。


 やがて、デュケナンがみをかべました。


「……びょ、びようしようの陛下に、取り入ろうとしたのは事実です……。し、しかし、私めは、陛下のりんれることがおそろしくて、ただひめと陛下の間に立てればと……!」


 それは、とてもくつみでした。


 部屋に入ってきた時の、自信満々ではつらつとした様子はどこかへ消し飛んでしまったようです。


「そうですか。……それでは、もう結構です」


 ナオキさんを見ると、かれはうなずいて部屋の出入り口のほうをかえります。


「もういいぞー」


 その呼びかけで、がちゃりと金属質な足音を立てて入ってきたのは、そうれいそうしよくいろどられたかつちゆうをまとうたちです。


しん殿でん団……な、なぜじゆつしん殿でんを呼んでおるのだ?」


 うろたえるデュケナンに、ナオキさんが悪いみをかべました。


ぼくは数字をあつかうのが得意でね。くなられた陛下の使用人たちからちよう簿を預かって、あんた関連の収支だけをまとめたんだ。


 それを教会本部に少し問い合わせたら、とても興味を持っていたよ。どうやらあんたが教会に報告していた金額と大きくちがうらしくてね。なんでも、教会法では横領は死罪にあたいするって決まっているらしいんだが……あんたはどう思う?」


「ご、誤解だ!」


 すがるように手をばしてってくるデュケナンを、ナオキさんがさっとけました。


 宙を泳いだ老人のうでをつかんだのは、しん殿でんたちの無骨な手でした。


ぼくじゃなくて、そのかれらをけんした本部の人に言ってくれ。──ああ、そうだ。ついでに言っておくと、あんたがここにいる間にあんたの部屋をひっくり返して裏ちよう簿っぽいものを見つけたそうだ。それについても言い訳を考えておいたほうがいい」


 がしり、とりようわきからたちにうでつかまれたデュケナン大司教が、ナオキさんの言葉にきようの表情をかべました。


「な、なにをする。放せっ、放せぇ!! おっ、王女殿でん、誤解なのです! 私めは本当に前王陛下とあなたの仲立ちを──」



 暴れだすろうの顔をのぞきんで、ナオキさんが冷たく言い放ちました。……背筋がこおるような、初めて聞くお声でした。


「──数学は、時をえる。


 この国の未来を計算してみせたように。あんたの過去も数字が見せてくれた。……裏ちよう簿をざっと見た。じゆうを2つ買って余るくらいの出費が、ぼくがこの国に来る少し前にあったぞ。


 ソアラをおそった暗殺者が同じ数のじゆうを持ってた。──


「────ひ」


 いったい、ナオキさんはどのようなお顔をされたのでしょうか。


 のどがひきつけを起こしたかのようにな音を口かららしたデュケナンは目を見開いて、それ以上なにもしやべらなくなりました。


 しん殿でんたちによって、そうふくの老人がずるずると引きずられるように連れて行かれ、姿を消します。


 わたしはそれをだまってながめるのみでした。


 ふたりだけになってから、ナオキさんがわたしをかえります。


 そのお顔は、いつもどおりのひょうひょうとした悪いみでした。ほっとしたような、残念なような気分です。


「……ぼくはきみに言われたとおりちよう簿にまとめただけで、ずいぶん前から教会関係の支出はわかりやすくまとめてあった。前から、あの大司教を調べてただろ」


 そのようにてきされてしまいました。わたしはうなずきます。


「ご明察です。さすがナオキさんですね」


「どうして最初からそれを使わなかったんだ?」


「こう言ってはなんですが……結局、教会本部もかれが失敗したからこそ、内務調査に出てくれたのだと思います。かれがお金と力をたくわえているかぎり、大司教の行いをとがめることは無かったと思います。もしもファヴェールをおとしいれるために裏工作をしていて、お金を使い、なおかつ、それが失敗した直後であるなら──と、そう思ってそれを使ってみたのです」


「なるほど。つまり──切り札は、最後の最後までせておくものってことか」


「死期の近い父上を不安にさせたこと、かれにはしっかりとこうかいしていただきましょう」


こわこわい。きみをおこらせないようにしよう」


「……勝負下着で一晩中真面目な計算をさせたナオキさんほどおこらせてくれたかたはいません」


「? なにか言ったか?」


「いいえ、なにも」


 聞こえないように言ったので、ナオキさんはなにも気づいていません。


 苦笑いしながらナオキさんが歩み寄ってきました。そして、ぽふんと頭をでながら、言うのです。


「よくがんったな。あだちはできた。きみはだよ」


 わたしのしい言葉を、しっかりとおくってくださいました。


 ……こういうところ、ずるいです。


「ありがとうございます」


 わたしのしいものを教えてくれて、そのままのわたしを認めてくれて、わたしの苦しい時を支えてくれて、わたしに弱さを見せてくれて──そして、わたしのためにおこってくれて。


 そんなふうにされたら、わたしは──決断してしまいます。

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