第二章 オークションにかける! ぼっちな姫の癒やしかた(6)


    ◯


 やってしまいました。


「この鹿者が! 大司教に取り付けたせっかくの取引の話をにしただと!? いったい何を考えておる!」


 父上においかりの声をたたきつけられて、わたしはどう説明したものかと迷いました。


 わたしが何日もの時間をかけて必死にんだ数学を、父上にわかりやすく説明する方法を探します。できればひとことで伝わって、父上が思わず感心してすべてを認めてくれるような──ほうですかそれは?


「父上、あの、ゲーム理論という考え方があるのです」


「そんなことは聞いておらん! 教会との約束をひるがえすなどあってはならないことだ。神に見放されては、どのような手立てをしたところで勝てるわけもないだろう!!」


「あれはただのかつちゆうの取引です。戦いにえいきようはないはずです」


「いいから早くどうにかせよ! それと──お前は、またじゆつめいたものにけいとうし始めたと聞いたが、本当か? それが本当なら、神のいかりにれる。すぐにやめよ!」


じゆつなんてこの世に存在しません。ですから、神の教えに反することは何もしていません」


 じゆつと呼ばれてしまうナオキさんのくんとうは受けています。でも、それは言いませんでした。


「おぬしのやとった相談役とやらが、〝じゆつ〟と呼ばれておると聞いたが」


 父上の疑いは晴れませんでした。そして当たっています。やっぱりごまかせませんでした。


「その……ナオキさんはすぐれた数学を修めたかたなのです。そのわざを理解することがあまりに難しいので、そのような呼び名がついてしまっただけです」


 あのかたを守るために、少し真実に引き寄せます。本当はかべにいろいろと書かれるものがあやしすぎて、数学とすら思われていないことは知っています。


「……ならい。いいか、教会は取引をふいにされておこっておる。このままでは修道院からかつちゆうどころか、麦ひとつぶすら売ってもらえぬ。解決するのだ、よいな」


「わかりました、父上」


「解決できぬなら、じゆつなどというあやしいやからはこの国からほうちく──いいや、この時期に王家の内部に近づいてきたのだ。あやしい。殺してしまえ」


「そんな、父上っ!!」


「やかましい! 話は終わりだ、早く取りかからんか!」








「弱りました……」


「おつかれさま。だいじようか?」


 ナオキさんのおうちに着いたたん、ソファに深くすわんでしまいました。額に手を当てて弱音をいていると、ナオキさんがなみなみとお茶を注いだカップを差し出してくださいます。


 立ちのぼるほうこうと湯気の温かさに、胸の中にある重いものがほぐれていきます。


「ありがとうございます。ほっとします」


「どういたしまして。それで?」


「……だいじようじゃないです。だめです。困りました」


 正直にそう言ってしまえるのは、ナオキさんの前でだけです。


「会議はかなりふんきゆうしてたけど、結局は意見が通ったじゃないか。それとも、他の問題か?」


「教会に手配したかつちゆうめたことで、苦労しています。どうやら父上とこうしやくがおふたりで協力してお話を取り付けていたようで、話がこじれてしまいました。……これでは王室ちよう隊を結成することができません」


「おいおいなんでだ? それはまずいぞ」


ちよう隊を作っても、補給品が調達できなければ空の荷車しかありません。教会から、かつちゆうめるなら他の物も売らないと言われてしまいました。修道院から麦を仕入れようと思っていましたが、それができないなら……どうしたらいいんでしょうか」


