第三章 撃たれる前に計算しよう! sin,cos,tan!

第三章 撃たれる前に計算しよう! sin,cos,tan!(1)


 人数少ない評議会は、前回より人数を増していた。きんきゆう事態ということで、会議に出席する人間が増えたらしい。


 男たちは声をあららげて言葉をわす。


「敵はきようにも、国王陛下のほうぎよに合わせて宣戦布告をしてきたぞ」


「あまりに早い。間者でもいるのではないか」


「あれだけかねを鳴らして街中に知らせたのだ。間者も何もない。ずっと決めていたのだろうよ。我らの王が天命を全うされる時に、めるのだと」


「やつらは準備ばんたんで待ち構えていたということか。おのれ、れつを!」


「だが準備を進めていたのはそれはこちらも同じことだ。守備兵はすでに配しておる。我々もじきにさんじんだ」


「アルマ地方はいいが、イェーセンはどうする。あそこがされれば、外洋に出られなくなるぞ」


「あの河口を守るエーゼンブルグようさいは、三〇年以上もされたことのないなんこうらくようさいだ。やつらも手出しはできん」


殿でん、それでよろしいですか?」


「…………」


殿でん?」


「──だいじようです。なんでもありません。きちんと聞いていました」


 二度目の呼びかけでようやく反応したソアラが、机に落としていた視線を上げた。


 いつもどおりの姿を心がけている。それは成功している。それが相当な努力をしたうえできよせいを保っているということは、簡単に分かってしまうとしても。


「あちらがいくさをするというのであれば、も無いことです。れつなオルデンボーにくつしてはなりません。みなさんはできるかぎり急いで戦場へ向かってください」


「かしこまりました。陛下のそうすらできない時機を見計らうようなれつな行いは、このウィスカーは決して許しませぬ。き陛下の安らかなるねむりをけがす血船王に、わがけんによる裁きをくれてやりましょうぞ!」


 しい声でウィスカーこうしやくが応じて立ち上がる。ソアラはこっくりとうなずいた。


「よろしくお願いします。まだしようしゆう中のちよう兵たちの装備と訓練をできる限り急がせてじんをまとめ終えたら、あとからわたしも向かいます」


 その言葉に、こうしやくがぎょっと目を見開いた。


ひめが前線にしゆつじんされるというのですか!?」


「おお」「なんだって!?」「まことですか!」


 ざわめく議会に向けて、ソアラが声を張る。


「王陛下はおかくれになりました。であれば、この国のいくさになうべきはこのわたしです。


 たいかん式を行う時間もありませんが……いまよりわたしが、全軍の指揮をります。戦場に立たない王に従う兵はいません。であるなら──当然、わたしもしゆつじんいたします」


「おお……」


ひめ自らのじんとう指揮であれば、兵の士気も高まります」「これは勝てますな!」「我々がお支えいたしましょうぞ!」


 げんをもって宣言した王女殿でんの言葉に、議会はおおいにった。


「もちろん、たよりにしています」


「ようやくひめ様もこのいくさにやる気を見せてくれましたな! このウィスカー、前線にとうちやくしだい敵と当たってさぐりを入れておきましょう! じんちよう兵がとうちやくするのがひと月かかるとして、アルマようさいに近く会戦に適した平原をわたせるおかが近くにあります。じんを置くならばぜひともそこに──」


「なにを言うのですか、ウィスカーこうしやく。わたしの言葉をお忘れですか?」


「……は?」


 興奮してまくし立てていた老人が、気勢をがれてきょとんとする。


とりでに立てこもり、できるかぎり時間をかせぐ。その方針に変わりはありません。アルマようさいにたどり着くまでにあるすべてのとりでとうを使い、進軍をおくらせてください。それ以上のことをする必要はありません」


「なっ、この期におよんでまだそんなことを言うのですか! 国王陛下ならば、そのような戦いは決してしませんでしたぞ!」


「父上は……父上は、神にげられました。この国で地に足を着けて戦わねばならないのは、このわたしです」


 たんたんとした物言いに貴族たちはまゆをひそめていた。


 まるで自分に言い聞かせてるみたいだ──そう思ったのはぼくだけらしい。


「ウィスカーこうしやく。あなたにはへいをお預けします。長年、ファヴェールのために奮い続けたらつわんぶりを用いて、敵の本隊からはなれたりやくだつ部隊をすべてはいじよしてください。だんは決して敵にせつしよくせず、村をおそう小部隊の情報をつかんだらしゆうげきする。それだけをくり返していただければ、あとはとりでで敵をむかちます」


「……小勢をちまちまつぶすだけ、ですと? 会戦もせず、強敵との戦いをけて、だんまわれと言うのですか」


 いかにも不満そうにウィスカーが言った。ソアラは正面からそれを見返して、しっかりとうなずいた。


「何度でも言いますが……我々は、このいくさに勝てません」


「戦う前から勝利をあきらめるというのですか!! そのような戦いぶりでは、かの血船王の首級をあげることなどできませぬぞ!」


「最初から、それをあきらめてくださいと申しています」


ひめは、それでどうやって勝つつもりなのですか? 父君の死をろうするような相手に、正義をお示しするつもりはないのですか!!」


「──最善のせんたくを重ねるのです。いまはそれしかない。『ルールを変える』のです。感情的になっても、信じるものを変えてはならないのです」


 なにを言われても決意を固くしたまま意見を変えない王女。いかりに額まで赤くした老貴族は、その見開いた目をじろりとぼくに向けて言った。


「〝最善〟を選ぶのは、じゆつ士の数字だけだと? 我ら戦士の経験を、不要と申されますか。こんな、けんにぎったことも無さそうなガキに、国の未来を預けるのですか……!」


