第一章 ゲーム理論で分かる! 男装王女の救いかた(6)


    ◯


「本当にきゆう殿でんだよ……」


「はい。だんまりは別のところに用意しますが、なにぶん急なことなので、今日だけ、ここの部屋を使ってくださいね、ナオキさん」


 ほっそりとしたこしにつかまって馬にられること1時間ほど。男装の美少女と馬にふたり乗りで、しかもぼくが後ろ。


 そんな想像したこともなかったシチュエーションで、見たこともない立派なきゆう殿でんに連れてこられていた。


 兵士が乗ってきた馬を見つけてきゆう殿でんもどり、流されるまま客室らしい部屋に入ってしまった。


 その間、もちろん町の人にも兵士たちにも使用人たちにもじろじろ見られたが、ソアラが気にしないようにと告げただけで、なにもついきゆうされることはなかった。されないまま、ごうな部屋の中でくつろいでいる。村でものいしただけで追い出されたのとは、うんでいである。


 これが権力、と痛感していた。


 権力者であるソアラはといえば、ぼくを連れてきた部屋でいつしよにテーブルにすわっている。王女といつしよに水でうすめたじゆうを飲みつつ、なんとなく立派な家具の厚みを目で測ってみた。細工が細かい。きれい。すごい。高そう。ぐらいしかわからん。


るところに文句なんて言わないよ。なにせぼくは王女様に買われた身だしな」


「もうっ。それ、他の人がいるところでは絶対に口にしないでくださいね!」


「あっはっは。……じようだんでも言ってないと、ちょっとキツくって」


 コップを持つ手が小刻みにふるえているのをソアラに見せる。


 寒いからとか、そういう理由じゃない。あれからずっと、落ち着かないのだ。


「……だいじようですか? ずっと、血の気のせた顔をされていましたね」


「……正直に言うと、ぼくのいた世界は殺したり殺されたりはあんまりなじみが無い世界だったんだ。あのままだと殺されてたかもしれない。だからとっさに動いたけど……実のところ、死体になったかれらの血だまりを思い出すとだな……きそうになるし手もうまく動かせない」


 自分のったたまでないにせよ──ぼくは、あのふたりを殺すために引き金を引いた。


 その結果、望みどおり殺した。


 死体に慣れていない現代人としては、それなりにショックだ。


 それを正直に白状してみたぼくに、ソアラはいたわるようにうなずいてくれる。


「無理もありません。わたしも、あんなことがあったのは初めてですし」


「それにしては落ち着いてたな」


「……たれた人を見たことが、ありましたから」


「あー」


 なつとく時代なのだ。そして、ソアラはそういう時代の人間だ。


こうかいを、されていますか?」


「……こうかいはしてない。死にたくなかったからな。殺し合いになった時には、ぼくが死ねないから向こうに死んでもらわないと困る。


 だから気になるのは──こんなぼくやとっても、役に立たないんじゃないか? って話だ」


 疑問に思っていることを口にすると、ソアラがふっとほほんだ。


「この国はいま、本当にこんめいきわめているのです。まず、わたしの父、国王陛下が病を得ていて、もう長くはないこと。家臣団の間で、次期国王であるわたしへの不信がつのっていること。そんななかで、じきに海向こうの強国オルデンボーとの戦争が近いこと。かの国よりも、こちらの兵力はぜいじやくであること。──じようきようが、とても良くないのです」


「まあそのへんはあの勢力図を読んだから、うすうすわかるよ。まさかいちばん弱い国がここだとは思わなかったけど」


「〝弱い国〟ですか……」


「おっと、気にさわったらあやまるよ」


 つい口をすべらせたことを謝罪するが、ソアラはむしろうれしげに目を細めていた。


「いいえ、わたしもそう思っています。しかし、わたし以外のだれひとりとして、同じことを言う人はいません。──意味は、わかりますか?」


「いや、わからない」


「この国には『戦いはやってみなければわからない』と言っているかたばかりです。父上、家臣団、敵国、そしてたみですら。より前に、と思っているのはわたしだけ、ということです」


「あー……それはきつい」


 正直な感想を言うと、ソアラはな顔でうなずいた。


「たぶんですが……最悪の場合、わたしはそくするより先に、だんがい裁判にかけられますね」


だんがい? 今日、いやついさっき、暗殺されかけたんだろ。〝最悪〟はもうとっくにえてるじゃないか」


 兵士はただのだつそう兵だったが、ローブ男のほうはただの男じゃなかったらしい。兵隊を呼んで死体を調べさせたものの、男は身分や出身地につながるものをなにひとつ身に着けていなかった。高価なたんじゆうしやげき技術に習熟していたことといい、おそらくプロの暗殺者だろう。


