第50話 孵化


 司、ディー、彩女の三人は旧校舎へと向かった。

 校舎の大扉をくぐると下駄箱があり、正面には上下に続く階段、左右には教室の並ぶ廊下がある。

 昼間だというのに旧校舎の中はやけに薄暗く、廊下も階段も先の見えない闇に覆われていた。


「これは……? 空間が、あべこべに歪んでいます」

「ふむ。これは厄介だね」


 彩女とディーが顔を歪めた。

 そのふたりの会話で、司もなんとなく状況はつかめた。


 大空門はこの旧校舎の地下の奥に封印されたままになっているという。

 そのためには、地下に続く階段を降りるしかないのだが、


「……普通に階段を降りても、地下にたどり着けるとは限らないわけか。

 いずれにしても、行かないと始まらない」


 司の言葉に、ディーと彩女うなずいた。

 三人は、地下への階段を下る。

 階段を降りた先は、また図書室のある二階だった。もう一度と階段を降りた先も二階、そしてもう一度降りると下駄箱のある一階に戻ってきた。


「くそ、同じ場所をぐるぐると回っているのか?」

「……いえ、そうではないようです」

「……? どういうことだ」


 疑問を浮かべる司に、ディーが答える。


「こういうことさ」


 ディーが廊下の先を指さす。そこには、本来なら別の階にあるはずの図書室があった。


「一階と二階が混ざっている……?」


 司は外に出るために校舎の扉に近づく。だが、扉は完全に閉じられていてびくともしなかった。

 校舎の扉には、鍵がかけられている様子はない。


「……閉じ込められたのか」

「まるで夢の世界みたいだね」


 ディーはのんきな口調でそう言った。

 そのとき、真剣に何かを考え込んでいた彩女が声をあげる。


「この空間は、まるでおとずれた人が地下にたどり着くのを妨げているように思えます……。

ディーさん。大空門に近づくほど空間の歪みが大きくなるということはありますか?」

「ん? そうだね……無貌の狩人が何をしたのか知らないから、なんとも言えないけど、その可能性は高いんじゃないか?」

「なら……より歪みが激しいほうへ向かえば……」


 彩女は瞳を閉じて精神を集中させる。そして、身をひるがえして廊下の端から二番目の教室まで走り、扉を指し示した。


「ディーさん、司さん、こちらです!」

「……わかるのか、彩女?」

「はい。わずかですが、この扉は他よりも空間の歪みが強く感じます」


 正解のルートがわからない以上、ここは彩女の直感を信じるしかない。

 彼女の直感は、こういうときに貴重な情報源となるのだ。


 表札に1ー2と書かれた部屋に入ると、中には実験器具や人体模型が並んでいた。どうやら理科室になっているようだ。

 やはり空間のつながりがおかしい。ディーの言葉じゃないが、司はだんだんと夢の中を進んでいる気分になっていた。


 彩女の指示に従って、教室のもうひとつの出口から廊下に出る。階段を上り、2−1の教室に入り、廊下に出たら音楽室に入る。音楽室と書かれた部屋の中は、どこかのクラスの教室だった。

