第一章 ゲーム理論で分かる! 男装王女の救いかた(5)


「異世界、というのは……神話のようなお話ですね。海のかなたにあるという、ようせい国のようです」


ようせいでんたく使わないだろ」


「わたし、これ好きです。なんて便利なんでしょう、デンタ・クー」


 ア・バオア・クーみたいに呼ばないでほしい。


 ぼくたちはおたがいのけいかいが解けてから、おたがいに身の上を話し合った。


 ファヴェール王国の王女ソアラ・エステル・ロートリンデが男装しじゆうけんを持ち出してひとりでこんな勉強部屋に通いつめている、という信じられない話を聞いて──エレベーターから出てきたら異世界に落ちてたという自分の話と、同じくらいうさんくさいと思った。


 おたがい苦笑いするしかなかった。


 あやしげな身の上話なのはおたがい自覚があったので、それぞれ持ち物を見せ合ってみた。


 幸い、ぼくの持ち物にはでんたくメモ帳ボールペンと、わかりやすく異世界らしい持ち物がいくつかある。


 わたされたでんたくでソアラは喜々として遊んだ。ぽちぽちと計算してはえきしように表示された答えを自分で手計算して合っているかたしかめる、という検証作業をうれしそうに行っていた。


 ぼくはその間に、でんたくを借りるかわりにと王女がくれた白いパンと水を味わった。くさりかけのすっぱいものをかじったあとなら、小麦のあまい味わいだけで王族だって信じてもいい気分だ。


「このパンはすごくい。迷子になってからつらいことしかなくて、死にそうだったところだ。会えて幸運だよ」


「ふふ、この国がきらわれる前に会えて良かったです」


 くすくすと笑って、ソアラは関数でんたくを返してくれる。


 返してくれる、が……ぼくが受け取ったパンは、味をめたあとでは返せない。そして思う。ぼくが次にこういうものを味わえるのは、いつになるんだ?


「どうしました?」


 首をかしげるソアラに、提案をしてみる。


「……これを売るって言ったら、いくらくれる?」


 でんたくを指先でりながら言うと、王女の大きなひとみがぱちくりとまたたいて丸くなった。


「売っていいのですか? 貴重な物ではないのですか?」


「本当は良くない。そろばんや筆算じゃ、あれを導き出したようなホルト・ウィンタース法のグラフは作るのにもっと時間がかかるようになるだろうし。


 だけど、これをぼくがこのまま持ち続けた場合の利得は、正直に言うとそんなに期待できない。ぎりぎりになってから売るなら、きっとたたかれる。だけどいまこのしゆんかんなら、買い手は王女で、しかも価値を認めてる。期待値はじゅうぶんだ。──もちろん、人間としてしんらいできる相手だしね」


しんらい……」


 ソアラはみしめるようにそれをつぶやき、胸に手を置いてふるえている。


「どうした?」


しんらいできる、なんて、言われたのも──」


「初めてだってことか。本当に苦労してるな」


 どうにもいちいちびんな過去が見える。


 しようして、ソアラがせきばらいした。


「こほん、すみません。ええと、そうですね、デンタ・クーを買うなら……フィセター銀貨で100枚。それでどうですか?」


「なるほど。それっていくらくらい?」


「? ですから、大銀貨が100枚です」


 まあそうなるか。


へい価値も覚えないとなぁ……ううむ……」


「なにか、お困りですか?」


「なにもかもさ。でもまあ、とにかく当面暮らしていけるくらいのお金になってくれればいいよ。それと、村じゃなくて街があるなら、そこに連れて行ってほしい。そこなら、数学的トリックを使ったイカサマでなんとか食いつなげるかもしれないし」


「保証人のいない外国人が犯罪なんてしたら、すぐにこうしゆけいになってしまいますよ」


 心配そうに言ってくれるソアラに、かたをすくめて答える。


「正当な方法だ。犯罪じゃない。ぼくが必ず勝つってだけ。もとの世界にもどるまでの間でいい。まずは生き延びないとな」


 いまだ不安げな顔の王女に、でんたくを差し出す。


「その値段でいい。市場価格はぼちぼち覚えるよ」


 しかし、ソアラはでんたくをじっと見つめて、何かかんがんでいる。


「どうした? もっと高く買ってくれる気になったのか?」


 ぼくがそうたずねると、王女はその大きなひとみをこちらに向けて、うなずいた。


「……ある意味では、そのとおりです」


「うん?」


「ナオキさん!」


「うおっ」


 ソアラがおたがいの鼻が当たりそうになるくらい身を乗り出す。思わずのけぞる。


「ナオキさんは──」


 かのじよの言葉は乱暴な音でさえぎられた。


 パガァン!! 空気を打ちふるわせるじゆうせいと、なにかがこわれるふんさい音。かんはつれず、木のとびらすさまじい勢いでやぶられる。金具ごとこわされて外れたじようまえが、ゴトンとゆかに転がった。


