第一章 ゲーム理論で分かる! 男装王女の救いかた(3)


「王女殿でん、またですかい?」


 軍馬が並ぶうまやに行くと、そこにいた兵士にそんなことを言われてしまいました。


 かれとは何度か顔を合わせているものですから、ひと目見てわたしの目的は伝わってしまったようです。とはいえ、それも当然でした。わたしもだんはこのようなかつこうをすることはありませんから。


 まとめ上げたかみをつば広のぼうおおかくし、しゆうも無いじようかわでできたぶくろに、分厚いシャツと上着。こしにはちようけんと護身じゆうるして、ドレスでもスカートでもなく穿ながぐついています。


 貴族のていか従者が、りにでも向かうようなかつこうでした。──もちろん、男性が。


「馬の数にはゆうがありますし、馬も休んでばかりより走らせてあげるほうが喜ぶでしょう? 銀貨を受け取るあなたも、何度もあるほうが喜ばしいのではないですか?」


 わたしは銀貨を入れたぶくろを作業台に置きました。


「いつものようにお願いしますね」


 わたしの手の下にあるふくろに目を落として、うまや番はもごもごと口を動かします。


「……馬具をつけて、門番にはどおりさせて、このことはだれにもしやべらない、ですかい」


「そのとおりです」


 兵士はのっそりと立ち上がり、わたしの希望どおりにすることを選んでくれたようです。毛並みのい軍馬に装具を取り付け始めます。


「……ところで、今日の会議から帰るえらい人らもここを使っていやしてね、王女殿でん。聞き耳立ててたわけじゃねえですが、貴族ってのは声をひそめるのに慣れてねえかたが多くて、いやその、自然と耳に入ってきたんでやすがね」