 そこまで来ると、空間がゆらゆらとした揺れが、司にも目に見えるほどになっていた。


「ここまでくれば……あと少し……なのでしょうか?」


 感受性の強い彩女が、頭痛をこらえるように額を押さえながら言った。

 たしかに、何か大きな力に近づいてきているのは司も感じた。

 司が彩女を励ますため声をかけようとしたその時、


 こつん。


 甲高い足音が教室に響いた。

 司は周囲を見回す。


「この足音は……」


 はっと三人が静まり返る。

 耳を済ませて、足音の方向を定める。

 足音は、教室の奥、窓のほうから響いていた。


「こちらです。今のうちに先に進みましょう!」


 彩女が教室の外へと先導する。司とディーは、彩女に続いて走った。

 こつん、という足音が背後から近づいてくる。

 廊下に出た三人は、彩女の案内のもと階段を降りる。


 階段を降りると、ついに三人は地下へたどり着いた。購買部を抜け、食堂へと向かう。

 だが、そこで待ち構えていた存在が目に入り、司たちは足を止めた。


「あ、あいつは――」


 暗く打ち捨てられた食堂の廃墟の奥、それはいた。

 裾の破れたコートと、つば広のハット。煤けたボロ布をまとい、全身を埃にまみれた灰色の包帯で身を包んだ人物。

 無貌の狩人だ。


「くそ、ここまで来て……!」


 司は歯噛みをした。

 地下まで来た以上、大空門はすぐ近くにあるのだろう。

 だが、それには待ち構えている無貌の狩人をどうにかしないとならない。

 ディーが額に汗を流しながら、おもちゃのような電気銃を構える。


「油断したね……思えば、この空間の中で音のする方向なんて意味がなかったよ。

 ましてや、相手は空間を越えることのできる無貌の狩人だ」


 かちゃり、という金属音とともに無貌の狩人はボウガンをかかげた。

 狙いは司だ。


「――くっ!」


 司は身をひるがえす。続いて彩女とディーが同時に動いた。


「彩女。司を守るよ!」

「わかりました」


 寸前まで司のいた場所に、矢が刺さる。

 彩女は左に、ディーは右に動き、走って無貌の狩人との距離を詰めた。


「行ってください、司さん!」

「行くんだ、司!」


 彩女とディーのふたりが同時に叫んだ。

 司は無貌の狩人から距離を保ちつつ、食堂の奥へと走りながら叫ぶ。


「お前たちを置いていけるか! 一緒に来い!」


 金属音が響く。司に向けてボウガンから矢が発射される。

 ――瞬間、彩女が動いた。

 飛来するボウガンの矢。その棒部分を、彩女の手のひらが捕らえる。手で掴んだ矢の勢いに合わせて体を反転させ、威力を殺す。

 司を狙っていたボウガンの矢は、彩女の手によってつかんで止められた。


「させません。それはもう、見切りました!」


 目を疑うほどの神業に、司は言葉を失った。矢をつかむ彩女の手のひらは血がにじんでいたが、彼女はたしかにボウガンの凶弾を止めてみせたのだ。

 続いてディーが、手に持った銃から球状に圧縮された電撃を放つ。


「イースの科学力のすいを味わってもらおうか」


 電撃を浴びた無貌の狩人は、奇っ怪なダンスのようにデタラメに手足を動かして悶えた。

 全身から煙を吹き出し、中からテケリ・リという奇妙な鳴き声が聴こえてくる。


「効いて……いるのか?」


 司がつぶやいた。いける。無貌の狩人を倒せるかもしれない。

 彩女とディーは、反撃に備えて身構える。

 だが、次の攻撃は来なかった。

 無貌の狩人はうつむいたまま、微動だにせずに停止している。

 今ので力尽きたのか――そう思ってふたたび走りだそうとしたときだった。


 テケリ・リ。

 テケリ・リ、テケリ・リ、テケリ・リ。


 ボロ布の中から無数の眼孔が浮かび上がり、あざけるような不快な鳴き声が響いた。

 続いてミシミシという何かが裂ける音。


「な、なんだ……!?」


 司が辺りを見回す。


「こ、これはいったい……?」


 彩女が生唾を飲み込みながら、身構える。

 ディーがふたりを庇うように立った。


「ふたりとも、気をつけろ。何か……来る」


 無貌の狩人の腹が、大きく膨れ上がる。


 めり、という肉の千切れる音。

 ボロ布が裂ける。中から無数の眼孔が浮かび上がり、ぎょろぎょろと目を回したように周囲を見回す。

 テケリ・リとやかましく泣きわめく声。


 やがて肥大化した腹が縦に裂かれ、まるで卵から孵化するように、蛹から羽化するように、一糸まとわぬ女性が生まれ出てきた。

 裸の女性は生臭いにおいのする薄気味悪い透明な粘液の糸を引きながら、地べたにこぼれ落ちた。

 女性が緩慢とした動作で上体を起こす。ねちゃりと音をたて、紅く充血した瞳と口腔が開かれる。


「ア、アー……テケ、リ……リ……」


 無貌の狩人から孵化した女性は、声を発するのは初めてだというようなたどたどしさで、かすれた呻きのような産声をあげた。

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