第7話『飛蝗改人アバドーン、暴走!』

 ――――あれは機甲界のあかり、鋼鉄勇者アカリが、時空警察の特別捜査官として凶悪多次元指名手配犯ドン・アバドーンを追っていた時の事。

 アカリは彼の支配する犯罪都市・アバドーンシティに潜入し、その根城を突き詰めていた。だが、アジトである超高層ビルへの侵入は容易ではなかった。

 配下として私設武装組織が、入り口はもちろんのこと街中の至る所に配備されていた。それだけでなく、それを抑止するはずの時空警察の末端や一般市民でさえも、彼の手駒として懐柔されており、時空警察の上層部も手を焼いていた。

 『罪のない市民を傷つける訳にはいかない』などとよく言われるものだが、だからといって罪のある市民なら傷つけてもいいという道理はない。そのため時空警察としては強硬策に及べずにいた。かといって生半可な潜入捜査官ではよくて返り討ち、最悪の場合は手駒に加えられてしまうだろう。


 時空警察を含めてどの組織にも属していないアカリに特別捜査官の肩書きが暫定的に与えられたのは、そんな状況を打開するためである。一個師団を上回るほどの力を持つ彼女は、隠密性と鎮圧能力の両面において相応しい存在だった。

 しかし、なぜドン・アバドーンなる男はこれほどまでに強大な組織を築き上げられたのだろうか?その謎は数十年前に遡る……

 ――――――――――

 被験体L71はサイボーグ兵士『改人ストライダー』を生み出すための実験材料である。

 しがない一般市民であった彼を拉致した『鉄血の逆十字』は悪の秘密結社である。鉄血の逆十字は、より強力な改人を生み出し、世界を支配するために無差別に市民を拉致していたのだ。

 L71の改造実験は、考えられないほど歴史的な大成功を収めた。そして同時に、考えたくもないほど致命的な大失敗でもあった。

 被験体L71と呼ばれるその男は、正義とは無縁の男であった。その瞬間さえ、自分さえ楽に過ごせればいいという自堕落な男である。かといって悪事を働くような男でもなかったが、それは決して倫理観からではない。逮捕された際のリスクを考えると割りに合わないから、そして捕まらないための努力をするのも面倒だという身勝手な打算によるものだった。

 本当の『悪』というのは、確固たる信念や理想を持って世界を征服し意のままに造り変えようとする者ではなく、このような者を指すのかもしれない。


 このような悪の天才を偶然拉致できたのは、偵察班の下級兵である蜘蛛改人スパイダー・ストライダーにとって生涯で最高の幸運といえるだろう。この功績が認められれば、間違いなく中級兵に昇進できる。いや、もしかすると上級兵も夢ではないかもしれない。彼の八つの目には、出世欲の炎が灯っていた。


「目覚めなさい!飛蝗改人ローカスト・ストライダー!」

 被験体L71は、飛蝗改人としての新たな生を受けたのだ。研究班の藪蚊改人モスキート・ストライダーは高らかに声を上げた。

 ゆっくりと起き上がる飛蝗改人。その様を傍目に見ながら、蜘蛛改人は何対もの腕を組みながら威張り散らす。

「ほぉ〜、けっこうデキがいいみてぇじゃねえか。いいか?コイツを拾ってきたのはオレ様だからな?」


「ふんむ……改造したのはワタシなのですがねぇ……」

 藪蚊怪人は、苦虫を噛み潰したような顔を――もっとも、彼の口吻はものを噛めるような構造にはなっていないが――しながらも、自身の作品が立ち上がった様を眺め回す。

「我ながら傑作デスね、チョット動いてみなざイ゛ギッ」

 藪蚊改人の呼吸が乱れ、そして止まる。

 ズルッ。

 その喉笛からゆっくりと引き抜かれる、飛蝗改人の手刀。


 改人たちは、組織への反逆を防ぐため、二つの方法で洗脳が施されている。まず一つは外科手術で埋め込まれた隷属回路チップ。逆らった際に脳に直接苦痛を送り込む事で、身体に服従を誓わせる。そして次に精神操作。催眠術により良心や信念を摩耗させ、均衡の崩れた精神に忠誠心を刷り込む事で、精神に服従を誓わせる。だが……


「ひ……ひぃっ!?」

 摩耗するような倫理観がなければ、精神は均衡を失わない。そうなれば、忠誠心を植え付けることもできない。

 このような恐るべき怪物を偶然拉致してしまったのは、蜘蛛改人にとって生涯で最悪の不幸といえるだろう。この怪物から逃げ遅れてしまえば、二階級特進は避けられない。悪い夢だと信じたい状況だった。

 藪蚊改人が取り落とした隷属回路のコントローラーを拾い上げ、必死で起動ボタンを連打する蜘蛛改人。しかし、飛蝗改人は一向に苦しむ様を見せず、慌てふためく蜘蛛改人を一瞥する。

 モゴモゴと何かを咀嚼したかと思うと、ガムのようにそれを吐き捨てた。吐き出された金属片のような残骸が、鈍い輝きを放つ。蜘蛛改人には、その輝きに見覚えがあった。あったが、決してそれを信じたくはなかった。

