第四章 世界の求めかた(2)


    ◯


 この国は負けた。


 それを認めるだけの計算は、とっくに終わっていた。


 なにをどうやったところで逆転など望めない。久しぶりに家に帰ってきてかべの地図に数字やピンをびすびすみまくったぼくは、もはやそれを認めざるをえなかった。


 始めて1時間とたずにその結論が出ていたのに、昼をすぎてしまうまでぼくはそれを見つめたままでいた。考えくして、頭が真っ白になって、もうなにもしぼせなくなって……それでようやく、せいだいなため息をくことができた。


 あきらめたのだ。未練がましく策を考えることを。


 つい、ひとりごとをつぶやく。


「結局、ぼくはこの世界でも……役立たずだったか」


 それを認めたくなくて、悪あがきのように計算していたのだ。しかし、事実っていうのはいつでもざんこくだ。地図を見て、もう一度ため息をつく。


「勝ちたかったなぁ……」


 無念に思いつつそうつぶやく。それぐらいしかやれることが無いからだ。ひめからはもうなにも仕事をられていないし、会議にも出なくていいと言われてしまった。


 ソファにどっかりすわんで力をくと、ここ最近のつかれがどっとせてきた。


 やがてぬかるみにはまりこんでいくかのように、ずぶずぶとねむりの中に意識がしずんでいった。








「ナオキさん……ナオキさん……」


 さわさわ、と、なにかがほおでている。それにこの声。


 ぼくを訪ねてきたソアラが起こそうとしているのだろう。れる指先のかんしよくやさしすぎてくすぐったい。


「ぅ、わかったよ……起きるから……って──あれ、暗いな?」


 目を覚ましたぼくだが、予想に反して部屋の中は暗かった。てっきり、朝だと思ったのだ。なぜなら、


「まだ、けですから」


 そう言ってほほむソアラが、ここにいるからだ。


 暗殺者におそわれたかのじよである。夜道を帰らせるのはたとえ護衛がいても危ないし、ぎりぎりにでも日暮れ前に帰すようにしていた。


 そのソアラが、夜でもこの家にいる。


 ……ああ、そうか。戦争が終わってるんだから、暗殺の危険はもう低いのか。


「こんばんわ。ソアラ。……こんな時間に、どうしたんだ?」


「こんばんわ、です。……ええ、その、少し、ナオキさんとお話したいことがあって、来ちゃいました。その……わたし、ひとりで」


「ひとりで? 夜中にひとりで出歩いたら危ないだろ」


「いえ、明るいうちに来ましたよ?」


「そうか、それなら……って、ちょっと待ってくれ。つまり、暗くなるのをわざわざ待ってから、ぼくを起こしたのか?」


「よくおねむりでしたし……その、暗くなってからのほうが、いいかな、って思ったのです」


「? そうか」


 目をそらしながら変なことを言うソアラ。


 立ち上がるために力を入れたところで、け布が体を包んでいたことに気づく。どうやらソアラがかせておいてくれたというのは、本当らしい。


 ということは、もうとっくに評議会は終わっているのだろう。


 ぼくはソアラにたずねてみた。


「それで結局、敗戦処理をどうするのか、決まったのか?」


「……それは、とても残念な結果に終わりました」


 表情をくもらせてそう答えたソアラ。思わずられてまゆが寄ってしまう。


 敗戦はぼくに関わりの無い話ではない。ぼくだっていちおうは大将で、前線を右に左に歩き回っていたのだ。しかも、決定的な要因であるウィスカーこうしやくはん──その未来を予測することすらせずに、いんきよ命令を支持した。


 もしもあそこで「ひめの決定だから従う」とでも言っていれば、こうしやくは王女殿でんじゆつあやつられているとは思わなかったのではないだろうか。


 いまさらおそいことだが。


「じゃあ、ぼくこうしようは失敗したのか?」


「いいえ、条件付きでぼくは可能です。ただし……今日は本当に、ひどいことがわかったんです。聞いてください」


「聞かせてくれ」


 そしてソアラは説明してくれた。


 オルデンボーの議会は血船王の意向を尊重し、銀貨40万枚という無理難題をっかけてきたこと。


 それをはらう手立てがまったくかいであること。


 そして──国王陛下の病状にぴったり合わせたしんこうや、こうしやくが裏切るのにどの人脈が使われたのか、というなぞがすべて解けたことを。


「大司教が……まさかそんなことをしてるとはな。目的は教会領をうばかえすことか。こうまで用意しゆうとうっていうことは、ずっと準備してたんだろうな」


「父上にわたしやナオキさんの行いを『神にそむじやあくじゆつ』だ、とみ続けたのでしょうね。過去をこうかいしていた父上の心を乱して……れつやからです」


「それで、どうする? 銀貨40万って言ったら、王室の年間予算の5分の1だろ。はらったら財政たんするし、領地をへんかんしたら収入が減ってやっぱり王室が破産する」


 すでに借金をして回している状態の王室予算に、40万枚の上乗せをすればトドメにしかならない。


 ばいしよう金をはらって平和条約を結んでも、商人たちから高利で借りた借金を返すために重税を課すことになる。しかも、イェーセンがかつじようされれば、貿易ルートの半分がつぶされて王室の収入は激減してしまう。そんな負担をてんし続けられるわけもなく、平和条約が終わるころには国内はぼろぼろになっているだろう。


