第一章 ゲーム理論で分かる! 男装王女の救いかた(2)


 毛足の長いじゆうたんみ進んだ部屋のおくに、羊毛をたっぷりとんだ大きなしんだいがあります。


 かべぎわひかえる使用人たちに礼をされながら、わたしはしんだいの前まで歩み寄りました。ていねいに金糸のしゆうほどこされた羽織り着をかたにかけ、上半身だけを起こした父上が、細く息を吸って、わたしをぎょろりとえてむかえます。


 ああ、これは良くない話のようです。まゆの間に深いしわがあります。


「来たか、ソアラ」


「父上に呼ばれれば、わたしはすぐに参ります。お加減はいかがですか?」


「ふん。いまさら変わらん。今日は悪くない。だが、どのみち長くもない」


 自らの寿じゆみようを短く見積もる父上の言葉は、れた声でありながらも、あせりや悲観はまるで感じられません。暖かく調ととのえられた部屋の空気に、鼻にまとわりつくような薬湯のにおいが混じっていました。


 老いと病におかされた父上は、日に日に、ご自分の体調にあまり興味を持たなくなっていくようです。その口から病状をくわしく言わなくなったのは、いつからだったでしょうか。


そうだな、ソアラ。評議会をこんわくさせているというではないか」


 自らのことを口にする時よりも、わたしのことを話す時のほうが、父の感情はわかりやすくなっています。


 いまは……おこっていました。わたしの動向は父上につつけです。貴族のだれかから聞いたのか、それとも使用人にかん役がいるのか、どちらでもあまり不思議ではありません。


「困らせているのではありません。わたしは、有益な話をしたいだけです」


「つまりお前は、わが国の重臣全員をじよくしたいわけだな? 経験豊かな男たちがいくさに備えようとしているのに、無益な雑談に興じているようにしか見えないと、そう言いたいのだな? 戦をしたこともない、女子供の身でありながら、けんを手に取る男たちのがいだと切って捨てている。そう思っていいのか?」


 父上はだんだんとまゆをつり上げていきます。その視線からげず、わたしはせいいつぱいの気づかいを発揮して、おん便びんな言葉をしんちように選びました。


「気持ちだけで勝てるほど、敵は弱くありません」


いたふうなことを言うな! この鹿者めが!」


 ピシャリとかみなりが落ちました!


 だめでした。わたしはちがってしまったようです。


 なぜでしょうか。こういう場面で正解の言葉を選べたおくがありません。連敗記録こうしんです。


「私ももう長くない。だからこそ、実の子であるお前にいまから経験を積ませてやろうと、努力してきた。だが政務を任せてから半年足らずで、この部屋をおとずれる者はお前への不満しか言わなくなっておる!


 むすめひとりまともに育てられなかったと思われておるのだ!! しかもお前はいくとなく父の言葉を聞きながら、一日たりとも態度を改めん。どれほど私のめんぼくを潰せば、お前は満足するのだ!?」


「落ち着いてください、父上。わたしは、わたしなりに──」


だと!? お前の考えなど、どうでもよい! まだ玉座にすわらせた覚えはないぞこの鹿者!! いまからもう王としての気構えを説くつもりか!? 王として長くこの国にくしてきた、この父に!」


「…………いいえ、父上」


 わたしはのどにせり上がる言葉をすべて飲み下して、だまっていることにしました。そのほうが、父がおだやかになるまでの時間は短いのです。いままでも、ずっとそうでした。


「こうなるとわかっておれば、さっさとけつこん相手をつくろって無理やりにでもせつしようを置いたものを。ウィスカーがえてくれているうちに、その態度を改めよ! でなくば、いずれしよこうらの心がはなれるぞ。わかっておるのか!?」


「父上の言葉が正しいことは、よくわかっています」


「ふん、どうせまた口だけであろう。お前は聞く耳を持っておらん! 教師をつけたときも同じだった! 熱心に聖書と律法書をんでいた。それで油断させた。それからたいした時間もたずに講師をおこらせて、見放されたではないか。


