第48話 幾億年前の記憶
「な、なん……だって……? 俺が、イース人と……」
司の声は驚愕に震えていた。隣では、彩女も口元を押さえて驚いている。
ディーは神妙にうなずいた。
「そうだ。キミはかつて、一億年前のとあるイース人と入れ替わっていた。
その間、われわれイース人のもとでキミは育てられていたんだ」
「そんな、まさか……」
にわかには信じがたいことだった。
なにせ、司にはイース人と入れ替わっていたころの記憶などない。
と、そこまで考えて司はあることに思い当たった。
――あの夢だ。
太古の原生林、黄昏の空、姿が変わった自分自身の体。
あれこそ、イース人と入れ替わっていたころの記憶ではないか。
「……そのころの夢を、俺は見たことがあるかもしれない」
「本当ですか、司さん?」
「ほう。夢でね……。たしかにキミの記憶処置は例外的なものだった。
普通だったら入れ替わっていたころの記憶は完全に消してしまうものなのだが、キミの場合は訳あって精神の奥底へと封じ込めるにとどめたんだ。
それが、夢としてキミの潜在的な記憶の中から呼び出されたのかもしれない」
ディーは腰を折って前のめりになり、興味深そうに司の体を下から上へと舐め回すように眺めた。
見た目だけは女子生徒のディーにそのようにじろじろ見られていると、司はなんだか照れくさくなって顔をそむけてしまう。
「な、なんだよ……?」
「いやね。珍しい現象だなあと思って。
やはり記憶を潜在意識の奥底に押し止めるだけでは、何かの拍子に浮かび上がってしまうこともあるようだね」
司の恥ずかしがるリアクションに満足した様子で、ディーはテンポよく語っていく。
司は憮然としながらも、ディーの言葉を黙って聞いた。
「ともかく、だ。率直に言うと、ボクは当時のキミの記憶を引き出すことができる」
「記憶を引き出す?」
「そう。そのためにボクはこの時代に来たのさ」
楠木の姿をした少女ディーは、肩から下げたカバンの中を漁り、ちょうど彼女の顔くらいの大きさの金属製の板を取り出した。
その板に描かれた模様に、司は見覚えがあった。
「これは……学校のそばにある石碑の模様に似てるな」
「そうなのかい? これは、イースの科学技術で作られた記憶の復元装置だよ。
この時代の協力者のもとで急ごしらえで作ったから、復元することしかできないけどね」
「復元……俺の記憶を呼び起こすのか? どうしてそんな……」
「大空門――ヨグ=ソトースの顕現を止めるのに、キミの記憶の中にある情報が、どうしても必要だからさ」
それまでふたりの会話を黙って聞いていた彩女が、はっとして声を上げる。
「司さんの記憶に……?」
「そうさ。彼の記憶の中には、とあるイース人が残した研究成果が残されている。
それを吸い上げることが、ボクの目的だ」
「そんな……そのために、あなたは司さんを怪異に巻き込もうとしているのですか?」
彩女が
イース人との入れ替わりという異常な出来事の記憶を思い出し、研究成果とやらを思い出してしまったら、司はこのヨグ=ソトースとかいう怪物を取り巻く怪異とは否応なく無関係でいられなくなるだろう。
だからなんだ、と司は思った。
彩女が心配するのはわかるが、いくらなんでも過保護すぎる。
そもそもここまで知ってしまった以上、無関係でいることなんて司にはできない。こうなってしまっては、自分の身の心配など、二の次だ。
「わかった。俺の記憶を戻してくれ」
「つ、司さん!」
「うるさい。俺はもう十分に巻き込まれているんだ。いまさらだろ。それに――」
司は彩女の両の二の腕を軽くつかんだ。司が少しかがんで目線を合わせると、彩女の頬が、ほのかに朱に染まる。
「な、なんでしょうか……」
「君だってこの怪異を解決するために、動くつもりなんだろう?」
「当前です。きっとそれが私の使命ですから」
「なら――あのときから俺も、その使命を一緒に背負わせてもらっているものだと思っていたのだが……それは俺の勘違いだったのか?」
「そ、それは……」
彩女はうつむくことで司から目をそらした。
彼女はささやくように弱々しく言葉を続ける。
