第52話 終わる世界


 旧校舎の外に出ると、そこは阿鼻叫喚の図だった。

 空全体を覆う空間の歪み。光はまともに届かず、暗闇の中にはびこる異形の怪物たち。その怪物たちが、学校に残った生徒を襲っていた。

 響き渡る悲鳴と苦鳴。校舎の壁が壊される音、肉が裂かれる音、何かが潰れる音。


「あれは……みんなが襲われています。助けないと!」


 彩女が叫んだ。だが、それをディーが止めた。


「彩女。残念だが、ボク達にはどうにもできない」

「でも、このまま見捨てて行くことなんて……できません」


 そう言い切る彩女の進路を、異形の魔物が塞ぐ。それは、黒い不定形の触手の塊だった。

 ディーが電気銃を取り出し、触手の塊に向けて発砲する。


「キミの気概は素晴らしいが、まずは自分たちの身の安全を確保することが先だ」

「――くっ!」


 彩女は苦痛をこらえるように唇を噛みながら、触手の魔物に札を投げつける。

 札が燃え上がり、魔物を炎が包んだ。炎に包まれた魔物はびたびたと地面を跳ね、悶えている。

 続いてイゴーロナクの周囲にいたボロ布の幼子が二匹、彩女に向かって飛びかかってきた。

 この化け物どもは、誰が一番厄介なのか、理解しているのだろうか。

 司は焦燥に駆られながら、校庭に投げ捨てたあった木製のバットを手にとった。


「どけ、この!」


 力任せに幼子の魔物に叩きつけると、一発でバットが根本から折れて使い物にならなくなってしまった。だが、その一撃でひるんだ魔物の一匹が転がるように距離をとった。

 もう一匹の魔物は、仲間がやられたことに気づいたからか、彩女から司に標的を変えて突っ込んでくる。


「司さんっ!」


 彩女は魔物に肩からぶつかっていった。小さな体からは考えられないほど重い衝撃が伝わり、魔物は吹き飛ばされた。

 その動きは、中国武術の発勁に似ていた。


 そうして現れた敵に対応している間にも、新たな魔物が出現していた。

 とても対処しきれる状況ではないことは、明らかだった。

 その間にも、次々と生徒たちは倒れ、殺されていく。逃げ延びた者もいるかもしれないが、少なくとも目に見える範囲では立っている者は誰もいなくなってしまった。


「もう間に合わない……残念だが彩女。いまはここから離れることが先決だとボクは思う」

「でも……まだ校舎の中に生存者がいるかもしれない」

「いるかもわからない生存者を探してキミは危険を犯すのかい?」


 ディーの言葉に、彩女は再び唇を噛む。

 司がその手を握って走り出すと、彩女は悔しげにあとに続いた。


「……ディーさん。私の家には結界が張られています。これほどの厄災にどれほど持ちこたえられるかはわかりませんが、多少の時間稼ぎはできるはずです」

「なるほど。心得たよ、彩女。案内してくれるかい?」

「はい。司さん、ディーさん、ついてきてください」


 頭を切り替えた彩女が、先導して走る。

 旧校舎を中心にいたるところに現れる魔物から、距離を取るようにして裏門へと向かう。

 三人が裏門へと差し掛かったとき、見覚えのある人物が異形の魔物に追い詰められている姿が目に入った。


「あれは……創一!?」


 司が叫ぶと、それに気づいた彩女が振り返る。


「彼を助けましょう!」

「ああ!」

「キミたちの友人か――心得た!」


 彩女の言葉に、司とディーが肯定の意思を示す。

 司たちが襲われている創一のもとに近づくと、気づいた彼が驚きの声をあげる。


「司くん、それに彩女ちゃんと楠木さん!? どうしてここに……?」

「話はあとだ! こいつをどうにかするぞ!」


 司は叫びながら、逃げる途中に拾ったバールを、二本足で立つ異形の魔物に叩きつけた。

 衝撃で倒れた魔物に対して、続いてディーの電気銃の光弾が襲う。

 電流に包まれた異形の魔物はバリバリという鈍い音を立て、体から黒煙を上げながらのたうち回る。


「今のうちに逃げるぞ、創一!」


 司は級友に手を伸ばし、叫んだ。

 創一は混乱した表情を浮かべながらも、司の手をガッチリとつかんだ。


