第53話 命の選択
神社の住居も兼ねた社務所の中に入った四人は、客間で机を囲んで今後の方針についてなどを話し合うことになった。
四人の前には冷たいお茶が並べられていた。そのお茶が少し汗をかき始める頃、黙っていた司が口を開く。
「イースの秘術――それがあれば、この状況をなんとかできるのか? なあディー、教えてくれ」
「ボクは"おっさん"からそう聞いているが……」
「なら、俺はイースの秘術に頼るべきだと思う。もうこれは、俺たちの手に負える規模の話じゃない。それでも何かやれるとしたら、それは魔法みたいなものに頼るしかないだろう」
「司……しかしそれは……」
ディーが遠慮がちに何か言おうとした。
彼女は、イースの秘術を使ったとき、司がどうなるか知っているのだろうか。
そこで、司はふと以前から疑問に思っていたことをぶつけてみた。
「なあ、ディー」
「…………なにかな?」
「なんでディーは、俺たちを助けようとこんなに頑張ってくれてるんだ?
こんな遥か未来に起こることなんて、ディーたちには無関係だろ?」
「いや、無関係というわけでもないさ。ヨグ=ソトースの災厄はその絶対時間軸上のあらゆる時間に襲いかかる。
この『災厄が起こる』という絶対時間に到達した時点で、いずれ我々の時代も災厄に見舞われてしまうわけだ」
なるほど、と司は首肯した。
彩女と創一のふたりは、その話を真剣に聞いている。
「なら、イース人にとっても滅亡の危機ってやつか……」
「いや、半分はその通りだが、実は我々にとってはそこまで悲観するべきことではない」
「……どういうことだ?」
「次の転換先があるからさ。もともと精神だけで生きている我々は、代わりの体ならいつの時代にもある。適した体に移ればいいだけだ」
「え……それじゃどうしてディーは……?」
「……愛着、かな」
「もとの体への、か?」
「いや…………キミたちへの」
ディーはうつむきながら小さく微笑んだ。彼女なりに照れているのかもしれない。
「それで、イースの秘術の件だが、司はそれでいいのかい? なにせ、それを使うとキミは……」
「……俺は命を失う、だろ?」
彩女か創一か、どちらともつかず息を飲む声が聞こえた。
「ま、まさか……司さん……」
「正確には、精神も魂も消滅する、だっけ?」
「そんな……」
彩女の瞳から力が消え、愕然としてうなだれる。
「だ、ダメです……そんなの……ほかの、ほかの方法で災厄をどうにか……いえ、一人でも多く救う方法を――」
「他に方法なんてないだろうっ!!」
司は思わず語気を強くして叫んだ。そのことに、司自身も驚いた。
あれだけ自分の身なんか二の次だと言っておきながら、いざ自分の命を天秤にかけるときになったら迷ってしまっているということだろうか。
ディーが暗い表情で言う。
「……残念だが、司の言っていることは正しい。イースの秘術が本当にヨグ=ソトースの奔流を止めることができるほどの力を持つというのなら、人間の精神など幾万回消滅してもお釣りが来るほどだ。
……だが、ゆえに方法はそれしかないのかもしれない」
客間にいる四人を、絶望的な空気が包んだ。
そんな中、司は黙って立ち上がり、部屋から立ち去る。
「少し……ひとりにしてくれ」
客間を去った司は、神社の中庭へと足を運んだ。
地面に並んだ飛び石を眺めながら、神社の縁側へと腰をかける。
ちょうど、夜眠れないときに彩女と二人で時間を潰した場所だった。
司はそこで、これからのことについて考えていた。
イースの秘術を使えば、自分の命はない。
まだ半信半疑だが、ディーがそう言うなら嘘ではないのだろう。
それに、記憶の中でも”おっさん”がそう言っていた。
ならば、これからどうするべきだろうか。おとなしく命を差し出して、イースの秘術とやらを使うべきなのか、それとも、このまま緩やかな滅びを待つべきなのか。
答えの出るわけのない問をぐるぐると重ねながらたたずんでいると、飛び石の向こうの襖から、ちょこんと彩女が顔を出してきた。
