第二章 オークションにかける! ぼっちな姫の癒やしかた(8)
◯
利益を
まずひとつめ。〝航路制限の
そしてふたつめ。その特権をあらゆる商人に
危険性が大きいのはふたつめのほうだ。戦時下でそれをやれば、通商
さて、ここに『チキンゲーム』という問題がある。
ふたりの若者がお
【利得表③を参照】
利得表を見ればわかるとおり、この問題に合理的な正解──つまり相手の戦略に関係無く利得が最大になる戦略は、無い。相手の反応しだいで利得が大きく変化するからだ。となると、プレイヤーは
しかしここで、片方だけがもっと大損を
【利得表④を参照】
プレイヤーAが損をする
今回、王室は取引相手を限定しないうえ、敵国からの通商
ここでゲームのルールが変わった。
王室はこの戦時下で昔からこの国で麦商人をやってきたという〝安全な商人〟に注文するはず、という前提をかなぐり捨てたのだ。
とはいえ入札参加資格を
麦商人が談合価格を
麦商人たちは2倍より下に値段を設定しなければならない。しかし、2倍より下にしても、もし外国人商人が5割増し程度で入札したら? それより下にするべきだ。
同じ
正当な価格を王室は知らない。だが商人は知っている。ならば、商人同士で値下げ
すると結局、王室はもともと専門的に麦を
そんなシンプルな解決方法だ。
利得表に示したその説明は、ソアラにはすんなりと
しかし、だ。
商人たちを集めた入札説明会を終えて、
それを聞いて
そんな門番付きになった
資料の紙束を
ソファにぼすんと
そして家主が帰ってくるまでクッションを
そんな感じでできあがった
「うわぁ」
だ。他になにか言えるか。
「……………………………………………………………傷つくので引かないでください」
「そういうことはクッションから顔を
まあ、理由はだいたいわかっている。父親とかなり激しくやり合ったらしく、たくさんの人が王女と国王の口論について
その後どこかに姿をくらましたと聞いたから、まさかと思いつつ家に帰ってきてみれば、このありさまである。
「悪かったよ。引かない。
そう宣言してから、
「
ソアラは半分だけ顔を
「ち、父上を説得するのは……だめでした……」
「……そうか」
「……まったく。ぜんぜん。ほんとうにまるでだめでした。……父上は、ほんの少しも、わたしの話を聞いてはくれませんでした……」
弱々しい
「なにも……なにも、説明を聞くことすら、してもらえません。わたしのお願いも。考えも。この
まるで……
ソアラは気
「父上は、昔は貴族や
「ソアラ……ええっとだな……」
数式に変えられる問題ならアイディアも
「……なんというか、あー……きみは悪くない」
「……ありがとうございます」
ソアラは悲しげな目のまま
「そう言ってくださるのは、ナオキさんくらいです」
「そんなことないだろ」
「ありますよ。……王宮の
「……
「やっぱり、そうなんですね」
ソアラは平然と言う。
ノーコメントだ。
病に苦しむ父親の言うことを無視するとはなんて
「ときどき、思います。わたしが……父上の望むような、
文句や
「国政に興味を持たずに、
そんな風に言われて、
「……で、考えてみて、どうだった。具体的に想像できたのか?」
その顔を
「それは……無理でしたけれど……」
「だろうな。
「ひどいですっ! わたしだって、がんばればそういう
少しむっとした顔で
「……これは昔のことだ。ある日、祖父が
「すごいことを考えますね。それで、どうなったのですか?」
「失敗した。
「それは、残念でしたね」
「まったくだ。だけど、それで
「……本物の
まだ少しすねている
「
「これは、もしかして入札の……?」
「そうだ。入札保証金を前もって
ソアラが立ち上がって
そこにあるのは、過去の価格から見た相場でしかない。しかし、商人が入札する金額はそこから大きく外れることはないはずだ。なぜなら
オークションの参加者は、品物に対する評価額と自分の提示する入札額の差で得られる利得を最大にすることを考える。
つまり(評価額-入札額)×(勝つ確率)=(期待値)の計算式によって、利得表を書き出すことができるのだ。
通常のファーストプライスオークションでは、参加者同士の腹の
しかし、セカンドプライスオークションでは第一位価格を入札した落札者が、第二位価格で
そして自分の評価額よりも大きく下げた入札額にすると勝つ確率も下がるため、期待値は小さくなる。
結論としては他のプレイヤーの行動に関係無く、自分の評価額を正直に入札することが弱支配戦略になるゲームルールなのだ。
それほど時間もかからず、ソアラは
「たとえ他の国の商人から買い付けた場合でも、王室
「談合は
「やりましたっ!」
「ふふふ、やっぱり
