第三章 撃たれる前に計算しよう! sin,cos,tan!(2)



 負けた。


とりでがひとつかんらくしたらしい。……早すぎる。おかしい。めてきた敵数は報告によると2000以下。……予定どおりのせんぽうなのに、予定日数の半分以下でとりでが落ちてるぞ」


 いきなり、そんな幕開けで始まった。


 報告書を読んでからひめわたし、地図上の青いピンをひとついて、赤のピンにえる。


「そんな……いったいなぜでしょうか。補強工事も終わっていたはず……もしや、まちがっていたのでは……」


 報告書を読み進めるソアラが、表情をくもらせた。


とりでせまる敵兵に打ちかかって敗北し……せんきよされてしまった……?」


 明らかにソアラの方針とちがう負けかただった。


 ろうじようを長引かせ続け、もしも完全包囲されたうえで食料などが無くなったらこうふくしてもいい。そういうプランだったはずだ。


「原因は……ウィスカーこうしやくです。へいとつげきするすきを作るために、とりでからしゆつげきして戦うように指示があった、とあります」


 理解できない。


 そういう顔をして、報告書の文面を何度も目でなぞるソアラ。


 しばらくそうしていたが、やがてインクは勝手に書き変わらないことをようやく認めたらしく、羽ペンと紙を持ち出した。


「書状を送ります。ウィスカーこうれんらくをとり、みだりに兵を出さないようにとお願いしましょう」


「まあ、そうなるな」


 口ではそう答えつつも、ぼくにはどうにもいやな予感しかしなかった。








「アルビィの敵のしんげきは止まらず。とりでかんらく。部隊は敗走し、とりでの守備兵600人のうち、半数が戦死。半分がとうぼう──と。貴重なようへいが。まずいな」


 前回の報告から、大した日も置かずに次の報告が入ってきていた。


 受け取った報告書を手にして読み上げながらピンをえ、地図のすみに置いたリストの数字を修正する。


「野戦でしたか、それとも、敵のこうじよう兵器などがありましたか?」


 戦場で働かされる記録官は働き者らしい。きちんとおたがいの戦いかたもさいされている。


 ぼくは要約しつつ声に出して読み上げた。


「敵の野営地をしゆうしたところ、敵側もしゆうしており、乱戦にもつれんだ。へいたいげき力と機動力で敵の包囲をとつしてだつしゆつし、大きな戦果を勝ち得たものの、そうこうするうちとりでせる敵と味方が入り交じってさつとうし、あえなくかんらく


「……戦果、というのはなんですか?」


「敵兵300のげき。自己しんこくで」


「……そうですか」


 暗い夜にどうやってたおした敵の数を数えたのか、真相はやみの中という気がする。


 ただ、そういう部分は問題じゃない。


 ぼくたちが気になるのは、もっとちがうことだ。


「このとりでに敵がとうたつしてから二日しかかせげてない。さきけのせんじん2000相手なら、敵のえんぐんとうちやくまでえられるはずっていう話だったのに……」


「ええ、ええ。そのはずでした」


 赤くなったピンをじっと見つめながらソアラはそう答える。


「手紙が届いていなかったのかもしれません。複数の伝令に手紙を持たせます。何か誤解されている可能性もあります」


「それならいな。次の報告書は、青いピンをえなくて済む」








 ずぶり、と赤いピンが地図にえられた。


「ヘッジハムきんこうに敵の船が上陸するのを発見。ただちに近くのとりでから兵をちゆうしゆつし、敵がじんを整えることをするため、とつげき。いったんはらすものの、オルデンボーは続けて船を寄せえんしやげきをする。どうようしてようへいたちがげて、守兵が少なくなったとりでこうげきえきれずかんらく、だそうだ」


 敵の船を地図の上で移動させ、こうげきされた場所に置いておく。陸の支配地域も広がっている。


 敵の勢力は基本的に二つだ。10000の本隊と、小分けにした船からのきようしゆうようりく部隊。足が速いのは船を使って移動してくる小勢力で、こうじよう兵器も持たないようりく部隊を相手にとりでもる兵が負けるというのは、あってはならない話だった。


