第47話 イースの令嬢
「司さん、そこにいるのですか? 司さん!」
ドンドンと扉が叩かれる。
扉の向こうから聞こえてきたのは、聞き覚えのある声だった。
司は寄せていた机を退け、急いで扉の鍵を開ける。
「あ、彩女?」
「司さん。よかった、無事だった……」
彩女は薄い胸に手を当てて、ほっと息を吐いた。
彼女は制服ではなく、巫女装束を着ていた。おそらく、怪異に対抗するための札や祭具を持ってきているのだろう。
そんなに長いこと話し込んでいたのか、彩女と約束した時間になってしまったらしい。
駆けつけて来た彩女を見て、詩帆が口を開く。
「おや、誰かと思えば白山さんじゃないか」
「……楠木さん、どうしてここに?」
彩女は訝しげに詩帆を見た。それに対して、詩帆はカクッとしたおかしな動作で首をかしげる。
「司には先ほど言ったが、
これには彩女も、うっと口ごもった。
司や彩女もまた、なぜこのような場所にいるかという説明はできないのだ。
「わ、私のことはいいのです。それよりも楠木さん、ここは危険です。なので、すぐに帰ってください」
彩女の相変わらずのゴリ押しのような言動に、司は少し懐かしい気持ちになった。
今だからわかるが、彩女は言い逃れが苦しくなると、つんけんして相手のことを突き放すタイプなのかもしれない。
しかし、そんな彩女に怯むことなく、詩帆はカクッとした動作で先ほどとは反対側に首をかしげた。
「そうは言うが、私だけに帰れとはずいぶんじゃないか。そういうキミは危険じゃないのかい?」
「そ、それは……」
早口な詩帆に丸め込まれて、彩女はしどろもどろになってしまった。どうやら、彩女は詩帆には相性が悪そうだ。
詩帆の常に余裕を持った態度を知っていたため、彼女の身の心配は脇に寄せて、司は今何をするべきかに頭を回した。
「彩女、そういえば一階と二階の空間はつながっていたのか?」
「空間ですか……そういえば、この場所から空間の捻じれのようなものを感じたのですが、今は落ち着いているようです」
「そうか、じゃあ校舎の外に出られるかもしれないな」
「そうだね。今のうちに脱出するとしよう」
司の言葉に、詩帆が同意する。
彩女は司たちの状況を察したのか、それとも詩帆と言い合うのを諦めたのか、司の目を見てうなずいた。
司が意を決して言う。
「わかった。また何か起こる前に外に出よう」
三人は旧校舎の外へと向かった。
その後は、無貌の狩人と接触することも、空間の歪みに移動の邪魔をされることもなく、旧校舎の外へと出ることができた。
一早く校舎の門から外に出た詩帆は、体育館裏までたどり着くと、くるりと振り返って不敵に微笑んで見せた。
「なかなか楽しくて興味深かったよ。司、それに白山さん」
「何が『興味深かったよ』だ。それより、お前は知っているのか?」
「知っている、とは?」
「無貌の狩人のやろうとしていることだ」
詩帆は「ああ」と思い至ったように拳で手のひらを打った。
「そういえば、その話をしている最中だったね」
「それに、お前の正体もだ。お前は本当は楠木じゃないんだろ」
「質問は一つずつにしたまえ――まあ、たしかにボクはキミたちの知っている楠木詩帆ではないね」
司と詩帆のやり取りを聞いて、彩女が驚きに目を見張る。
「え……ど、どういうことですか?」
「まあ、一つ目から説明するよ。まず、無貌の狩人の目的はボクにも正確なところはわかっていない。
推察できることといえば、無貌の狩人が大空門の持つ時空を操る力を欲しがっているということだけだ」
続いて、詩帆は先ほど司にしたのと同じような”絶対時間”についての解説を、彩女にも行った。
彩女は司よりも理解に苦しんだようだが、詩帆の底なしに根気強い説明によって、なんとか最後には理屈を把握することができたようだ。
「それで……大空門の力が解放されたら、どうなるっていうんだ?」
「世界を巻き込むほどの災いが起こる」
「な……」
あっさりと言った詩帆の言葉に、司は唖然とした。
世界を巻き込むほどの災い――こんな田舎の学校で起こる事件としては、あまりにもスケールが大きすぎる。
「……冗談だろう?」
「いや? 冗談ではないよ。なぜならそれが、ボクがこの時代に来た理由でもあるからだ。
ここから先は、ボクの正体にも関わる話だ」
そこで詩帆は言葉を区切り、沈黙する。わずかに緊張しているようにも見えた。
「ボクはね……人間ではない。イース人なんだ」
イース人。彼女は、楠木詩帆はそう名乗った。
いや、楠木詩帆という名前で呼ぶことが正しいのかもわからない。イース人というのはなんなのか。
