第一章 ゲーム理論で分かる! 男装王女の救いかた(4)


    ◯


 ぼくがエレベーターのとびらから転げ出て二日目。


「異世界って、つらいな……」


 結論から言うと、ぼくは異世界にいる。もしかしたらタイムスリップかもしれないが。


 機械がひとつも無いような大自然の中で人類が暮らしてる時代というのは、ぼくからすれば異世界とほぼ同義語だ。


 大自然の中に放り出されたぼくがすぐに背後をかえったのに、エレベーターは消えていた。なんかあやしげな小さいせきがあっただけだった。


 しかたないので、とりあえず人の姿を探した。近くの村に行ってみて不思議なことに言葉が通じたまではいいんだが、悲しいことに、行商人ではないこの国の名前も知らないなにもわからないお金持ってない、とかのたまうあやしい来訪者にやさしくしてくれる人はいなかった。


 ほうに暮れたまま村のすみすわんで。


 そのうち腹が空いてしかたなくなったので、思いっきり頭を下げて食べ物をめぐんでもらった。それをやるからどこかへ行け、とはらわれたが。


 どこかへ行くからもっとくれとせびって食料を手に村を出て、行くあても無いので最初にエレベーターからされた地点へもどることにした。


 そのちゆうで運良く見つけた人のいない小屋で、雨風をしのぐことに。えたりはらわれたりしてすっかりすさんだぼくは、窓をこじ開けるのにちゆうちよしなかった。


 そうして中に入ると、おもしろいものがあった。『ウェビング』と呼ばれる思考ツールである。


 映画をよく見る人なら、「地図に写真とかりまくるあのかべ」と言えば通じるかもしれない。


 簡単に言えば、連想ゲームみたいなものだ。たとえば『かべ』という言葉を置いて、次に『試練』と連想したらその横にキーワードをメモした紙を置いて、線でつなぐ。そうやって関連するものを書き出していくのだ。


 かえしていくうちにくもの巣ウエブのようなキーワード群ができあがる、すなわちくもの巣張りウエビング、である。


 しかし、いま目の前にあるものは、そういうアイデア発見とはようがちがうらしい。だいたい地域ごとにまとめてけられた覚え書きに、短い語句と数字がまれていた。


 ざっと見た限りだと、勢力図のようなものだろうか? 首をひねる。近くにあった木箱の中をあさると、この勢力図のこんきよとなったらしい書類がたくさんまれていた。


 目を通してみると、月ごとに行き来する船の数、移動するようへいたちの数、それらをまとめた書類らしいことがわかった。


 生データがこれで、整理したものが地図にられている。わせればなんとなくどこがどう関連しているのかは当たりがつく。


 と、そこまで気づけば、あとは覚え書きの中にある『?』が気になる。


 過去のデータのうち、1月と3月はあるけど2月は空白、という具合にけがあったりするのだ。


 数字を見れば放っておけないのが、数学者のというやつで。小屋を無断使用したお礼がわりに、ぼくはその『?』をめてみることにした。


 箱の中の紙を借りて数字を書き出し、グラフを作り、導き出した数字を自分のメモ帳をちぎった紙に書いてかべのメモにはさんでいく。


 パソコンがあればこの程度はエクセルにんでもっと短い時間で終わるのだが、こればかりはしかたない。でんたくがあるだけましだ。


 計算式はもう分かっているので、ひたすら手を動かす。数学者的に言うところの「手の運動ハンドエクササイズ」である。そんな単純作業でも、やるべきことがわかっていて、しかも考えたとおりの結果が出るので楽しい。


「異世界はつらいけど、やっぱり数学はいいなぁ」


 まったく、こればっかりはこの世界でも変わらない。


 数時間歩けば翌日には筋肉痛になる足では行けない、遠くの国を見ることができる。だれも知らない世界でわたりできる口のうまさがなくとも、数字はぼくはらわない。


 数学は現実世界のあらゆる制約を持たない。


 そこにあるのは時間もきよえたところに存在する、もうひとつの自由な世界だ。


 最後の『?』がめ終わって。


 満足したし、これで独断でもらった一宿の恩も独断で返し終えたというわけだ。


 よし、よう。


 そうしてぼくは、小屋の中にあった大きめの布にくるまって、久しぶりの満足感を味わいながら目を閉じた。


 明日の目覚めは気持ちのいものになりそうだ。






 激痛。


「ぁ痛ァ──っ!?」


 なにかに腹をまれて、飛び起きようとしたらこしに重いものが落ちてくるという最悪の目覚めである。


 もういい加減にしてくれよ! ぼくがなにしたっていうんだ!?