 どうしたことかと思えば、お前は書を読んで学んでいたのではなく、! 同じことをせぬよう注意したのに、お前はそれから何度も何度も、教会や大学の講師を鹿にした!」


「あれは鹿にしたわけではありません。ただ、気になってしまったのです」


「うるさい! 私がやることにいちいちはんこうしおってこの鹿むすめが! れい作法を覚えたのはゆいいつの救いであったが、いまとなっては上辺だけしゆしような顔をすることも腹立たしくなってくる! ファヴェールに光もたらすけんおうを求めるべきときに、かような半人前しか育てられなかったのでは、たみにも父祖にも顔向けできぬというものだ!!


 この──グ、ゴホッ、ガッ、クゥ……!」


 ずっとまくし立てていた父上が、胸をさえて苦しげにうめきます。


「父上!」


「寄るな!」


「っ────」


 わたしは思わずろうとしましたが、父上に苦しげなうめき声の合間にもきよぜつされ、びくりと身をすくめてしまいます。


「……グゥッ、ウウ、ヌ……!!」


「陛下!」「を呼べ!」


 使用人たちがっていきます。


 たくさんの手に身体を支えられて、ゆっくりと身体を横たえる父上。実のむすめの手は、そこに加わることすらできません。


 前のめりになっていた姿勢を正して、わたしは一歩下がって一礼しました。


「わたしは失礼します。興奮されてはお身体にさわりますから。……どうかご自愛ください、父上」


 父上からの返事は、ありませんでした。


 部屋を辞した私の背後で重々しいとびらが閉じられてから、おくめて気持ちを落ち着かせます。──王女はため息などいてはいけません。


「これはこれは、ソアラ王女殿でん


 横合いからそう声をかけられました。見れば、聖職者のかんとうと球ぼうを身に着けたデュケナン大司教がおられました。わしばなりようにかけた眼鏡のおくにある目が、いつものようにおだやかなほほみの形でわたしを見ています。


「ごげんうるわしゅうございます、王女殿でん


「おかげさまで息災に存じます、デュケナン大司教。ごげんうるわしゅうございます」


「こちらこそ、おかげさまで老健でおります、殿でん。ありがとうございます」


 ごあいさつわしたのち、大司教はしわ深いじりゆうりよかべました。


「お話し合いに参上したのですが……陛下のお具合は、いかがですかな?」


「ご心配にはおよびません。つつがないようです。ただ、差し出がましいようですが、なるべくせいおんにお話しくださると幸いに存じます」


 これはうそです。いましがたほつを起こしたばかりの父上の体調が、いはずもありません。


 しかし、王ともなれば体調のしを気軽に言いふらしていいものではありません。


 もっとも、こうして直接いにれるほどのかれに対して、かくしおおせるものでもありません。それに、長く姿を見せない国王が病にせっているというのは、想像するのに容易たやすいことです。たみですら知っていることでしょう。


「ご助言感謝します。これはかたじけないことです」


 大司教は深くうなずいて、わたしをじっと見つめています。


「いやあそれにしても、殿でんも立派になられましたなぁ。私めの教会に初めていらっしゃった時などは、とても可愛かわいらしくきんちようしていらしたものですが……」


「わたしには過ぎたお言葉です。わたしなど、いまだ未熟な身です。──お会いできてうれしゅうございました」


 わたしは一礼して、一歩身を引きます。あからさまな話の切り上げかたに、ろうそうは残念そうに目を細めていました。


「おや、おいそがしいのですかな?」


「父上とのお約束のじやになってはいけませんので。失礼いたします」


「これはおこころづかいをさせてしまいましたな。申し訳ない。教会などにようがあれば、またいつでも気軽にお声をおかけください」


「ええ、ありがとう存じます」


 にこりと笑って、わたしはその場を去りました。


 少し、不自然でごういんな話の打ち切りかたになってしまった自覚はあります。


 とはいえ、それはしかたがありませんでした。


 なぜなら、わたしがこのあとに予定しているのは──だれにも、たとえどのような人であっても、話し聞かせていいことではないのですから。

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