 つまり、小屋のとびらから何者かがとつにゆうしてきていた。最初のじゆうせいってこわしたらしいじようまえへんみつつ現れたのは、けむりげるマスケットじゆうを持った、兵士風の男である。


「あなたは、うまや番の……?」


 ソアラがいぶかしげに言うのと、その男がこちらを見ていまいましげに舌打ちするのは、同時だった。


「やっぱりな。若い女がこそこそ出かける理由なんざ、男しかねえって思ったぜ」


 ぼくは王女と顔を見合わせる。たしかにこの体勢は誤解されそうだ。


「ち、ちがいます! これは──」


「いいわけはいらねえですぜひめ様。どうせ次の戦争にゃ勝てねえ。その前に、おれも一発もらいに来ただけなんでね。終わったらおれぁこの国とおさらばだ」


 それを聞いたしゆんかんあわてふためいていた王女の顔つきが変わった。


 口を引き結び、理性的な目の中にするどい光が差す。見る間にたかのような気高さとはくを持つまなしになり、表情筋はすべてまってるがない。それはまるで、かのじよという存在が人格ごと変化してしまったようにすら見えた。


 とにかく──先ほどまでの未熟な〝少女〟の顔ではない。


「それは、わたしがきをしているからですか?」


「へっ、あんたみたいなむすめになにができるってんだ。最初から期待しちゃいねえ。勝てねえってのは、みんながそう言ってるからに決まってるだろ。うまや番ってのは特別なうわさばなしも聞けるんだからなぁ」