 ──という説明を、ソアラ本人から道すがらに聞いたばかりだ。


「ですから、本当にこんめいしているということです。わたしの置かれた立場は、わたしが思っていたよりも、もっと良くないことになっているみたいです」


「そんなじようきようでルールに逆らおう、っていうのは……なかなか、ぼうじゃないか?」


 ソアラは首を横にった。


「わたしも、無理だと思っていました。だけど……あなたを見つけました」


ぼくを見つけた?」


 どういう意味だろう。


「はい。ナオキさんは、あのじようきようで弱い者が生き残るルールをいだしていました」


「あれはゲーム理論だ。ぼくが最初に作り出した数式じゃない」


「ですが、ほど、そのルールに確信を持っておられましたよね?」


「それは当たり前だろ? だって、数学的にはあれ以外のせんたくは無いんだから」


 数学に命を預けられるか、という話なら、つうにイエスだ。


 10%の確率で助かる道と30%の確率で助かる道なら、30%を選ぶ。そういう単純な話なのだから。


「不安は無かったのですか? ここはあなたのいたところとはちがう世界でしょう? そのルールが通用しないかも、とは考えなかったんですか?」


「不安はあった。だけど、それはルールが──数学がこの世界で通じないかも、という不安じゃない。ぼくが計算をちがっていないか、っていう不安だけだ。


 数学がここでも通用するってことは、わかってた」


「なぜですか?」


「数学はだからだ。地球上で人と話すための言語は190以上ある。『こんにちは』には『Hello』と返ってくるかもしれない。だけど、たとえ宇宙の果てにいる種族であっても、『1+1=』の答えは『2』だ」


 ソアラにぼくが言った「こんにちは」も「Hello」も通じなくても、「1+1=2」は通じる。それがわかってくれたようで、ソアラはしんけんにうなずいてくれた。


 数学とはそういうものだ。


 地の底から宇宙の果てまで、必ずそこには数字がある。


 この世界に来てから、ぼくは真っ暗な夜をえた。その夜空にかぶ星を見上げた。月が空を横切る姿を目にした。朝にははだを温める太陽のまぶしさに意識をかくせいさせ、かわに散乱する光で水の流れを見て取ることもできた。


 夜というこうせいかげに入る時間を持つ大地が自転する球体であることも、星々の光をまたたかせる空気散乱も、月光がゆうげんな美でくらやみかびがるのも、すべて数学で示すことができる。


 天体の円運動が、水が上から下へと流れ落ちる重力が、物質の裏側にある数字の海をぼくに見せてくれた。目に映るすべての現象が、目には見えない母なる海からのおくものなのだ。


「──ここがどこでどんな世界であっても、数学は、そこにある。絶対にだ」


 だからこそ、ぼくは確信を持ってそう告げられる。


 ソアラはぎゅっとにぎった手を机について身を乗り出した。


「それでは……この世界で、があると、信じてもいいのですか?」


「少なくとも──確率はあるさ」


 そううと、ひめは目を閉じて数秒、動きを止めた。


「確率はある。あるなら……じゅうぶんです。わたしは必ず、それを見つけ出します」


 かのじよは人知れず決意するように、そうつぶやいた。


 そして、開いた目に熱い意志を宿してぼくを見る。


「改めてお願いします。ナオキさん、わたしの相談役としてやとわれてください。わたしとともに、世界のルールを変える方法を探してください」


 そのしんまなしのまま、ソアラはぼくにこう言った。




「──わたしにも、




「それ、は──」


 のうに、祖父とわした言葉がフラッシュバックした。


 数学を愛する人を増やすために、ぼくがやらなくてはいけないこと。──同じ世界を美しいと思ってもらうこと。


 死んだおちゃんが願っていたことが、ぼくがやりたくてもできなかったことが、ここにあった。たとえそれが、けんじゆうきつけ合う未知の危険がひそむ道であったとしても、


「──断れないな」


 ぼくに、腹をくくらせるにはじゅうぶんな言葉だった。


「わかったよ。ぼくやとってくれソアラ。──必ず見つけよう。この世界の景色を、数学で変える方法を」


「……ありがとう、ございます」


 あんの息をきながら、ソアラがそう言った。


 王女はそのまま窓の外に目を向けて、ぼそりとつぶやく。


「必ず──必ず、この国を生き残らせてみせます。たとえわたしひとりだけでも……」


 そのひとみの中に、燃えるような決意を秘めた光がともっていた。


 いまのかのじよは、こうたたずむ王としての姿だ。められてじやに喜んでいたソアラと本当に同一人物なのか疑いたくなるほど、ぞくりとくる美しさがそのめんぽおに宿っている。


 そのひとみはどこか遠く、見果てぬ未来をえている。つまり──いまならいたずらし放題。やわらかいところをつついたりもできる。


 ぷに。


「はぅっ!? な、なんですか?」


 ソアラはつつかれたほおを手でかばってびっくりしている。


「いやひとりの世界に行ってたからもどそうかと。言いたいこと言って聞きたいこと聞いたら、ぼくは無視か?」


「すっ、すみません。わたし、社交行事以外で人とお話しするのって、慣れてなくて……」


びんな子だな」


「かわいそがらないでくださいっ。──あっ、そうです! 相談役なんですから、ちゃんと解決方法を教えてください」


ぼくは愛と数学だけが友だちだから」


「……え、えっと」


なぐさめるの下手だなー。まあとにかく」


 水差しからふたつのコップにおかわりを注いで、ぼくはそれを差し出した。


「これから他のやつらと、で戦うんだろ?」


 そう言ってコップをかかげてやると、ソアラはうれしそうに、あるいはずかしそうに笑って、自分のさかずきかかげた。


「ナオキさん、よろしくお願いしますね」


「よろしく、ソアラ王女殿でん


 ふたりの間で、さかずきを打ち合わせるかろやかな音色がひびいた。

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