第二章 オークションにかける! ぼっちな姫の癒やしかた(4)


 連日のお勉強会に目の回るような思いをしながら、わたしはナオキさんが話すたくさんの計算式をめ、み、自分にんでいきます。


 その日も、いつものようにナオキさんにお教えしたこの国の戦争に関わる要素を、数式の中にどんな変数としてあつかうか、ふたりで取り組んでいました。


「この国の伝統のちよう兵な、これはい伝統だ。各地域からつのった国民を兵隊として使う。装備はやりだけだが、給料がようへいの半分で済む。食料を──」


ひめ様、よろしいでしょうか」


 相談にんだ使用人の声にかえります。


 ちなみにこのやしきに使用人はいません。ナオキさんがやとっていないからです。かのじよはわたしが供回りとして連れて来た使用人でした。


 なので、主人であるわたしが応えることにします。


「なんですか? いまは少し、いそがしいのですが……」


「承知しております。しかし国王陛下から使いの者が来ておりまして、すみやかにひめ様にお伝えしたきことがございます」


「父上から? ……すみませんナオキさん、少しだけ中断してよろしいですか?」


「もちろん」


「申し訳ありません。──それで、父上は何のご用でしょうか?」


「このたびのいくさについて、ウィスカーこうしやく閣下とともに話し合いをするので、ひめ様にもその場で話をしたいとおおせです」


「……そこには他にだれがいましたか?」


「デュケナン大司教閣下もいつしよにおられるそうです」


 父上とウィスカーこうしやくと大司教……わたしの味方はいない会合です。『話し合い』とはいえ、わたしに発言権があるかどうか。期待値は低めになります。


 わたしはなやみました。


 なやみました。


 ──しかし結局、いままでならありえなかったせんたくをしました。


「……いまは、その……手がはなせません。まことに残念ながら、わたしは参加できないとお伝えしてください」


「えっ!? ……こ、国王陛下のしようしゆうをお断りするのですか?」


 王宮から連れてきた使用人のかのじよには、たいへんおどろいた顔をされてしまいます。その気持ちはよくわかります。


 なので、もう一度はっきりと意思表示をしました。


「はい。まことおそおおいことながら辞退いたします、とお伝えしてください」


「しょ、承知いたしました」


 使用人が下がっていくのを見届けてから、わたしはナオキさんに向き直ります。


「お待たせしました。再開しましょう」


「……良かったのか?」


「ご心配されなくともだいじようですよ。……たぶん」


 きっとまたおこられますが、いまはこちらのほうが大事です。


 わたしは再び数式に向かい合うために、集中して気をめました。








 ナオキさんの計画書を読み解くためには、いままでよりさらに多くの計算を積み重ねなければなりませんでした。どんな商人や算術書でも、これほどなにもかもを数値化して答えを導き出そうという試みは、目にしたことすらありません。


 教えられた計算を覚えて、そのがいねんを学び取り、ようやく次のページを読むと、そこにはまた新たな計算式がある。そのかえしでした。


 ナオキさんは根気強くそれを説明してくださいます。わたしはナオキさんを質問めにして教えをい、自室にもどって教えられたものとはちがうパターンで改めて自分で検証しました。そしてわたしが教わった計算式は、ぼうだいな積み重ねの末に洗練されたものであることに気づくのです。


 ナオキさんの計算にはわたしの知識を必要とするところもあって、そこでつまずいた時にナオキさんの質問に正確な答えを返すことが、わたしの主な役割です。


 ふたりで話し合い、数値を導き出して、作りあげていきました。


 敵の長所はなんなのか、わたしたちの弱点はどこなのか、あらゆる数値を比べて敵よりすぐれたものをさぐります。計算式の紙は本より厚く積み上げられ、かべに書かれる数式は複雑になってゆき、おやしきにはわたしの服が増えていきました。


「最近ソアラのえやら小物やらがぼくの家にどんどん増えてるんだが、どうしてだ?」


「わたしも最近はほとんどここで過ごしていますから、しかたのないことだと思います」


「それはそうなんだが……まあいいか」


 一室ほどわたしのお部屋になりました。ナオキさんはいつものようにおうようれてくださいました。もう行き来するよりここにいつしよに住んでしまいたいという考えがかんで、それをとどまるのに苦労したほどです。


