序章 願いの数式(2)


「ああ? そんなもの無理に決まってるだろ」


「やる前からあきらめるようなこと言わないでくれよぉ!」


「失礼なやつだな。ぼくあきらめない男だよ」


 昔おちゃんと約束したとおり、ぼくあきらめない男をしようすることにしていた。


「じゃあなんで無理なんて言うんだよ! 今回のガチャなら絶対SSRもらえるって! 見ろよこれ、出現率5%! 単純計算で20回で1枚当たるんだから、確実だって。だからちょっとでいいから金貸してくれよ!」


 し屋の制服を着た筋肉モリモリの同い年くらいの男が、血管をびくびくかせながらわめいていた。かれは見ての通りひつし屋のベテランアルバイトである。臨時バイトのぼくは制服が足りなくて、せいぼうだけ同じものを身に着けていた。つまり、かれと同じくひんこんにあえぐしたである。


「10連ガチャ1回目は出なかったけどさ、あと1回だけちようせんする金があればSSR引けるんだよ! 今日の仕事が終わったら給料入るじゃん。それで返すからさあ」


 なのでそんなことをたのまれて気軽に「いいよ」と言えるわけがない。


 イヤだ、の一言だけで無下に断ってしまっても良かったが、臨時とはいえぼくは仕事に来たわけで。


 説明する5分間をコストとしてはらって成功すれば、今日このあとの8時間はへいおんが得られる。つまりコストに対して利得は96倍。期待値としてはじゅうぶんだ。


「言わせてもらうと、出現率5%のガチャを20回やった時に目的のランクカードを引き当てる確率は、100%にはならない」


「えっ、なに言ってるんだ。5×20で100%だろ?」


「それはクジの総量が限定されている場合だ。全部で20個しかないクジに1つの当たりなら、20回引けば必ず当たりをつかむ。そこまではわかるだろ? わかるよな?」


「えーっと……そうだな」


 かれがうなずいたので、ぼくはポケットからペンとメモ帳を取り出した。


「だけどガチャの確率は不変でハズレも当たりも無限だ。5%のまま20回クジを引いていく。ハズレを引く確率が95%。パーセンテージから実数に直すと0.95」


 メモにわかりやすい表記を書いて見せる。




 ハズレ → 95% → 0.95




「ここから20回ガチャを引く時、全部がハズレの確率を考える。95%を20回くり返すから、20乗だ。100%からハズレの確率を引けば、当たりの確率がわかる」




(当たりの確率)=1-0.95^20




「ほー」


「ここまでできたら、あとは簡単。でんたくにそのとおりめばいい」


 言いつつ、ぼくはいつも持ち歩いている関数でんたくを取り出して、その計算をんだ。




 1-0.9^20=0.6415140・・・・




 と結果が返ってくる。


「つまり、当たりの確率はおよそ64%だ」


「64%……高いのか低いのかよくわかんねえな」


 鼻にしわをかべてなやみだしたので、ぼくはぽんとかたたたいて説得のにかかる。


「お金を貸していいのは貸した人が幸せになると確信した時だけだって、おちゃんが言ってたんだ。きみが36%もの確率でがっかりする未来のために、お金は貸せないよ」


「あれ、お前いいやつなのか……?」


 わかってくれたみたいだ。良かった。


「がっかりしたらどうせ働かないだろ。だれがあの重い冷蔵庫を運ぶんだ。ぼくほそうでじゃ1センチだってかせられないぞ」


「そんなに堂々と情けないことを言われたのは初めてだよこの貧弱ろう!」


「人はおのれの弱さを知って初めて強くなれる。きみの経験がひんじやくでも、いまから経験豊かにすればいい」


「お前のことだよ! なんでこっちをひんじやくにしようとしてるんだよ! あーわかった。もういいわ。そこのダンボール持って下に行ってさ、冷蔵庫運ぶおうえん呼んできてくれよ」


「はいはいりようかい


 ぼくはダンボールをかかえて、いまいるボロアパートと同じくらいろうきゆう化したボロエレベーターのスイッチをした。ベテランくんがタバコに火をけて、けむりしながら聞いてくる。