 激痛をこらえて首を持ち上げる。──が、目を開けても真っ暗だ。


 そのとき、やわらかいかおりがぼくこうでた。


 腹に生じたにぶい痛みをかすように感覚器を快くでるそのほうこうは、どうやら顔におおいかぶさったなにかからただよっているらしい。


 持ち上げてみると、それはぼうだった。


「い、いたた……」


 小さなその声の主を見るために目の前からぼうをどかす。開けたぼくの視界に現れたのは──すらりとびる長い足でぼくの上にまたがった、美少女だった。


「……えっ?」


 光を透かす色素の薄いロングヘアに、ようせいのように小さく白いりんかくえがほおからあごのライン。むらさきいろの大きなひとみと、小さくも高い鼻筋にうすくちびる。分厚い上着をげる豊かな胸のふくらみに、密着した下半身から伝わるやわらかさ。


 そんなげんそうようせいトートロジー美少女が、自分の上に乗っていたのである。


「夢かなこれ」


 ついつい、手近にあった足をげてしまう。


 温かいしやわらかい。夢のようなざわり。


 夢だけど、夢じゃなかった。夢だけど、夢じゃない。


「はうっ……!?」


「おっとごめん、つい」


 あやまると、美少女がはっとした顔でぼくを見下ろした。


「う、動かないでください!」


「……ぼくはいいけど」


 少女の太ももに手を置いたまま、ぼくは動きを止めた。これは災難続きのわせにちがいない。


 かのじよは手を自分のこしの後ろで動かしている。


「あっ、え、えっと、かたいのが……あっ、おしりに当たって……」


「……かたいのって、ぼくのアレ?」


 やわらかいところであつぱくされているので、こう、き特有のかたさからのさらにかくせいが。


「ありました! 動くとちますよ!」


 うわおちがった!


 少女が後ろこしから取り出したのは、木と鉄でできた無骨なじゆうだった。


 これゲームで使ったことがある。中世ファンタジーものの洋ゲーのピストルだ。顔面につきつけられたそれは油くさにおいを発していて、とても実用的なふん


 本物なのかどうか、自分の顔面にじゆうこうが向いてるじようきようためす勇気はとても起きない。


「オケー。おたがい落ち着こう。な?」


 ぽふぽふ、と手でやわらかくたたいてそう主張する。しかし、ぴくりとかたふるわせた少女は、顔を赤くして視線をきつくした。


「……ど、どこをたたきながら言っているのですか?」


 言われて気づく。


「あー……足、だな、きみの。どうりでざわりがいと思った」


 めそやして態度のなんはかってみる。


「手をはなしてくださらないと、ちます」


 無理だったらしい。


 両手を降参ホールドアツプの形に構えた。どうにか命を取られる展開からげないとならない。


「聞いてくれ。ぼくは腹が空いてたし行くあても無いしで困ってて、屋根を借りたかっただけなんだ。なにもぬすんでない。これからぬすむつもりも無い。許してくれ」


「……では、あれをやったのもあなたではないのですか?」


「あれって?」


「わたしの大事な地図に、手を加えた人です」


「あー……」


 まちがったかもしれない。


 よく考えてみれば、自分の研究ノートに勝手にいろいろ書き加えられていたら、気分が悪くなってもおかしくない。


 だけどうそを言ってもたぶんダメだろう。だから正直に言うことにした。


「そのとおりだ」


 じゆうにぎる少女の手に、力がこもった。


「……あれがなにか、知っていたのですか? 読み書きができるのですか?」


 なぜだかとてもしんちような口ぶりで、そうたずねられる。


たのむ。たのむから聞いてくれ。ぼくは遠いところから来た。たぶん想像以上にね。文字や数字はなぜか読める。だけど、あれがなにかは知らない。でも、ざっと見たところは、勢力図かと」


 そう言ったしゆんかんじゆうこうが目の前から消えた。


んですか!?」


 ドン! と頭のりようわきに手が落ちてたんせいな顔がはくりよくの近さに!!


 まさかのゆかドンである。


 間近にせまったむらさきいろの大きなひとみが、ぼくの目をがっちりらえてはなさないしんけんさと熱意でくししにしてくる。


「わ、わかるよそりゃ」


「では、あの数字はどうやって、なぜ書いたんですか?」


「計算しただけだ」


「計算した、……!?」


「ホルト・ウィンタース法だよ! じゆよう予測の計算式だ! グラフを作るのは手間だったけど、データのけをめるくらいならでんたくでもできる!」


「計算式で予測なんて……そんなことが……!!」


 まばたきしてないんだがこの子。


 そんなにあれにんでたのか。悪いことしたかもしれない。


 ぼくが初めて数式を作っていた時ののうや、完成した時の興奮。ひょっとしたら、そういうものをうばってしまったのかもしれない。


 ──あるいは、かのじよもだれかのために、あれを作っていたのかもしれない、のか。


 急にバツの悪い思いがいてきた。


「悪かったよ勝手にんで。パソコンも無い世界で情報ぶんせき用の数字を集めてるんだから、よっぽど苦労して集めてたんだよな。それをわかっておくべきだった。反省してる。きみのまとめたデータがあまりに整然としててれいだったから、ぼくもつい夢中になったんだよ。すごくよく考えられてて、感心したんだ。だから──…………?」


 ぽたり、とほおれる。


 ぼくほおらしたのは、上から降ってきたすいてき──その少女の、なみだだった。


 泣くほどダメだったのか!?