 それを聞いたしゆんかんひめどうこうが小さくなった。


「では、わたしの不徳ではなく──あなたが故国を裏切るれつ漢だから、ですね。えんりよなくてます!」


「おおっとォ!」


 ソアラが立ち上がってじゆうを構えたとたん、男は身をひるがえして戸口の外に出て、身をかくした。


 引き金を引かずに、かのじよが声をひそめて言う。


げましょう、立って」


「お、おう、わかった」


 事情はわからないけどピンチだ。そしてぼくあらごとに向いてない。戦うなら力になれないがげるのは大賛成だ。ソアラとふたり、急いで立ち上がって窓から飛び出る。


 しかし、小屋のかげかくれたままの男の声が追ってきた。


はねェぞひめ様よお! 馬のくらは外しておいたからなぁ! すぐ追いつくぜ!」


 その言葉どおり、外にいる馬にはくらがついてなかった。


 ソアラは男がかくれる小屋の角にじゆうこうを向けながら、横目でぼくを見る。


「──はだかの馬でも、いないよりいいですよね?」


「それぼくに言ってるのか? 馬に乗ったことなんてないんだが」


「では、いまからちようせんして成功してください」


 ピィッ! とかのじよかんだかい指笛を鳴らし、反応した馬が寄ってくる。


 おおかっこいい。


 しかし乗馬経験ゼロのぼくが、くらが取り外されたはだかの馬に乗ってげる? 成功するとは思えないけど、死にたくないならやってみるしかない。


 ──じゆうせいが、その考えをのうずいごとくだいた。


「うおおっ!?」「えっ──!?」


 づなを取る直前でごうおんさくれつ。馬の頭が血しぶきをいた。


 馬がどうっと横にたおれる。


「王女殿でん


 その声にはっとくと、小屋の角ではなく、森の中から黒いローブを着た男が歩み出てきた。しかも、ソアラのものと似たようなたんじゆうを手にして。


 男は身体の周りにただよう白いけむりを手ではらいつつたんじゆうこしにしまって、もういつちよう、おそらくそうてん済みの新しいじゆうを取り出した。


「おかくを」


 先ほどの男とはまるでちがうふんだった。氷のような殺意を持つその視線と声だけで、背筋につららをされたような寒気さえ感じる。


 動く馬の頭を精確につらぬいたうでといい、この男はやばい。


「仲間がいたのかよ! あの兵士、見た目に反して用意しゆうとうなのか!?」


「なんだてめェ!? その女はおれのエモノだぞ!」


 小屋の角から出てきた兵士のひと言で、じようきようがさらに変わった。黒衣の男がそちらにじゆうこうを向けて、まゆをひそめる。


じやするな」


「うるせェ! てめえこそじやだ!!」


 仲間割れ──というふんでもないなこれ。


「まさかこいつらふたりは関係無い? どもえかこれ?」


「そのようですね……」


 ややこしいことになったようだ。


 3人がおたがいにじゆうを向けあってけんせいしているが、だれも引き金を引かない。この時代のじゆうは1発ずつしかてないからだろう。全員が敵対者のどちらを先につべきかなやんでいるのだ。


 そのじようきようで、ソアラがぼくにぎりぎり聞こえる大きさの声で言った。


「……いになったあと、生きていたら、わたしがけんで戦って足止めします。げてくださいね」


「当てる自信はあるのか? けんで勝てる自信は?」


 そういてみると、少女は目を細めて言った。


「どちらも、無いです。……弱肉強食の縮図ですね。じゆうけんも、わたしだけが、あのふたりともに勝てるみがありません」


 つまり、勝つのをあきらめて、ぼくがそうとしているのか。


 年下の女の子を置いて、自分ひとりだけ命しさにげろ、とそういうわけだ。


 ──ふるえる声で、そう言うのだ。


 たったひと言、められたことに感動してしまうような少女が、きようふるえているのを見捨てて、げる?


「……そんなこと、できるか」


「わたしがかくなんて作らなければ、こんなことになりませんでした。これはわたしの招いたじようきようで──せんたくが無いのは、この世が暴力で支配されるという変えられない〝ルール〟のせいです。わたしのわがままが原因でナオキさんを死なせるのは……つらいです」


「ふむ……ルールか……」


 いいことを言う。


 つまりこれは、ルールにのつとったきの状態にある。


 見たところいちばん強い──すなわち、命中率が高いのが、黒衣の男。次に兵士。そして最後にぼくたち。じゆうてるのは1回ずつ。


 3人のプレイヤーの勝利条件は、敵対者にったたまを当てること。確率はそれぞれで異なる。


 その条件で、


「なるほど……つまり、これはゲーム理論だ」


 ぼくは、げるかわりに、ソアラのきやしやな背中にぴったりとった。


「なっ、なにを?」


 重いじゆうを構えるそのほそうでに、後ろからぼくの手を重ねて支える。


ぼくつ。わたししてる時間は無いだろ?」


「あ、あのっ、ですが──」


「いいから、


 ふたりで持ったじゆうを構え、標的を見て、


「てめぇらぁ! なにごちゃごちゃ言ってんだおらぁああ!!」


 った。




    ◯




 いつしゆんのできごとでした。


 かれはわたしを後ろから支えた手で、ばやくどちらをつのか決めて、すぐにちました。


 そこからは、まるでせき止めた水が流れ出すように、こうちやく状態だったすべてが動きます。


 わたしたちのったたまは、ばくはつの重いしようげきされて飛んでいきました。火薬の燃える白いけむりがり、たいしたふたりがぎょっとおどろいて身をすくめます。


 ですが──それだけです。その身体のどこからも、血の出るようなことはありません。


 当たり前です。ナオキさんがわたしの手を取ってじゆうを向けた方向は──いのちづなであるはずの最初の1発が、のです!