「なあ、お前って頭良さそうなのに、なんで就職しなかったんだ?」


「しなかったんじゃなくてできなかったんだ。いろいろ事情があって」


「事情って?」


「……人に言いたくないくらい複雑な事情」


 卒業研究に夢中になって、それがようやく終わっておそまきながら就活を始めようとしたら、父親代わりだった祖父がちょうどった。その後、しんせきと遺産のことで争って、心身ともにつかてていたら、いつの間にか卒業していて無職になった。……なんて、今日初めて会った人間に話すことじゃあない。


 苦い顔でしぶると、ベテランくんは大して興味無かったらしく「ふーん」だけでついきゆうする気は見せなかった。


 こっちもそのほうが助かるので、特に追加ではなにも言わない。が、


「じゃあ事情は聞かないから金貸してくれよ」


 またもそんなことを言い出す。


「おいおい。さっきの説明をもう忘れたのか?」


「やっぱりやりたくなったんだよ」


 やれやれ、と首をって。ぼくは先ほどの5分間がただのろうで終わったことを認めることにした。


「今度は説明しないけどぼくの結論を言おう。──イヤだね」


「このケチろうが!」


 投げられた文句を背中に浴びつつ、ポーン、とちょうど開いたとびらの向こうへ足を進めて、きゆうくつだがだれもいない箱の中に自ら収まった。


 かかえたダンボールをせまゆかの上に置いて、がってきたため息をせいだいき散らす。


 臨時バイトも明日から別のところを探そう。


「まったく、ツイてない時はとことん悪いことばっかり起きる。いまのぼくなら、このエレベーターがこわれてもおどろかないぞ」


 ついそんなことを吐き捨てながら一階のスイッチをす。


「……あれ?」


 されたのにスイッチが光らない。エレベーターも動かない。


 もう一度す。


 反応しない。


 連打する。


 反応無し。──マジでこわれている。


「このポンコツめ!」


 ガン、とこぶしたたきつけた。──そのしゆんかん、エレベーター全体がれた。


「あだッ!? いっあァ──!?」


 ゴガガギャゴン! と、耳をつんざくしようとつ音。とつぱつ的な大きいれに足を取られてかべにぶつかって頭をぶつける。


 めっちゃ痛い。というかなんだこのれ!?


「おいおいおいおい……!」


 あわてて『開く』のスイッチを連打するが、反応しない。他のどのスイッチをしても無反応。


 ギィギギギ……と、金属のきしおんな音が、エレベーターのかべの向こうから聞こえてきた。かべというかむしろてんじようのほうか? そっちにあるのはエレベータをってるワイヤーさん。もしかして落ちるのか? ? ──じようだんじゃないぞ!?


 次のしゆんかん、絶望的な破断音がとどろいた。金属部品がこわれるその音がまくすと同時、ゆう感が内臓を包む。──落ちてる!!


「ああああきらめないあきらめないぞぼくは!!」


 高さ20mの場合『V=V0+gs』で『g=9.8』だから2秒後に時速70kmでジャンプすれば助かる! 無理だろ! 時速70kmで地面に!? 死ぬ!! これそうとうか!?


 ちよう高速で流れる思考がしゆうたんむかえた時、全感覚が失われた。






 ポーン、とけな電子音が聞こえる。


「えっ……た、助かったのか?」


 ありえない。だが、体のどこも痛くないし、足の裏にはゆかかんしよく。自由落下の無重力状態ではなく、いつの間にか正常な重力の世界にもどっていた。ただし、目を開いても世界が真っ白すぎる。まぶしくて何も見えない。


 きよういんであまり力が入らない足をしつして動かし、さぐりながら外へ出る。


「死ぬかと思っ………………………………………………」


 思わずだまる。


 もしかして本当に死んでしまっていて、ここは死後の世界、とかなのだろうか。


 なぜなら、外に出て、ようやく見えるようになったぼくの目の前には、


「……ここ、どこだよ?」


 まったく見覚えのない、広大な河と森に囲まれた大自然が広がっていた。

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