 ソアラは強いまなしを侯爵に当てて、きっぱりと言い切る。


けんが生かされるのは、敵とわたえるだけの戦場を王が用意できた時だけです。いまはそうではなく、数字を優先せざるをえない。それだけの話です。ウィスカーこうしやくたよりに思うからこそ、貴重なへいをお預けすると言っているのです。ご不満ですか?」


「…………わかり、申した」


 そこで王女は立ち上がった。


「でしたら、話し合いはもういいでしょう。わたしの要望はお伝えしました。みなさんは、かねてより準備していたとおりのことに、全力でとりかかってください。さあ──早く!」


 ソアラにてられて、こうしやくひめのやりとりをかたんで見ていた全員が、あわてて立ち上がって会議場からしていく。


 どやどやと仕事に取りかかる男たちの波の中で──最初に立ち上がっていたはずのウィスカーこうしやくが最後まで動かなかったのが、なんともおんだった。








 王宮のろうを、ソアラの後ろについて歩く。


 べつについてこいと言われたわけじゃない。ただ単に、使用人の同行もきよして足早に歩くひめのことが心配になっただけだ。


「ソアラ、あんな風に言って良かったのか?」


「…………」


 反応無し。ソアラは無言で歩き続ける。


「その……計算は合ってるはずだ。ちよう隊も間に合わせる」


「…………」


ぼくはこのまま仕事してていいのか? きみが戦場に行くなら、ぼくもついていけるように馬に乗る練習とかするか?」


「…………」


「……だいじようか?」


 なにも答えないままずんずん進んだソアラが、しつ室の分厚いとびらの前でようやく足を止めた。


 ぼくかえり、


だいじようじゃないので、少しだけ、だれも入れないようにしてもらえますか? 少しだけ、です。必ず、立ち直りますから」


 そう言うソアラは表情をくずしていなかった。ただ──ほおを伝って落ちるなみだは、しばらく止められなさそうだった。


「……ひとりでいいのか?」


 言ったしゆんかん、強がりの表情がらいだ。


 不安そうな、いまにも大声ですがりついてきそうな、そんなをした。


 したのに、ソアラはこらえた。


「ほ、本当は、すごくたよりたいです。けれど、これは父上への最後のけです。父上がきらっていたナオキさんにたよらずに、ひとりで泣いてあげることにします」


「……わかった。待ってるよ」


 小さく一礼して、ソアラは部屋の中に姿を消す。


 ぼくは閉められたとびらに背中を預けて、たよりないながらも番人として立つことにした。


 ちょっと長い〝少し〟の時間、だれにも、かのじよとむらいをじやさせないために。








「ついに戦争が始まったな。しんこうルートはだいたい事前の予想どおり……か?」


 ぼくたちは地図を広げて話し合う。


「報告ではそのようになっていますね。海に面したアルマようさいと、港街の周囲にあるへきは最後のとりでです。ここにとうたつされるのは、できる限りおそくしたいですね。


 相手の海軍力のほうが強力ですから、強行すれば船で兵隊をアルマ地方の南部、バルマスきんこうまで運ぶことはできます。ただ、補給路を作るにはとりでを確保する必要がありますから、これらのとりでが保たれていれば、進軍はできないはず……」


 ソアラは厳しい目つきで、とりでのある場所にてた青いピンを見つめている。


「しばらくは報告待ちだな。いや逆か? 『とりでは無事なので報告することは無いです』とか言われるほうがうれしいか」


 戦いのためにやらないといけないことは、戦いが始まる前からやってある。あとはそれがどれだけ通じるか、だ。


 ぼくは机にすわって書類仕事をしつつ、地図を見下ろして立つソアラにそう応える。


「いまのところは、計算どおりに進んでる。敵のしんこうルートは予測したとおり。アルマ地方行き。ただし兵数は……敵が14000にこっちは8000。どっちも予定より多いな。再計算しておくか。ちよう隊の手配が終わったあとで」


「王室ちよう隊の先発隊は、早く送ってしまいたいですね。実際の運用経験を積み重ねたいですから。最適化はお願いしますね、ナオキさん」


 最適化、というのは戦力配分以上に、積み荷のせんたくと輸送ルートについてだ。


 なにをどこへどれくらい運ぶか。海路か陸路か。


 海路なら、軍船と輸送船の割合を考えなければならない。この時代の海軍というのは、せんとうをさせるか輸送をさせるかで船自体のちがいは無いのだ。そうを変えるだけで、軍船にも輸送船にもけられる。


 なので、敵の海軍力が高ければ護衛の軍船が増え、逆に輸送力を優先したければ輸送船を増やしてしまえる。


 もともとある船の数にちがいは無いのに、それによって輸送力が大きく変わってくるのだ。ちなみに直近の国にりやくせんしゆうげきされるファヴェールは、平時から輸送船団の半分くらいが護衛の軍船なくらいだ。


「最近、ぼくの仕事が増えてるよなあ。ひるの時間が減るなこれは」


「おひるは戦争が終わってからお願いします。さもないと、首になってしまいますよ」


「それは物理的に?」


「はい」


 ×になる。


 ◯首になる。(物理)


「もっと他のせんたくは無いのかよ!?」


しばくびよりざんしゆけいのほうがほこたかけいばつとされていますね」


るされるか切り落とされるかの二たくか。かんべんしてくれ」


「そうですよね。ですから、負けないようにがんりましょう!」


 ひめこぶしにぎって力説する。


 ぼくらのぜんはそれほど明るくなかった。


 まずは初戦で、計算が正しく機能しているかを知らないとならない。勝ってくれ。

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