 むねおくで、心臓がぎゅっと縮みあがるのを感じた気さえしました。


 次のしゆんかん、二つのじゆうこうが火をいて、森にじゆうせいとどろきます。


「っ────!!」


 わたしは強く身体をひっぱられたようなしようげきを身に浴びて──しりもちをついていました。


 らされる血のにおいが、くさい火薬のにおいに混じります。


 たれた。


 こうなるのはつ前にわかったはずです。


 てるのは1発だけ。どちらをっても残ったひとりにち返される。弱い者に、せんたくはありません。


 敵をたおせる最初で最後の機会は、引き金を引く一度きりだけです。なのに、その〝一度きり〟すら無くしてしまったわたしたちには、もう何もできません。


 ──


「あ、あれ?」


 わたしは生きていました。どこも、たれていませんでした。


 生き残って、いました。


「大当たり。


 地面にたおれたふたりを見て、ナオキさんがぼそりとつぶやきました。


 わたしのおもえがいていた未来とはまったくべつの光景がそこにあります。


 兵士とがいとうの男。そのふたりこそがたおれていました。


 じゆうを先にち、そして外してしまった生き残っていました。


 信じられないことです。


 じゆうしんが長くて当てやすいマスケットじゆうを持った兵士でもなく、手練れたうでまえを持つ黒衣の男でもなく、あの場で生き残ったのです。


 その事実にしようげきを受けて、わたしは足の力がけてしまいました。


「……なぜ、ですか?」


 わたしは、すわりこんだままたずねます。


「なぜ、あんなちをして助かると、?」


 かれは〝うまくいった〟と言いました。つまり、ということです。


 わたしの疑問に、ナオキさんはいて、かたをすくめます。少し、悪そうなほほみをくちに上らせながら。


「これは最適化戦略の問題だ。いいかな? 単純化して、ぼくたちの命中率を3分の1、3発って1発しか当たらないヘタクソだとする。あの兵士は3分の2。ローブ男は3分の3だと仮定しよう。一度にてるのは1発だけ。さて、どうする?」


 言われて、考えてみました。


「それは……いちばん強い人をたおさないと?」


「ちがうね。正解は──つためのたまを捨ててしまう」


 ばあん、と口で言いながら、空に向けて引き金を引くふりをしています。先ほど同じことを実際にやりました。


「そんなことをしては、なにもできなくなってしまいます」


 わたしはそう反論しました。しかし、ナオキさんは首を横にります。


「相手の立場になって考えてみてくれ。ぼくたちはもうてない。じゃあそのじようきようで、残ったふたりはだろうな?」


「──もうてないわたしたちではなく、じゆうを持った敵同士です!」


 わたしたちをっても、残ったひとりにたれてしまいます!


 その答えを聞いて、ナオキさんは笑ってうなずきました。


「大正解。同時にち合ってたおれてくれたのは、想定していたなかでいちばんの大当たりだったわけだけど」


 わたしの受けている、この胸が苦しくなるほどのしようげきに、ナオキさんは気づいていらっしゃるでしょうか?


「それでは……わたしたちは、のですか?」


「そうとも言える。人は目に見える〝強さ〟で判断をしてしまいがちだけど、感じたものをそのまま信じるなんて、動物でもできる。目に見えない情報を理性でにんしきしてこそ、ことができるんだ」


「未来を、選び取る……」


 心臓が、ひときわ強く脈打ちました。


 


 胸を強く打つどうが、わたしの中ではんきようします。それこそ、と。苦しくなるほど望み願ったものが、いま、目の前にある──手をばせばそのせきが消えてしまうのではないか、とおそろしくなったほどです。


「数学は理性的にんしきをもっとも正確に導き出せる技術だと、ぼくは思ってる。つまり──」


 どうようするわたしとはまったく反対にはらった様子で、ナオキさんはすわりこんだわたしに手をべてくださいます。


「──数学は、時をえる」


 出会った時からのゆうゆうとしたそのたたずまいは、これほどのことを成してなお、お変わりがありません。


 べられたたのもしい手をつかみます。その手が消えたりは、しませんでした。それどころか、冷たい地面からわたしを力強く引き上げてくださいました。


「ナオキさん……」


「ん、どうした? どこか痛むのか?」


 手をはなさないわたしに首をかしげていらっしゃいます。しかし、わたしはもう一方の手もナオキさんをつかんで、強くにぎりしめました。


 いまこそ、手をばす時だと思ったからです。


「お願いがあります」


「な、なんだ?」


「わたし、デンタ・クーだけじゃなくて……です!」


 そう口に出すと、かれは少し目を見開いておどろき、何か、迷うように視線をさまよわせました。


 ごくり、ときんちようにはしたなくものどを鳴らしてしまいながら、わたしはナオキさんの反応を待ちます。


 やがて、ナオキさんは迷うような口ぶりで、言いました。


「えーっと……欲求不満、とかか……?」


「よっ──!? ちがっ、ちがいます! ちがいますから!!」


 わたしの一世一代の気持ちをめて言ったたのみごとは、いやらしい意味に誤解されてしまいました。

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