 脳に埋め込まれたはずの隷属回路。どんなに凶暴な改人でも組織に忠誠を誓う理由。

 文字通り皮一枚で繋がった藪蚊改人の首は手折られ、頭部が床に放り出されていた。そして、残された身体は、飛蝗改人に鷲掴みにされ貪り食われていた。

 いけ好かないところがあるといっても、藪蚊改人の事は決して悪くは思っていなかった、そんな風に走馬灯のように思いを巡らせる蜘蛛改人。

「何ビビってんだよ、アイツが……オレ様のがぶっ殺されたんだぞ……」

 幸か不幸か、飛蝗改人は悪友の亡骸を骨の髄までしゃぶり尽くすように齧り付くのに夢中なようだ。

 蜘蛛改人は、壁面にある警報装置の存在に向かって必死で呼びかける。

「誰でもいいから早く来てくれ!第3改造ラボで被験体L71が暴走しやがった!隷属回路も利かねぇ!『藪蚊』モスキートも殺されちまった!何で!何でなんだよぉ!」

 警報機に備え付けられた通信器に叫び続ける蜘蛛改人。管制室では、上級兵の蜻蛉改人ドラゴンフライ・ストライダーが監視カメラ越しに異常を確認し、上官である特級兵の蜥蜴改人リザード・ストライダーにそれを伝えていた。

 蜥蜴改人がそれに対して下した決断。それは、緊急防護システムである超冷却ガスを第3改造ラボに充填する事だった。そして、それは蜘蛛改人を巻き添えにし、見捨てる事と同義でもあった。真っ当な軍隊であれば、もう少し逡巡があってもよかっただろう。

 しかし、『鉄血の逆十字』は軍隊ではない。大首領・暴君竜改神ティーレックス・ロードストライダーを唯一にして至高の存在として崇拝する体制が敷かれたカルト教団のようなものである。大首領への、すなわち上官への絶対的な忠誠。それは、反動として己より低い階級の者に対する侮蔑をももたらした。低い階級の兵は、使い捨ての備品扱いでもまだ幸運な方だろう。


 第3改造ラボには、無慈悲にも超冷却ガスが注入され始めた。鈍り出す四肢の動きに対して蜘蛛改人が感じたのは、死への恐怖だけではなかった。その恐怖から解放される事への、そして自分と共に飛蝗改人が凍結する事で、これ以上悪友の亡骸を食い荒らすのを止められる事への安堵。

 それらに包まれながら、蜘蛛改人はゆっくりと動き止め、凍てついていった。


 超冷却ガスの停止後に駆けつけた回収班は、あまりの悲惨な光景に戦慄した。

 バラバラになった手術台。横たわった改人の死骸が二つ。そして……


「腹ガ 減ッ タ」


 回収班の先陣を切っていた上級兵・蝙蝠改人バット・ストライダーの腹部は、飛蝗改人の前蹴りによって貫かれる。次の瞬間には、そこに立っていたのは飛蝗改人だけだった。

「ネム……イ……」

 満腹になったらしく、飛蝗改人は血溜まりの中で倒れ込むように眠りについた……


「ふわぁ……喰いたりねぇなぁ……」

 目を覚ました飛蝗改人は、流暢に喋れるようになっていた。新たな肉体に慣れたのだろう。コキコキと首を――正確にはその付近の外骨格をだが――鳴らしながら立ち上がり、その節々の感触を確かめていく。鳴り響く警報を歯牙にもかけず、手当たり次第にぶらつき見かけた改人を殺して喰らう。そんな事を繰り返すうち、知らぬ間に『餌がたくさん湧いてくる方』すなわち中枢部に引き寄せられていた。そして彼は辿り着いてしまった、支配者の元に。

 玉座に腰掛けていたのは、体長何メートルもの巨人。彼こそが大首領たる暴君竜改神である。

「よくぞここまで来たな!素晴らしい出来栄えだ!全てを喰らい尽くすとは蝗に相応しいものよのう、さながら蝗の魔王アバドーンと言ったところか!気に入った、貴様……を……」

 グシャッ。

 一瞬で喉元に飛びついた飛蝗改人は、突き刺すように鋭いパンチを叩き込む。いや、それは実際に突き刺さっていたのだ。爪を立て抉り取り、捥ぎ取り、毟り取る。捕食される恐怖。文字通り虫ケラ同然の相手によって、暴君はそれを初めて思い知らされることとなった。

「アバドーン、ねぇ……悪くないか」

 そう言いながら、基地を後にする飛蝗改人、改めアバドーン。

 超越的な肉体を得たアバドーンは手近な街を襲い、恐怖と暴力によって支配した。

 一つ、また一つ。手当たり次第の歩みの繰り返しで鉄血の逆十字を壊滅させたのと同じように、都市を丸々陥落させるのにそう長くはかからなかった。

「ああ、腹が減ったなぁ……」

 ――――――――――

 この強大な敵にアカリはどう立ち向かうのだろうか?そして、アバドーンが隷属回路を無力化した謎とは一体……?

 次回へ続く!

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