「いまは戦争に使う金を少しでも増やしたいんだ。ちよう隊のアイディアは外せないぞ」


「わかっています。解決策を考えなくてはなりません。……ナオキさんのお命のためにも」


「待ってくれ。いまなんて言った?」


 さすがにおどろいたご様子で、ナオキさんがとがめます。申し訳なく思いながら、わたしは白状します。


「それが……父上が『解決できないならじゆつあやしいから殺してしまえ』と言い張っているのです」


じようだんじゃないぞ!?」


「あ、もし失敗してもナオキさんはにがしてさしあげますから、だいじようですよ」


「……そうならないようにがんるよ。まったく……それで、どうするんだ?」


 かたをすくめて首をる。たったそれだけで、ご自分が命の危機にあることを忘れられたように、話題を変えられました。


 このえの早さは、本当にらしいです。いったいどうすれば、このようなおそれ知らずとも思えるお心を持つことができるのでしょうか。


 ゆうゆうとしたそのご様子にあまえて、わたしも目の前の問題について考えることができます。


「そうですね……」


 お茶を飲みながら少し考えてみました。


「修道院がだめということでしたら、やっぱり、商人たちから買うしかないと思います。わたしにはが無いので、いまから探すのは大変ですが……商人は品物を売る相手を常に探しているはずです。フィセター銀貨で数万枚にもなるこのお話なら、かんげいされるはずです」


 わたしが口にした解決策に、ナオキさんが首をかしげています。なにか気になることがあるのでしょうか?


「というかだな、物を売り買いするならつうはまず商人のところに行くものじゃないのか?」


 なぜ教会? なんておつしやっています。


「……ナオキさんは、なんでも知っているようで、たまになにも知らないようなお顔をされますね」


「悪いね」


「いいえ。かわいいです」


「……うれしくないなー」


 きょとんとしてから口をゆがめたナオキさんの反応に、思わずみがこみ上げてきました。失礼だと思いましたが少しだけ笑いに身を任せてから、説明します。


「修道院は自給自足で、畑もちくも自分たちで作って生活しているのです。ですから、教会との関係が良好なら、農作物を安く買うことができます」


「なるほど。商人より生産者から直接買うほうが安いっていうことか」


「はい。それにもうひとつ。教区の農民から作物の10分の1を教会がげる『10分の1税』というものがあります。これは領主や王の税とは別に教会が集める税なので、この分もふくめればかなりたくさんの作物が教会の倉にあります。


 ようへいや船団などたくさんの人が動く時に準備するには、すでにたくさん持っている人から売ってもらうといちばん安くなります。ですから、教会から買い取るのがつうなのです」


「教会はもうかりそうだなそれ」


「昔はもっとお金持ちだったと思いますよ。司教領はぞくの権利とははなされた土地ということで、教会だけが裁判やちようぜいの権利を持っていましたから。


 ですが、ファヴェールが独立したばかりのころ、司教領の特権と領地などをすべて王室がんだので、いまでは所領収入は5分の1以下だと思います」


「へえ、教会から見ればなかなかえげつない政策だなそれ」


「必要にせまられてのことだったと聞いています。父上は一度だけ、それをやんでいるとらしていました。父上ご自身は、伝統派のしんこうをお持ちですから、無理もないです」


やむのは同情するし分かるけど、いま苦労してる身からすれば、残った5分の1もむしり取ってからこうかいしてほしかったね」


「まあ」


「おっといまのは正直すぎたか? 忘れてくれ」


 失言をてつかいするナオキさんに、わたしはくちびるに指を当ててなやんでから、こう答えました。


「いまのは少しのがせません。……でも、わたしは果物があると物忘れが多くなります」


 不敬罪にもなりそうなほどのお言葉でしたので、ただで許すのは公平ではありません。


 わたしの言葉に、ナオキさんは小さく笑ってうなずかれました。


「今度から用意しておこう。それで、商人から買うのはそんなにが張るのか?」


 それが問題です。


「わかりません」


「え」


 聞き返されてしまいました。もう一度口にします。


「わからないのが問題なのです。あちらが提示した金額は高いのか安いのか。なぜその値段なのか、わたしにはわかりません。


 ですから正しい値段にするためには、そうとうな時間がかかります。世の中の商人たちは、王室にはんで泳げるほど金貨があると思っているようなのです」


 相場を調べ上げて、値切るためにこうしようをして、きちんと適正なお値段でこうにゆうするためには、どれほど時間と労力を必要とするのかわかりません。


 その時間こそがいまはしいというのに、困ったことです。


 しかし、


「なんだそんなことか」


 ナオキさんは、なんでもないことのように、あっさりと言い放ちました。


「それなら、相手の言い値で買えばいい」


「──そっ、そんな買いかたをしたら、ちよう隊の目的がたんしてしまいます!」


 王室ちよう隊を結成することでようへいたちの経済に参加するのは、給金のお金のためだけではありません。


 酒保商人はようへいたいちようわいはらって商売し、そのわいのぶんは兵隊が買う補給品に上乗せされます。戦場であきないをする酒保商人にはしようばいがたきがいません。兵隊たちはかなり割高に補給品を買わされています。