「あ、ありがとう……司くん、それに彩女ちゃんと楠木さ――」

「お礼はあとです! あの魔物が動き出す前に、速く!」


 彩女が慌てた様子で残る三人を先導する。

 追ってくる触手の魔物やイゴーロナクの幼子を振り払いながら、裏門を抜けて山道を進んだ。


 山道に入ると、魔物の追手は少なくなっていった。

 だがその分、視界の利かない山道ではいつどこから魔物が現れるかわからず、逃げるときの緊張感は変わらなかった。

 見渡しのいい場所に出て山の麓に目を向けると、町のほうでは、いたる場所から火と黒煙が上がっていた。

 魔物が、町を襲っている。

 それは、あまりにも現実味を持てない事実。司も、創一も、ディーさえも言葉を失った。この後どうなるかなど、考えるのも恐ろしかった。


「……行きましょう。まずはあなたたちだけでも、避難を」


 四人の中では、彩女だけ冷静で、気を確かに持っていた。

 それは彼女が非日常的な怪異に慣れていたことと、残る三人の命を預かっているという責任感があることが理由だろう。

 司は、そんな彼女の背中をぽんと叩いた。

 彼女へのねぎらいのつもりだったが、伝わっただろうか。

 彼女はわずかに瞳を揺らしたあと、決意を新たにしたような凛とした表情を見せて、神社へ続く山道を進み始めた。


 山奥の神社に近づくに連れて、異形の魔物は少しずつ数を減らし、ついには全く遭遇しなくなった。

 このまま悪夢のような状態も終わってくれていたらと期待したが、その期待とは裏腹に、麓では火の手が上がり、空はガラスが割れて歪んだようにねじ曲がっていた。

 神社の境内にたどり着くと、前と同じように彩女が結界を強めるための印を結ぶ。


「祓え給い――清め給え――かむながら守り給い――さきわえ給え」


 神聖な気が、脈打つように境内に広がっていく。

 巫女装束の少女は、ふぅ、と溜めていた息を吐いた。緊張していたのだろう。心臓の鼓動の音が、隣りにいる司にまで伝わってきた。


「……結界は、うまく作動したようです。これである程度までなら魔物の侵入を抑えられるはず……」


 彩女の言葉に、全員の肩の力が抜けるのがわかった。

 山道での強行軍は、かなり体力を消耗した。特に体が運動の苦手な楠木のものであるディーは、かなり疲れている様子だ。無表情は相変わらずだが、体のほうは酸素を欲しているようで、せわしなく肩で呼吸していた。

 司は提案する。


「とにかく、一旦休んでから今後の方針を考えよう」

「そうですね……客間と厨房に案内しますので、皆さんはそこで休んでいてください」

「彩女はどうするんだ?」

「私は……町のほうへ救助に行きます」


 彩女の言葉に、司より先に創一とディーが反応する。


「そんな、危ないよ彩女ちゃん!」

「そうだ。いままで相手してきたのは、蓋を開けたときにこぼれ落ちた雑魚にすぎない。ヨグ=ソトースの門が開いた以上、もっと恐ろしい魔物が溢れてくるんだぞ」


 創一とディーの言葉に、彩女はかぶりを振った。


「それなら、なおさら助け出さないと……ひとりでも、救える命があるかもしれない」


 彩女の強い意思のこもった物言いに、創一とディーは返す言葉が見つからずに黙り込んでしまった。

 そんな中、司が肩をすくめながら口を開く


「……まずは、情報の整理と今後の方針の話し合いが先だ。

 誰かを助けに行くとしても、それからにしてくれ」

「でも……」

「動くのは全員で一緒にだ。闇雲に行動したってどうにもならない」


 司は無理やり彩女を言いくるめる。

 それに、ひとつだけだが、司には解決の糸口があったからだ。

 もしそれが正しければ、きっと彩女の知恵や力も必要になるだろう。


 ――この秘術を使ったとき、君の精神は、魂すらも残さず秘術のことわりの一部となるだろう。


 イースの秘術。それを思い出すことができれば、この状況すらも、あるいは。

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