「なんですか?」


「……戦争が近いってえのに、殿でんは、その──戦う気が無い、とかいう話だそうですが、本当ですかい?」


 ため息をきたいのを気配ごと抑えました。


 わたしの話のどこを聞いていたら、そのようなことを思われるのでしょうか。その評議会のだれかは。


「そのようなことはありません。いくさの準備は着々と進めています」


「兵隊の間じゃ良くないうわさもあるんですがね……なんでも、こっちにいる兵隊の数は敵につつけだとか……」


「おたがいの兵隊の規模は、おたがいに大まかにはあくしているものです。こちらもオルデンボーの兵力がどの程度なのかはわかっています。心配することではありません」


 むしろ、兵の間に弱気が広まっていることのほうが気になります。


「そうですかい……それで、殿でんは今日もひとりで行くんですかい? いったい、いつもどこに行ってるんで? なんなら、護衛役になりそうなやつを呼びますぜ」


 馬具を取り付け終えた軍馬をこちらへとわたしながら、兵士がそう提案してきます。


 わたしはくらまたがってづなを取り、問題無いことをかくにんしてから、ていちようにお断りしました。


「ありがとうございます。ですが、不要です。そう遠くに行っているわけではありません。それに、武器もきちんとあつかえますから」


「でも──」


「わたしがおそわれたりしないように、兵隊たちには、かいどうや周辺の見まわりをしっかりとたのんであります。治安悪化の報告はありません。それでは」


 無作法かとも思いましたが、わたしは会話を打ち切って馬を進め、きゆう殿でんをあとにします。


 ふと気になってこっそりと後ろを見ると、うまや番の兵士は、いつまでもこちらを見ていました。


 ……今日の用事を済ませたら、しばらく間を空けたほうがいいかもしれません。戦争が近い時期に王族がしんなことをするのは、あまり好ましくないことですから。








 小さいころから、わたしがしやべるとみんながだまってしまいました。


 わたしはどうしても、『当たり前のこと』が当たり前にできないからです。


 聖書をもとに書かれた法はこの世でもっとも尊いもので、貴族の子女はしいと社交をきわめるべきで、けいけんで熱意と信念を持って戦う人間がこの世の中でもっとも強い。


 この世を回すそれら大きな歯車と、わたしの自分勝手な歯車では、まったく歯がわないのです。


 気にしなくていいことばかり気にかけてしまい、人をめるのもあまり得意でなくて、大勢の盛り上がりに水を差してしまう。


 あつかいにくい次期国王。


 それがわたしという、不出来な王女の評価でした。


 馬に乗ってきゆう殿でんから街へ、街からかいどうへ、そして森の中まで、どんどん分け入っていきます。


 家臣団も使用人たちも、兵士や市民たちも、やがてはだれひとりとして、わたしを見てうわさすることは無くなります。


 小さなけものの気配や木々のれ以外には、わたしの乗る馬が歩くのんびりとした歩調だけが耳に届くだけの空間になりました。


 細く長く、息をします。


 おりのようにおなかの内側にこびりついていたため息のすべてを、こっそりと捨て去りました。


 少しだけ、気分が楽になります。とはいえ、こんなことをするために、ここまで来たのではありません。


 改めて前を向き、馬の足を少しだけ速めます。


 わたしはひとぎらいではありません。ですが──いいえ、だからこそ、でしょう。たくさんの教師や聖職者に見放され、父から何度もおしかりを受けて、こう考えました。


 物事を考えるときは、だれにも見つからないようにしましょう、と。


 城内では無理なことです。使用人に見つからず歩き回ることなどできるはずもありませんし、どこかの部屋を立ち入り禁止にしてしまえば、必ずその〝秘密〟をさぐらずにいられない人がいるでしょう。


 わたしはさくの場所を外に求めることにしました。


 もちろん、簡単には見つかりませんでした。何度かの失敗を経て、やがてわたしがたどり着いたのは、地元のたみも興味を示さない林のおくです。


 そこには、小さなせきがありました。


 話によれば、この国を作った父祖より先にこの地に住んでいた人々が作ったせきで、神のせきがもっとずっと身近にあった時代のものだそうです。


 昔はあやしげな力を持つどう結社が出入りしていたといううわさもあり、その周辺は耕作などに適していないのもあって、だれも見向きもしない土地になっていました。


 わたしは手をくしてせき近くに小屋を作り、そして表向きには放置させました。そうして、王家の管理する土地ではあるものの、だれもいない空白地帯を作り上げることに成功します。


 その小屋が、わたしの秘密のお勉強部屋になりました。


 あまり良くないことだと、わかっていました。ですが、たくさんの人とあつれきを生んでしまうよりは、かくれてしまうほうがいことであると思ったのです。


 そんなかくには、王宮から馬に乗って一時間ほどかかります。かいどうから外れて森のおくへと進み、ようやく見慣れた丸木小屋にとうちやくしました。馬からすとんと降り立ちます。


「?」


 わたしはその時、かんを覚えました。足を下ろした地面が、へこんでいるような気がしたのです。


 地面をよく見てみると、とんでもないことに気づきました。


 馬上からはわからなかったのですが──小屋のまわりには、わたしのものよりも大きなあしあとが、いくつもあるのです。


 つまり、わたし以外のだれかが、小屋に近づいたのです。いままでに無かったことでした。


 一大事です。どうしましょう。


 とうぞくなどの良からぬやからが中にいたりすると、大変です。そういうことが無いように、近くの村やかいどうじゆんさつや治安には、じゅうぶん注意していたはずなのですが……


 小屋には金品などは置いていません。ただ、ここはわたしにとっては大事な物と場所なのです。らされたりしたら、とても困ってしまいます。


 かといって、すぐに助けを呼びに行くのも考えものです。苦労して作り上げたわたしの秘密のお勉強部屋が、また一から作り直しになってしまいます。


「ど、どうしましょうか……?」


 困り果てたわたしは決めあぐねてそう口にしますが、ここまで連れてきてくれたたのもしい軍馬も、こういったことにはたよれませんでした。つぶらなひとみでわたしを見つめて、ふるりと頭をらしただけです。……可愛かわいいですね。


 ……はっ、現実とうしていてはいけません。


 あらためて小屋に向き直ります。それで気づきました。正面のとびらにかけたかぎは、そのままになっています。小屋の窓がこわされているので、どうやらそこから出入りしたみたいです。