「私は、司さんが心配なのです……。最近のあなたは、まるで急かされるように、自らをつらい立場に追い込んでいるように見えます……」
小さな胸に手を当てて、彩女は自分の気持ちを吐露した。
それを聞いた司は、短くため息をつく。
「それは前にも聞いたよ。大丈夫だ。俺だってそう簡単に死んだりなんかはしない。……そうでなきゃ、美波も浮かばれないからな」
彩女はまだ不安そうに瞳を揺らしているが、こくりと小さくうなずいた。
ふたりの様子を見ていたディーが、ふっと小さく笑みを漏らす。
「話はついたようだね」
「ああ。待たせたな」
「お願いします。ディーさん」
「任せておきたまえ。それと、白山――」
ディーはわざとらしく咳払いをして、言い直す。
「それと、彩女。キミの意思は尊重するよ」
「え、それは……どういうことですか?」
「ボクも、司に危険がおよばないように、しっかりと守るということさ。安心したまえ」
「……! は、はい!」
ディーは金属の板のような端末を操作して、司の頭――脳に照準を合わせた。
瞬間、目の前が暗転し、急激な眠気が襲ってくる。
「それでは、キミの記憶の修復を始める。
不思議な感覚だった。
現在の自分の意識を保ったまま、過去の自分の行動や感情を追体験しているのだ。
いや、正確には過去の記憶があまりにも鮮明に思い出されているもんだから、まるで追体験をしているように錯覚しているだけなのだろう。
最初の記憶は、眠りからの目覚めからだった。
司が目を開けると視界に太陽の光が入り込み、眩しさに何も見えなくなる。
目が慣れてくると、目の前に見えたのは原生林と、こちらを覗き込む触手の生えた奇っ怪な生物。それが三匹。
二本の腕のような触手に、ラッパのような器官の生えた触手。頭のような触手に、
そして、自分自身も同じような姿をしているということも、なんとなくわかった。
「あー、われわれの言葉がわかるかね。
これから、キミに危険がないことが確認できるまでの間、拘束をさせてもらう。大人しくしている限り、キミの身の安全を保障しよう」
そうして原始生物の体を持つイース人と入れ替わった幼いころの司は、狭い石造りの部屋の中に閉じ込められた。
この原始生物も食事が必要だったようで、日に何度か芋虫やイソギンチャクに似た、おどろおどろしい食べ物の乗った皿が配膳された。
最初は戸惑っていた司だが、空腹に耐えきれずにそれを食べた。
石造りの部屋に閉じ込められたまま日々を過ごし、配膳してくれるイース人とすっかり仲良くなったころ、最初に出会ったイース人が司のもとを訪れて告げる。
「キミに危険性がないことが認められたため、キミは自由の身になった。
宣告もなく急に精神の入れ替えをしてしまい、キミには迷惑をかけたね。
その対価として、望みとあらばキミにイース人の知識を学ぶ機会を与えよう。
これからよろしく頼むよ、司」
自由になった司は、イース人のもとで興味のおもむくままに、さまざまなことを学んだ。
幼かった司には学術的なことを学ぶようなことはできなかったが、それでも興味深い時間だったと思う。
そうやってイース人にまぎれて暮らしていく中で、司はひとりの人物と出会う。
彼のことを、司は「おっさん」と呼んでいた。
おっさんは、部屋すべてが曲面でできた、角ばった箇所が一切ない不思議な部屋で暮らしていた。おっさんは危険な研究をしていたため、事故を未然に防ぐための対策として、このような不思議な部屋で暮らしているのだという。
彼は、イース人の中でも変わり者だった。
司はたびたびこのおっさんに話を聞きに行った。
おっさんは偏屈だったが、なんにでも興味を示す司と次第に打ち解け、自身の研究成果について語ってくれるようになっていた。
ある日、彼は司に自身の研究の中でもっとも重要なものを授けることにした。
なぜ司を選んだのかは、今は定かではないが、それがとんでもないものだったことは覚えている。
おっさんはそれをこう呼んでいた。
イースの秘術「デウス・エクス・マキナ」と。
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