 王室ちよう隊が食料やお酒などの生活ひつじゆ品を公定価格で売れば、いつもよりも安く品物が買えて、ようへいたちの士気を保つことができるはずです。長く戦うためには、おなかを満たせる安心感が必要とされます。


 ですが、高い値段で物を調達しては、その目的は達成できなくなってしまいます。


 あわてるわたしに、ナオキさんはたいぜんと答えました。


ぼくらは数学を使って物事を解決する。商人たちは物の値段や取り引きで日常的に数字にれてるんだ。とかつき合いが必要な相手より、金だけでやり取りできる商人のほうがやりやすいさ」


「しかし、商人たちには横の付き合いがあります。きっと「王室からの注文ならこれくらい」という打ち合わせをして価格をげてしまいますよ」


「言い値は談合価格になる。まあそうだろうね。……だけどさ」


 ナオキさんはわたしの言葉にうなずいてから、ふと目をそらして、


「人がだれかと心から分かり合うことは、せきでも起きないかぎりは無理だ」


 わたしを見ないで言ったかれは、いつしゆんだけ、まるで痛みをえるように目を細めていました。


「ナオキさん……?」


「──つけいる方法くらいあるって話さ。だけど、きみの敵が増えるかもしれない。それでもいいか?」


 かえったナオキさんは、いつものようにあいきようのある悪そうなみをかべていました。気のせいだったのでしょうか。


 ともあれ、わたしはナオキさんの質問にお答えします。


「ナオキさんの言葉を借りて言えば──敵を増やすコストより王室ちよう隊のリターンが大きいのであれば、ぜひそうしてください」


 お金は正しく手に入れることよりも正しく使うことを心がける。それが重要なことなのだと、ナオキさんは言っていました。


「わかってきたね。それじゃリターンを取りにいこう」


「はい。具体的には何をしますか?」


「簡単だよ。しゆうじんのジレンマでだれがいちばん得をするのか考えるんだ」


「いちばん得をする人ですか? ええっと……しゆうじんAもしゆうじんBももくするのがいちばん得ですから、談合、つまり打ち合わせさえできれば、ふたりとももくしてしまいますよね。それが商人たちの状態で、ここから両者を自白に変えるには──」


 ああ、そうです。


「片方をゆうへいしますか? たしかに敵が増えてしまいそうです」


「発想が中世だな! いやそうじゃない。いいか? しゆうじんのジレンマでは、ソアラの言ったとおり両方とももくするのがしゆうじん全体にとっていちばん利得が大きい。だけど、検察官がルールを変化させた。


 〝自白したらけいを減らしてやる〟という、一方だけが利益を得られるルールがあることで、ふたりの正解が変化した。しかし実は、もっとも利益を得たのは、他ならぬだ。つまり、プレイヤーではなくゲームメイカーが最も大きな利得を得ているんだよ。


 それと同じだ。ぼくらはギャンブラーではなくディーラーになる。ゲームを提示してルールを変える。プレイヤーたちにんだ」


 そんなナオキさんの口ぶりは、おうわさどおりの呼び名がぴったりでした。


「ふふふ、本当に〝じゆつ〟のようですね。ナオキさん」


かんべんしてくれ」


 笑ってそう否定されたナオキさんですが──具体的な手はずを説明していただいたわたしは、それがちがっていなかったことを確信しました。


 わたしの父は〝せんばつ王〟。オルデンボーの王は〝血船王〟と呼ばれています。


 であればきっと──ナオキさんのつうしようは〝じゆつ〟になってしまうでしょう、と。

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