第49話 突入準備


 記憶の映像はそこで終わり、司は現実へと戻ってきた。


「……あれ、これで終わりなのか?」


 何か大事なところがバッサリ抜けている気がして、司は拍子抜けした。

 ディーはこくりとうなずき、司の頭を軽く撫でた。


「何か思い出せたかな?」


 司はディーと彩女に記憶の中での出来事を説明した。

 イース人の国に行ったことから、「おっさん」との出会いまで。

 だが肝心のイースの秘術の内容、そして夢で見ていた謎の球体のことについてはわからず終いだった。


「うーむ、やはり、この装置だけではすべての記憶は取り戻せなかったか」

「どういうことだ?」

「キミが『おっさん』と呼んでいた個体だが、その人物がイースの秘術に関する記憶だけをより厳重に封じ込めているんだ」


 封じ込めているとは、どういうことだろう。おっさんはいったい何者だったのか。それに、イースの秘術とは。

 司が混乱する中、ディーだけが合点を得たような顔をしていた。

 彩女に関しては、やはり話についていけないのか、ずっと眉根を寄せて難しい顔をしていた。

 より詳細な説明を求めたかったが、


「さて、ボクはこれから情報を整理してくる。説明は明日でも構わないかな?

 明日はちょうど、授業は休みだからね。明日ももう一度、体育館裏で待ち合わせするとしよう」


 そう言ってディーが立ち上がったため、司と彩女は納得するしかなかった。


「わかった。ちゃんと説明してくれるんだろ?」

「もちろんさ。ただ、キミたち……特に司は、一気に記憶を呼び覚ましたせいで疲れているだろうから、いったん頭を休めたほうがいい」


 たしかにディーの言う通り、入れ替わっていたころの記憶を取り戻してから妙な眠気と気怠さがあった。

 一度、各自家に帰るため、司と彩女はディーに別れを告げた。

 ディーもそれに対して無表情のまま答える。


「それじゃ、また明日。司、彩女」




 家に帰ると、猛烈な眠気が襲いかかってきて、司は夕飯も食べずにベッドに倒れ込んだ。

 そのまま朝まで寝込んでいる間に、司はさまざまな夢をみた。

 そのほとんどがイース人の体になっていたころの夢で、あのとき思い出せなかった記憶があとから思い起こされていくような感じだった。


 おっさんとたまに一緒にいたイース人。司とも仲良くなった彼、彼女が、たぶんディーの正体なのだろう。

 ディーお嬢様ドモワゼル・ディーとは、人類が残したイース人の記録の中の一説に出てきた名前だった。それは、ディー本人から語って聞かせてもらった話だった。

 言葉の通じないイース人も多くいた。それは当然だろう。司の喋っているのはあくまで現代の人間の言葉である日本語だ。むしろ、そんなマイナーな言葉を流暢に使いこなしているイース人がいることが、彼らの勤勉さを表しているといえる。


 夢の中でさまざまなことを追体験していく司だが、その中でも特に気になったのが、最後に見た夢の一説だった。


「これから、私の研究のすべてをキミに託そう。私は、ティンダロスの猟犬に目をつけられてしまった。いずれ死はまぬがれない。

 だから、いつか来る災厄に備え、キミの脳にこの研究成果を記録しておく」


 おっさんの言葉だった。

 次に見た景色が、いつもの黒い球体に吸い込まれる自分自身の夢。

 案の定、いつものようにそこで目が覚めた。


 情報量の多さに浮ついた気分になりながらも、強い喉の渇きに襲われて水をがぶ飲みし、そうしたら思い出したように空腹を感じて、食パンを一斤ほとんどひとりで食べてしまった。