「……彩女か。ちょうど煮詰まってきたところだから、遠慮しないでこっち来ていいぞ」
「はい……失礼します」
彩女のそんな妙に遠慮した様子に、司はくすりと笑った。
「その……司さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫って、何が?」
「先ほどの……」
「イースの秘術を使ったら俺が死ぬって話か?」
「……っ。……はい」
司の言葉に、彩女は息を飲んだ。
眉根を寄せた彩女の顔は、今にも泣きそうだった。
これでは、どちらの命がかかっているのかわからない。
「君がそんなに心配しなくてもいい。俺なら大丈夫だから」
「でも……」
「それが俺の役目なら、やるさ……それしか……ない」
その言葉を口にだすのは、思ったよりも苦しかった。
こんな世界でも、まだ未練があるのかもしれない。
「司さん……それじゃ司さんが……」
「仕方がないんだよ」
「でも……そんなの、私は……」
「だって仕方ないだろう。そうだろう!? それ以外にどんな方法があるっていうんだ!!」
気がついたら、彩女の肩を乱暴につかんでいた。
司の指が彩女の肌に食い込む。彩女は痛みに顔をしかめながらも、司の顔をまっすぐと見つめる。
そのまま、どんっと壁に少女の体を叩きつけた。
「俺だっておかしいと思う。なんで俺なんだって思うよ!
でも……これしかないんだよ!!」
だって、そうでなくては、俺は――
そのとき、はっと気づいて彩女の体から手を離した。
彩女の体を何度も壁に叩きつけて、傷つけていたことに気づいた。
「ご、ごめん……なんで俺……」
「司さん……」
彩女の瞳から、涙がひとしずくこぼれ落ちる。
自分が取り返しのつかないことをしたのかもしれないことに気づき、司はゾクリと背筋が凍った。
司は恐れながら、一歩、二歩と後退る。
そんな司へと彩女は駆け寄り、ひしと腰に抱きついた。
「あ、彩女……?」
「司さん……死なないでください!」
彩女の幼い少女のような泣き声に、司はたじろいだ。
飾りのない、本心からの声。
「死なないでください……あなたは、こんなに苦しんでいる。ずっと、苦しんできた……だから……」
「……彩女」
ぐずるように司に泣きつく彩女の髪を、司はそっと撫でる。
そのとき、司の中でひとつの決心の炎が灯るのを感じた。
「彩女……俺は、君に甘えすぎていたと思う」
「な、何を言っているんですか司さん……。わ、私のほうが……ずっと……」
ぐすぐすと泣きながら、彩女は言葉を綴る。
その言葉を噛み締めながら、司はあやすように彩女の背をぽんぽんと叩いた。
「……俺は、イースの秘術とやらを使ってみようと思う。
使ったら死ぬなんて、本当かどうかやってみなくちゃわからない。そうだろう?」
「司さん……しかし、それは……」
「それにさ、もしここでやらずに逃げ回ることにして、何もしないでいたら、俺はきっと後悔する。俺がやれば助けられるはずだった人がいる限り、ずっと後悔して生きることになる。
そんなの……イヤ、だからさ」
「……司さん」
そうだ。どうせディーの言う通りなら、やってもやらなくても、司も、彩女だって無事では済まない。
それなら、彩女や創一――大切な人たちだけでも、助けられるのなら助けたい。
たとえ、自分自身を犠牲にしたとしても。
「司さん、私は……あなたに、生きていてほしい」
「……ああ」
「どうか、考え直してもらえませんか?」
「……ごめん」
彩女が再び嗚咽をあげる。
司はもう一度、「ごめん」と言った。
「それが、あなたの選択なら……。
私は、全力でお手伝いします」
「そっか。……ありがとう、彩女」
「だからどうか……どうか、生きて……」
彩女が絞り出すような声で言う。その言葉に、司は答えることができなかった。
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