 もしかすれば、そのころには戦争どころか反乱をせんどうするだけでファヴェールという国をつぶすことさえできるような状態かもしれない。


「そのことですが……実は、もう決めてあるのです。フィセター銀貨200枚を持ってきました」


「ふむ、それで?」


 なにをするんだろうか。


 そう思ったぼくに、ソアラは言った。無念そうに。


「おはらいをお約束したほうしゆうの残りです。……ナオキさん、それを持って、今夜中にこの国からげてください」


 いつしゆん、なにを言われたのかわからなかった。


「……なんだって?」


いくさに負けて、家臣たちの心ははなれています。それだけではなくて──王室を教会にこうげきされてしまいました。……もう、どうしようもありません。それは、ナオキさんもわかっているのですよね? だって、新しい策をご提案されませんから」


「……そうだよ。まりだ。なにも思いつかない」


 思いついてたらもう言ってる。ソアラもそれをわかっているのだろう。


「わたしは負けてしまいました。近いうちにしよこうがわたしへ反旗をひるがえすこともあるでしょう。わたしは王座をうばわれてしよけいされるか、無理やりにぼく案を吞まされるか……。


 どちらにせよ、そうなった時にナオキさんをかばてすることができません。ですから、げてください」


 反論できなかった。


 名目上とはいえ将軍あつかいでいたぼくだ。敗戦処理の中で「あのじゆつに責任を取らせろ」という事態になった時は、敗残者としてしよけいされてもおかしくない。というより、すでにその話題が上がっていないことがおかしいくらいだ。


「……戦争にかまけ過ぎたぼくのせいだな。あの戦争が負ける公算が高いことはわかってた。だからかんかせぎをしてた。


 ぼくはそのかせいだ時間で、負けた時にどうするか、ということも考えるべきだったんだ」


 未来というのは都合のいことからではなく、可能性が高いことから起きる。


 それをわかっていたのに、ぼくは負けた時にどうするべきかという当たり前の想定をせずにいた。だから、いざ負けてどうするのか、それを計算する時間が無くなっている。


 ソアラはうすほほんで首を横にった。


「わたしたちのどちらのせいかなど、それはいいのです。ナオキさんがいなければ、わたしはどのように戦うか見当もつきませんでした。……ご自分を責めないでください」


 それは、あきらめたほほみだった。


 ……そういうものを見たくなくて、やっていたのに。


「この世界の、悪いところばかりお見せして、お別れしてしまうのは残念ですが……わたしの力不足です。すみません。せめてどうか、無事でいてくださいね」


 ひめの言葉が、ふと気になった。


「……なあ、きみが見た景色はちがったのか?」


「え?」


「この世界に、きみはなにを見ていたんだ?」


「なにを……と言われても……どういう意味ですか?」


 不思議そうに聞き返されて、ぼくは深く言葉を探す。


「……ぼくがいた世界はここよりずっと平和だった。だけど、争いがあって、他人からうばうことに罪悪感の無い人間は大勢いた。って、つくづく思っていた。


 それは、この世界でも変わらないことだっただろ。きみはただ数学をやっていただけでさげすまれてた。実の父親にまで、ひどいことを言われたんだ」


 悲しげな目で、ソアラはぼくを見ていた。


 心が痛んだが、あえて言う。


と──そんな風に思ったことは、ないのか?」


 だれとも分かり合えず、人は傷つけ合う。


 せめて人助けくらいはじやせずにいてほしいと思っても、自分のおもみをけるためなら裏切りだって平気でする。


 そんな世界がいやだ、と──なぜ、そう言わずにいられるのだろう。


 ぼくの言葉に、ソアラは銀貨を置いた。


「難しい質問ですね。……世界がみにくい。……そう思ったことは、ありますよ。もちろん」


「本当に?」


「ええ、本当です。


 父上には片時も理解していただけません。しよこうないしよかげぐちを言います。不運ばかりがわたしの周囲に満ちています。そんな心の弱った時──ふっと、あくがそうささやきました。この世界は、みにくいものなのだと」


 かべられた世界地図に手をついて、そう言ったソアラ。


「…………ああ」


 たとえ王女であっても、ひとりの人間なのだ。そう思わせる、実感のこもった言葉だった。


 しかし、かえったその顔は、悲しみでもいかりでもなく、ただ、少し困ったようにほほんでいた。


「だけど……世界って、ずるいんです。こんなにも苦しくて、こんなにも思うとおりにいかないのに──たまに、すごく好きな一面が……ふっと見えるんです」


 そのひとみが見せるのは、うらみにゆがむ暗い光ではなく、いつくしむようなやわらかい光だった。


だんはとってもわかりにくくても、あるしゆんかんに、世界が美しくなるしゆんかんがあります。それはわたしの心の真ん中をきぃんとふるわせて、息すらできないほどれいな音色を残して、いんひたるうちにするりと消えてしまう……。


 そんな──〝感動のいつしゆん〟があるから、世界をきらいになれません」


 ひめは、そう言った。


「どんなに苦しいことがあっても、人は、なにかに感動しているしゆんかん、それをすべて忘れて


 ……わたしも、そのひとりです。。──ただ、それだけです」


「────感動、か」


 心を動かされた時。


 美しいものを見た時。


 どんなにきらいな世界の中にいても、でいるのだ、ソアラは。


 それがどんなに難しいことなのか、ぼくにはわかる。


 ぼくを感動させてくれた祖父を、ぼくはあとから人に言われたくらいで疑った。


 なのに、ソアラは。


 かのじよは、それでも、と。いつもれいでなくとも──と、のだ。


 ……まったく。


 本当に。


 なぜ、こんなじゆんすいな少女が。


 こんなじんな戦争や不理解で、失われなければならないんだろう。

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