 たくさんの人間が出入りするなら、かぎこわしてとびらを開けてしまうでしょう。窓をこじ開けて入る、というのは、少人数で、あらっぽくない人のやりかたです。


 わたしは自分の居場所を守るために、強く決意しました。


 ……いったん中をのぞいてから、助けを呼ぶか決めましょう。


 もしかすれば、ここが王家の土地と知らずに雨宿りや一晩のつゆをしのぎに入った、だれかのこんせきだけなのかもしれません。


 いまはもうだれもいない、ということもじゅうぶんにありえます。


 行動を決めれば、必要なことがわかりました。


 こしから護身用のじゆうきます。


 とはちがって、大人の男性なら片手で持てるほど短いじゆうです。なわを使わないとてもめずらしいけで、専用の道具でを巻いて、げきてつの鉱石をけずる火花で点火します。たったひとつでかつちゆう一式ぶんもの金額になる高価な武器ですが、大きなけものに出くわしたりしたときのために、いつも忘れずに持って来ていました。


 練習以外できちんと使うのは、これが初めてです。


 じゆうを持って小屋に行きます。窓には少しすきが空いているので、横から近づいていって、そっと手をばしました。


「────」


 ギイィィ、ときしむ木わくの音が、やけに大きく耳に残ります。


 窓を開けてから、息を殺してしばらく待ちます。中にだれかがいれば、気づいてこちらに来るかもしれません。手の中のたんじゆうにぎりしめて、耳をまします。


「…………」


 ですが、中からは足音ひとつ聞こえませんでした。


 やっぱり、もういないのでしょうか?


 開いた窓から、こっそり中をのぞいてみます。そこには……人の姿は、ありませんでした。


 めていた息をほっとします。良かったです。わたしはじゆうをしまいました。


 それでは、次に気になるのは、なにかがぬすまれたりしていないか、です。


 他のだれかが見ても価値の無い物ばかりですが、わたしにとっては大事なものがたくさんありました。


 ですから、まずを見ます。


「えっ──」


 わたしののどから、おどろきの声がこぼれました。


 ありえないことが、起きていました。


 そこにあるのは、大きな地図と拡大した地図をわせて作った、周辺世界の地図です。


 海路をみ、各国でやとわれた兵の数、あるいは船の数を書き留めて、知り得た情報を書き加えた紙をピンでし、関連があるものは黒い糸で結び、敵対しているものは赤の糸で結び、他にもたくさんのみと、覚書をけていったものです。


 そうしてできあがった地図は、わたしが見れば周辺世界の勢力を一望できる便利な世界図です。ただし──わたし以外の人間にとっては、うすわるかべ一面の覚書でしかありません。


 同じものを使用人に見られた時には、わたしがじゆじゆつに興味を持ち始めた、などという根も葉もない話が事実のように広まり、父上にきつくしつせきされたことすらあります。


 だれにも理解されることのない、わたしだけの大きな覚え書きなのです。だからこそ、苦労してだれにも見られずに考え事をする場所を求めて、作り上げました。


 ──


「そんな……!?」


 地図には、見たこともない白い紙がたくさん増えていました。その紙には数字が書かれています。そのうち数枚を見たしゆんかん、わたしを天地が逆さまになったかのようなしようげきおそいました。


 あわてて馬にもどり、くらにつけていたかばんから紙の束を取り出して、窓のところにまたももどります。


 そして、手もとの資料と、地図にられた紙の数字を見比べました。


「……合っています。これも、これも……同じ……!」


 資料が足りず、あるいは、わたしには読み解けず、『?』を置いておいた空白地帯。


 今日、手に入れたばかりの資料で、そこをめるはずでした。ですが──だれかがけた、雪のように白い紙に書かれた数字で、すでに答えはめられていました。


 はずのものが、わたしの手によらず書き換えられたばかりか、をより高めていたのです!


「そ、そんなことが……? いったい、どうして……」


 もっと、きちんと見なければいけません。


 まどわくに手をかけて登り、中に足を下ろします。


 ぐに。と、そんなかんしよくがしました。


「うおおっ!?」


「きゃああっ!?」


 さけごえがしました。さけび返してしまいました。おどろいて、転んでしまって、そして──


「ぁ痛ァ──っ!?」


 わたしは、出会いました。

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