 それが、すでに3回も起きている。


「そうですか」


 王女の返事は、もはやそれだけだった。


「……ソアラ?」


 首をかしげて見つめるが、かのじよは少しうつむいてなにかを考えているようだった。


「…………」


「……実はすごいおこってるだろ」


 そうてきすると、かのじよは人形のようなとうとつさで立ち上がった。人形のように作り物めいたがおかえり、こう言った。


「直接、話し合いに行きましょう。ちよう兵をいまいる限りとりまとめて、前線へ向かいます。人手が足りないので、ナオキさんも来てください」


ぼくが戦場に? べつにいいけど、あまり役に立たないぞ」


「ごけんそんしないでください。王室ちよう隊のじようきようをいちばんあくしているのはナオキさんです。それに──しんらいできる人が必要ですから」


 暗にいまの前線がしんらいできない、と言っているも同然の発言だった。


りようかい。敵が来たらきみの後ろにいることにする」


「ありがとうございます。それなら背中はされませんね」


「しまった。チキン発言が肉のたて宣言に」


 せんきようだけではない理由でいろいろとおんな予感がうずまく前線で働くことになった。だいじようだろうか?












 ちよう兵1000のじんとともに、ぼくとソアラは前線であるアルマ地方へと向かった。


 いくさしようてんになっているアルマようさいとアルマ港市街は、最終防衛ラインだ。南から進軍してくる敵を、地方一帯のとりでで食い止めるように指示してある。


 第一次防衛ラインが次々と破られているのが現状だ。進軍を急ぐために、兵士を荷車で運ぶというあらっぽい方法を取ることになった。


 食料その他の補給品は、国家最高権力者であるソアラ王女殿でんの特権で、進軍先の街から戦時特別税としてちようしゆうしてまかないつつ進む。荷物やちよう隊を同行させないことで、兵隊の移動速度をおおはばに向上したのだ。


 アルマ市街にとうちやくするまでに敵と出くわしたら大変なことになったにちがいない。運良くそういったことにはならずに市街へとうちやくできたが。


 市庁舎を仮の前進基地にいたソアラはとり急ぎ現状あくのためのしようさいな報告と、ウィスカーこうしやくの呼び出しを命じた。


 いまはこうしやくとうちやくを待ちながら、再び地図を広げてピンをし直したりとうちやくまでに変化した数字をえたりしているところである。


 その日も報告書を受け取って読みつつ歩いていると、市庁舎のろうで声をかけられた。


「いままでに三しよとりでが敵に落とされた、と。支配地域の拡大で敵はりやくだつを進めるから、そのぶんあっちには時間が増える。こっちのは減る。生産量がもっとくわしく分かればいいんだけどな……」


じゆつ殿どの


「ん?」


 かえると、身なりのせた男がぼくを見ていた。


「少しお聞きしたいことがあるのですが……」


 としうえかれが敬語を使ってくるということは、貴族ではないのだろう。そう当たりをつける。


「聞くだけならなんでもどうぞ。答えられるかは内容によるけど。歩きながらでも?」


「も、もちろんです」


「じゃあ行こう。なんの用で?」


 歩みを再開しつつそうたずねると、かれは声をひそめて言った。


「そのぅ……うわさを耳にしたのです。『王女殿でんは敵に勝つつもりがない』と。それは本当でしょうか?」


 ぼくの時代ならそれ機密ろうえいうわさの発信源はろうごく入りだぞお前! ──と、りつけたいのをこらえて、ため息をくだけにした。


『エルデシュ数』という話がある。数学者同士の共著論文による結びつきにおいて、ポール・エルデシュという数学者とどれだけ近いかを表すがいねんだ。


 簡単に言うと、「有名人と会うために何人の知人が必要か?」という数だ。ちなみにまったく知らない人でも6、7人くらいで有名人を引き当てることができる。


 つまり、外国の王やその側近に関する話を聞くのに、そんなに多くの人間は必要無いのだ。オルデンボーの血船王とやらに手紙を届けることも、必要とあればできるだろう。


 ともあれエルデシュ数からしても、評議会のだれかひとりがそう思っていれば、うわさはひとり歩きしてしまう。


「あのな、どこのうわさなのかは知らないけど、その悪質なうわさを信じてるのか?」


「いえいえめっそうもない! ただ、率いてきた兵隊さんは昨日まで農民だったような男ばかりですし、王室ちよう隊と名乗る者たちの中には、たくさんの外国人がいて……正直なところ、不安でして」