 そうしていつもよりかなり多い朝食を終えると、司は学校へと急いだ。


 休日の土曜日だから人の少ない学校を体育館裏へと向かう。早起きしたためか、司が到着したときは他のふたりはまだ来ていなかった。

 司に続いて彩女が、最後に待ち合わせ時間よりディーが遅れてやってきた。


「いやすまないね。少し準備に手間取ってしまった」


 そう言って、おもちゃの銃のようなものをカバンから取り出すディー。

 それはなんだと司が聞くと、


「電気銃だよ。もしものときに備えて、イース人愛用の銃を持ってきたのさ」


 司は唖然とする。


「そんなかっこいいものが……じゃなくて、そんな物騒なもの何に使うんだ?」

「まあ、それはこれから説明する」


 よく見ると、ディーだけでなく彩女のほうも巫女装束を着ていて、いろいろ準備をしてきているようだ。

 ひとりだけ無手の司は、なんだか心もとない気分になった。


「さて、まずボクの目的だが、それはキミの記憶の中からイースの秘術を引き出すことなんだ。つまり、キミにその秘術を思い出してもらう必要があるのさ」


 ディーは細い人差し指で、つんつんと自分の頭をつついた。


「そのイースの秘術が、ヨグ=ソトースの起こす災厄を止める手段になると、キミのよく知るイース人の科学者が記していたんだ」

「……おっさんのことか?」

「そう、そのおっさんさ。その呼び方は懐かしいね、司。

 それで、キミがイースの秘術を取り戻すための条件も彼は残していたのだけど……」


 ディーが珍しく口ごもる。


「条件ってなんだ?」

「それが……ヨグ=ソトースと……つまり、大空門と接触するということなんだ」


 司は愕然とした。災いを止めるために災いの元凶と接触――それでは本末転倒じゃないか。


「……なんでまた、そんな条件にしたんだ」

「ボクに聞かないでくれたまえ。まあ、そこまで慎重にならなくてはならないほどの危険な研究だったのだろう」


 ディーも思うところがあったのか、肩をすくめて答えた。


「とは言っても、幸いこの時代にはヨグ=ソトースとつながっている大空門もある。うまくいけば・・・・・・危険もなく秘術を取り戻せるよ」

「『うまくいけば』って……」

「まあ、それを見越してこういう条件にしたのかもしれないけどね」


 そのとき、彩女が「あの……」と言って控えめに手をあげた。


「はい。彩女くん」


 ディーはまるで教師のように彩女を指名する。


「えっと……ディーさん、もしうまくいかなかった場合、どのような危険があるのでしょうか?」

「え、そりゃあ無貌の狩人に襲われて、みんな殺されることさ」

「な、なるほど……」

「最悪の場合、目の前でヨグ=ソトースの顕現による災厄が引き起こされるかもしれない。可能性は低いけど、そういうパターンもあるんだよ」


 わりとシャレにならないディーの言葉に、司は半目で彼女をにらんだ。


「それって……なあ、うすうす感じていたんだが、もしかしてかなり急がなくちゃいけないことなんじゃないか?」

「そうだね。時間がない」


 司の言葉に、ディーはしれっと答えた。


「なら悠長に解説してる場合かよ」

「ふむ……それなら、説明なしにキミたちはボクに協力してくれたのかい?」

「そ、それは……」

「必要なことだから説明した。それだけだよ」


 心外だとばかりに、ディーは肩をすくめた。


「それに、ボクとしても危険だからヨグ=ソトースへの接触は避けたかったんだよ。

 だから事情を説明をした上で記憶の復元を試したんだ」

「そうだったのか……」


 ディーがここまで司に気を使ってくれているのは意外だった。

 自分が人間ではなくイース人だと言っていたが、今の姿と思慮深い性格からは、彼女は人間のようにしか見えない。

 逆に彼女のほうからは、司たちはどのように見えているのだろうか。もしかしたら、おぞましい異星人として見えているかもしれない。

 それなのに彼女が司や彩女を気遣ってくれているという事実は、感慨深いものがあった。


「……悪い、ディー。いろいろ面倒をかけたな」

「おや? いったいどういう風の吹き回しかわからないが、ボクに惚れないでくれよ。

 この体はボクではなく、楠木詩帆という個体のものなのだから」

「惚れねーよ。ばか」


 そのやり取りに、彩女と司はくすくすと笑った。

 ディーは相変わらず無表情だったが、なんとなく浮かれているように感じた。


「それじゃ、早速だが――」

「ああ。行こうか大空門のところに」


 ディーの言いかけた言葉を、司があとから続けた。

 巫女装束を着たの彩女も、凛とした表情を見せる。


「時空の歪んだ旧校舎では、何が起こるかわかりません。

 皆さん……細心の注意を払って進みましょう」


 彩女の言葉に、ディーと司は強くうなずいた。


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