 わたしたちは協力して計算を進めました。それは、わたしにとっては、やっぱり初めての体験です。──だれかといつしよにものを作り上げていくという経験は、これほどうれしいものなのだと、初めて知り得ることができました。








 数日後。わたしは久しぶりに王宮を歩いていました。


「まったく相変わらず広いところだな。ソア──王女殿でんいつしよじゃなかったら迷いそうだ」


 ナオキさんもいつしよです。わたしをいつものように呼びそうになったのを、人目を気にしてあわてて直していました。


「ふふ、迷わないでくださいね。今日の会議では、大事な話し合いをするのですから」


「わかっ?」


 おなかに力をいれて、笑うのをこらえました。


「っ……か、会議の時には、笑わせないでくださいね……!」


「ひどい」


 そんな話をしている間に、目的の部屋は近づいてきます。


 会議室のとびらの前でひかえる使用人が、こちらに気づきました。姿勢を正してむかえようとしてくれます。わたしもそれに目で応じ──


「王女殿でん、少しよろしいですかな?」


 そんなところで、横から声をかけられました。


「デュケナン大司教。どうかされましたか?」


 おだやかなみをたたえる司教服のろう、デュケナン大司教に呼び止められました。足を止めていたわたしとナオキさんを見て、小さく頭を下げられます。


びようしようの国王陛下に、とうと身体にいというこうをお届けさせていただきまして。その折に、陛下が最近少々気になるうわされ聞こえてくると申されておりましたゆえに、しようながら、この老人めが殿でんから真実をお聞きすると、お約束したのでございます」


「つまり、わたしについて父上の気にかかるようなうわさがあるのですね。わかりました。ナオキさん、会議室で待っていてください。すぐに行きます」


「わかっ──りました。王女殿でん


 いつものように返事をしそうになったのを敬語に直してから、ナオキさんはぎこちなく一礼して会議室へと向かわれました。


「それで、どのようなお話ですか?」


 わたしがそうおたずねすると、デュケナン大司教はまゆじりを下げて苦笑いされました。


「わかりませぬかな? あの青年のことです。使用人たちの間では、殿でんがあの男のもとへ通いつめて夢中になっているとうわさになっておるのですよ」


 なるほど、と思いました。


 わたしは暗殺されかけてから、ひとりで出歩くことをけています。ナオキさんのおやしきに通う際には、馬車を用意して使用人と護衛を配していました。かれらの口から、毎日朝早くから日が暮れる直前までおやしきに通いつめていることが伝わるのは、不思議ではありません。


「わたしはかれを相談役としておむかえしたのです。いまこの国がかかえる問題を解決するのに、一日や二日の話し合いで前向きな策を作り上げるのは無理でした。そのことは、だれの口からも出てきませんでしたか?」


「おおよんでおります。しかしながら、としを取りますと似たようなうわさが出た時には、必ず悪いことが起きる。そのようなことを、経験上知っておるのです。たとえば貴族の家に混乱が起きた時に『自分だけがそれを解決できる』などとふいちようするじゆつのようなやからが現れると、ご婦人は夢中になって金銀をみついでしまうなど、よくある話でいたしますれば……」


 〝じゆつ〟と言われて思いつくことは、ひとつしかありません。


「わたしがだまされているのではと、父上が心配されているのですね? かれをそのように悪く話すようなかたが、父上の周りにいるのですか?」


「もちろん私めがそう思っているのではありませぬ。口さがない使用人たちが、そのように国王陛下のしんだいの周りでささやいておるのでしょうとも」


「……では、そのご心配は無用であることをわたしの口から父上にお知らせします。デュケナン大司教の手をわずらわせようとは思いません。ご忠言ありがとうございました」


めつそうもございません。年寄りの冷や水とお思いでしょうが、私めも司教区を任じられて長く過ごしたこの国の一大事にあっては、このめいた身をただ横たえてはおられませなんだ」


「わかりました。それでは、失礼します」


「おいそがしいところをお呼び止めして、申し訳ありませぬ」


 ようやくお話を切り上げることに成功して、わたしは会議室へ向かいます。銀のようにかがやく数式で満たされていたわたしの胸に、にぶさび色のかべがこみ上げてきていました。


 忘れていたわけではありませんが──いいえ、忘れていたかったのかもしれません。


 ですが、すっかり思い出してしまいました。


 いまだだれひとりとして、この国のじゆうちんで、わたしに賛同してくださるかたは、いないのです。

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