さっきまでの暗い顔が一転して、手応えを
それもそのはず。予測を立ててそのとおりに物事が動いた時の達成感というものは、格別の力があるのだ。頭の中でイメージしたものを、その手で作り上げた時の喜びである。
いてもたってもいられない。自信と喜びが
「それで、まだポエムを
「……ぅ。で、でも、父上が……」
「ああそうだな、きみの父親は傷つくだろうさ。
王女は
「……わかりました。わたしは、数学のほうが
「どうしようもないことも、世の中にはある。数学以外の話をすれば、案外と話が合うかもしれないだろ」
「……数学で、導けないものでしょうか。父上がわたしと分かり合える確率、などは」
思案顔になったソアラの言葉に
「人とわかり合う数式か。それは難しいぞ。
「……ナオキさんは、本当にたくさんの数式を知っているのですね。お祖父様から教わったなんて、
「いや、たしかに基本的な数学はみんな覚えるけど、なんでもかんでも数字にしようってやつはそんなにいないさ。
「それでは、ナオキさんは特別だということですか? お祖父様も」
「
「目指していたというのは……この世界に来てしまったから、
「いや、そうじゃないんだ。そんな
ここが
ここに
「……あの、なにかがあったのですか? もとの世界で」
「あれ、そう思う?」
「はい、思います。ナオキさんほどのかたが、数学者になるのをやめるなんて」
「ほどのって言うほどの人間じゃないんだけど……」
「はい『だけど』?」
その続きは? じっと見つめられる。
あまり話したくないことだ。しかし──ソアラには、話してもいい気がした。
「……だけど、ちょっとトラブルはあった。祖父が死んだ時に、
苦々しい
「
……
「問題は、お
「そんなことが……どうされたのですか?」
「いろいろあった。法的な相続人の話とか、
「えっ」
ソアラが
「
……信じられなかったよ。
「ナオキさん……」
痛ましいものを見るかのように目を細めるソアラの視線がむず
顔を合わせないようにしながら、続きを言う。
「人と人が心底わかり合うことは、できないんだ。それを思い知ったよ。
だけど……お
そういう疑念が
もとの世界にあまり未練を感じないのは、それも理由のひとつかもしれない。自分が長年故郷と思って過ごした家が、疑いを呼ぶ争いの火種になってしまって
「……疑問の答えはたぶん、一生分からない。数学でもこれに答えは出せない。信じたいから信じる。それくらいしか折り合いをつける方法はないんだ。非合理的だけどね」
「そんなことがあったのですか……つらかったですよね……」
話す
「終わったことだよ」
「でも……まだ、一年も
「…………こういうところで空気を読んでくれないよな、きみは」
窓の外を見る。
もうつらくなくなった──というわけでは、もちろんない。十数年も
そんな強がりを
だから、ソアラが立ち上がってこちらに近づいて来ても無視していた。しかし──後ろから細い
「空気が読めなくてすみません。……つらいことを話してくださって、ありがとうございます。わたしが、
耳元でそんなことを言われてしまう。
「なんでハグ?」
「
「頭あたりに
むにゅん、と当たるものを
「……じゃあ、こっそり
「それは……えっと、ありがとう」
まさかの返答。いいのか。そうか。
少し速い
これは、おお、そうか。お
本物は、いいぞ。
「ところで、ナオキさん」
「な、なんだ?」
思った以上に
うわめっちゃ
対してソアラは、落ち着きはらったままそっと
「本当に、お祖父様とのことを定式化できなかったのですか?」
おいおいなんだよびっくりしたな。
「『無限回くり返しゲーム』をベイズの定理で計算すると証明できるけど主観確率における観測だから、結局は
「……計算、したんですね」
「数学者だからな」
「ふふふっ」
笑いに少し身を
ようやく
王女様がソファのすぐ横にしゃがみこんで、少し
「明日、父上に
「仲直りできるといいな」
「はい」
翌朝。
窓の外から聞こえてくる街中に
いったいなんなのか、と疑問に思って窓を開いて顔を外に出す。
すると、
「
「こっちにいる!」
「あの
「なにかあったのか?」
「国王陛下がお
「……わかった。すぐ行くよ」
そう答えながら
ひとつめ。これは事実から見た推論。ずっと気になっていたことだ。なぜ兵力差もあり、準備も進めている敵国が、すぐにでも
待っていたのだろう。何もせずにファヴェールの国力が
つまり──国王陛下が
「戦争が始まるな」
もうひとつ。これは感傷的な理由だ。
昨日、
仲直りする時間は──無かっただろう。
──その日、オルデンボーからの使者が宣戦を布告した。
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