「えっ……!?」


 かのじよは目もとに手を当てて、れている指先を見て声を上げる。自分が泣いていることにびっくりしたようだ。


 息をんで目を見開き、ほおしゆに染めておろおろ目を泳がせたあげく、


「あっ──み、見ないでください!」


「お、おおお!?」


 ばふっ! と勢いよくぼくむなもとに顔をしつけてかくした。


 やわらかい身体が密着してきて、でもこの子は泣いててこれどうすればいいんだ!?


「ごめんなさい……その、わたし、そんなこと言われたの、初めてで……」


 こんわくするぼくの胸の上で顔をかくしながら、その子はかたふるわせながらそう言った。


「〝そんなこと〟ってのは?」


「き、れい、って、言ってもらえたのが……」


「……そんなこと言ったっけ?」


 たしかにれいな子だが、口にした覚えはない。


「言いました!」


 がばっと身を起こして、なみだうるませながら、いつしようけんめいにそううつたえてくる。


「わたしの、書いたものを見て、れいに整えられてるって、感心したって、言ってくださいましたっ」


「それのことか」


 たしかに言った。よくできてる。


「わ、わたしは……あれは……わたしなりに、必死で考えたんです。長い間、たくさんの記録を集めて、がんって、作って……。でも」


 ぎゅう、とぼくの胸をつかむ少女の手がにぎりしめられて、ふるえていた。


「人に見せたら、気味悪がられて……変だって思われて……理解、してくれなくて……!」


 苦しげに息をして、かのじよぼくを見た。


「だ、だから、び、びっくり、したんです。わたしの、作ったものを見て……めてくれる人が、いるなんて、思わなかったんです……」


 ああ、それは。


 ぼくにも覚えがある。


 数学的な考えは、時として直感を裏切る。5%のクジを20回引いても100%にはならない、というように。


 直感を裏切る数学を信じることより、そんなことを言い出すぼくを疑うほうが、ずっと簡単だ。そして、人は簡単なほうを選ぶことのほうが多い。


 かのじよはきっと、ぼくが味わったものを、何度も何度も、んできたんだろう。んで、そのうえで、こんな森の中でたったひとり、データを築いていたのか。


 ──それは、どんなにどくなことだったんだろう。


 祖父に認められたい一心でてつで数式を作った日のことを思い出す。あれは失敗だった。


 このデータが正しいかどうかは、ぼくにはわからない。だが、あの日のぼくは、こう言われただけで、むくわれた気持ちになれたのだ。


「きみは──」


 かたに手を置いて、うなずく。


「──よくがんったな」


 細い指先が、ぼくの手にそっとれる。まるでそこに置かれた手がうそではないと、確かめるかのように。


「…………はい」


 少女は重ねた手にほおを寄せて、熱いなみだこぼした。じわりとその熱が広がり、そしてけてしまうまで、かのじよはまぶたをせて動かなかった。


 やがて、ゆっくりとその目を開く。


「そういえば、お名前をまだ聞いてませんでしたね」


 目からなみだを指でぬぐって、少女が顔を上げる。どうやったのかするりと身を下げて立ち上がった。


 たおやかなその手を差し出してくる。その小さな手をにぎり返して、ほそうでに助けられながら身を起こした。


 ぼくが立ち上がってもしっかりとつないだ手をはなさず、もうひとつの手を上に重ねて、少女はうるんだままの目でほほんだ。


「わたしは、ファヴェール王国第一王女、ソアラ・エステル・ロートリンデと申します。ソアラ、とお呼びくださいね」


ぼくは迷子のせりざわなお。ちなみに〝せりざわ〟のほうがせいだから、ナオキでいい」


「よろしくお願いしますね、ナオキさん」


「よろしく、ソアラ」


 にぎった手にもう一度力をめてから、ぼくは聞き返した。


「……ところで王女ってジョークだよな?」


「いいえ。わたし、あまりうそは言いません」


 うれしげにしようしたまま、こともなげに返される。マジですか。


「……ぼくは王女殿でんたおされたのか」


「お、たおしてなんかいませんっ」

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