 ちよう隊の人員は多くの外国人商人たちと、そのつてで集まった人員を多くれている。


「いちばん不安なじゆつに話しかけるのはいいのか?」


 ちよう隊の副長権限を持っているぼくは実質的にそのあやしいやつらの頭領みたいなものなのだが。


「王女殿でんは気難しいかたであると昔からの評判で……わたしのような者が話しかけて、ごげんそこねないかと少し不安でして……」


 ちょうどその時に部屋に着いたので、とびらを開ける。


「話は終わりか? 終わりでいいよな。じゃあな」


「えっ!? あの、じゆつ殿どの!」


「入るな」


 あわてて追いすがってくる男の胸に人差し指をきつけてとどめる。


「聞くだけ聞いてやっただろ。ついでに、じゆつも気まぐれでうわさぎらいだって広めておいてくれ」


「ちょっ、待ってくださ──」


 とびらを閉めて会話を打ち切った。


「……どうかしましたか?」


 ソアラがきょとんとした顔でぼくを見てくる。


「べつに。いやな報告が来ただけだよ。最前線近くのとりでに送った王室ちよう隊のせんけん隊がもどってきたんだ」


「なにかあったのですか?」


「公定価格で麦を売っていたら、ようへい隊の酒保商人とトラブルになったそうだ。それは予想してたけど、問題はとりでの指揮官が王室ちよう隊をかろんじて、よりによってちよう隊のほうを追い返したことだ」


 その報告に、ソアラが目を見開いた。


「なんてことを……いったいどうしてですか?」


ちよう隊は酒保商人たちの〝慣習〟を守らないからだ。ワイロをはらわずに商売してるのが気に食わないらしい」


「そんなことをしている場合では……」


 頭痛をこらえるように頭をさえるソアラ。気持ちはわかる。こちらで用意したすべての歯車が、うまくっていないのだ。


 まるで世界そのものが悪意を持って、ぼくらをつぶそうとしているかのようだった。


 歯を合わせない歯車はじやなだけ。他の大きな歯車がくしゃりとつぶして、もとどおりに動く。つまり──いままでどおり、きようしやが弱者をしいたげるように。


 その日の報告で、ぼくたちは次のピンをえた。


 敵軍は、最終防衛ラインの一歩手前まで近づいてきていた。


ぼくは……ぼくたちは、このまま終わるのか?」


 うでみしてそうならない方策を考える。が、もともと結論は出ている。


 勝つことをあきらめて根負けさせる。戦う前からそれしかないと結論を出して、そうなるように準備をしてきた。


 いまさらせんとうでの勝利はつかめない。


「ナオキさん……」


「わかってる。まだ負けてない。あきらめるのは、決定的な土地をさえられてからだ。それまでは取り返せる可能性を捨てないで考えるさ。そうだろ?」


「決定的な土地、ですか」


「そうだよ。ぼくらはアルマとイェーセンさえ守りきれば、貿易ルートを守りきれる。敵にとってめやすいアルマ地方をわたさない。条件は悪くなった。それでも、ここから負けない方法を考える」


「まだ、ここから、ですか」


「まだ、ここから、だ」


 地図をにらむ。


 やりたいのはせんとうで勝つことじゃない。かんかせぎだ。


 方法は必ずある。


「……わたしも」


「ん?」


 ソアラが、手をにぎりしめてぼくを見ている。


「わたしも、あきらめません。どんなことでもやってみます」

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