「楠木さん、その……イース人というのはいったい……?」
彩女が詩帆に対して質問をする。司にとっても、それが疑問だった。
この少女はいったい、何者だというのだろうか。
「イース人はね、はるか一億年前に存在した古の種族――に、憑依した存在さ」
イース人と自称した詩帆の説明に、司は眉根を寄せながら首をかたむけた。
「一億年前……憑依……なにがなんだか」
「それについては、これから説明するよ。
イース人という種族は、未来から過去、過去から未来に時間を飛び回っては、様々な種族と精神を入れ替え、成り代わることで存在している種族だよ」
彩女が驚きに目を見開く。
「精神を……入れ替える……」
「そう。だからいまは、一億年前にあるボクの本体から、楠木詩帆という人間の少女と精神を入れ替えることでボクはこの時代に来ているのさ」
詩帆は自分の体を披露するように両手を広げてみせた。
そんな詩帆に、彩女はキッと表情をきつくして一歩詰め寄る。
「そ、それじゃあ本当の楠木さんの精神は、いま――」
「ああ、そのことか。安心したまえ。彼女の精神は一億年前のボクの体の中に入っていて、保護されているよ」
「ほ、本当なのですね……?」
イース人の少女が「ああ」というと、彩女は安堵して肩を撫で下ろした。
少女が「……たぶんね」とこっそり付け足したのを司は聞き逃さなかったが、彩女には聞こえなかったようだ。
「それで、ボクがこの時代に来た理由だけど、それはとある怪物がこの絶対時間軸上に呼び出されるのを阻止するためなんだ」
「とある怪物?」
司が尋ねた。
イース人の少女は、その名を呼ぶのも恐ろしいと言わんばかりに身震いしながら言葉を続ける。
「ヨグ=ソトース。すべての時間軸を支配する者。キミたちの間で大空門と呼ばれている宝具も、そいつの一部なんだよ」
ヨグ=ソトース。
司は、その名を口の中で復唱した。
イース人と名乗る少女は、それが旧校舎にある大空門の正体だと言った。
そして、彼女はその大空門から災いが起こるのを未然に防ぐために現れたのだと。
信じがたく突拍子もない話だが、さすがに頭のいい楠木だけあって、その話には矛盾はなさそうに感じる。
どう対応していいか迷いながらも、司は詩帆の言葉をひとまず信じてみることにした。
「じゃ、じゃあ……お前が詩帆――楠木じゃないとして、これからお前のことをどう呼べばいい?」
司が言うと、今度はイース人の少女が今気づいたとばかりに、ぽかんと口を開けた。
「ふむ……確かに、本当の『詩帆』と区別する必要があるかもしれないね。
ボクの本当の名前は人間の口では発音が難しい。何か代わりの名前が必要だ。
…………そうだな。あえて名乗るなら――」
イース人の少女は、薄く笑みを浮かべた。何か思いついたような顔だった。
「ドモワゼル・ディーだ。ボクのことは、ディーと呼んでくれたまえ」
その名前の由来は司には分からなかったが、ディー本人はそれがいい、そうしようとご満悦の様子だった。
「なんていうか、詩帆――じゃなくてディーは、名前にこだわるタイプなのか?」
「そうだろうか? 名前というのは大事なものだよ。キミはそうは思わないのかい」
「いや、そうかもしれないけどさ」
詩帆ことディーは、最初に会ったときも楠木ではなく詩帆と呼ぶようにと言っていた。そして今回は、わざわざドモワゼル・ディーという凝った名前を用意した。
イースという種族には、呼び名に対する特別なこだわりがあったりするのだろうか。
案外、ディーが特殊なだけかもしれないが。
「それで、なんでまたお前は楠木と入れ替わったんだ?」
「せっかくだから、お前ではなくディーと呼んでほしいのだが……まあともかく、ボクがこの時代に来たのは、キミと接触するためだよ」
ディーが冗談めかした笑みを浮かべ、まるで司に抱きつこうとするかのように両手を広げた。
「つまり、ボクはキミに会うために一億年の時を超えてやってきたのさ」
「――ふぇっ!?」
「冗談はやめろ、ディー」
「……ま、ボクに性別なんてないから、キミたちが想像しているような深い意味はないよ。安心したまえ」
ディーの発言に、彩女は驚いたようにぴくりと肩を震わせ、司は呆れたように肩をすくめた。
少し赤くなった彩女が、困ったように眉根を寄せながら言う
「わ、私はまだ少し話についていけません。その、楠木さん――ディーさんが、一億年前から来ただなんて。
それに、大空門の話も……」
「……そりゃ、俺もとてもついていけそうにないけどさ……。そもそもなんで、わざわざ俺に会いに来たんだ?」
「それは――」
ここで、ディーの言葉がまた少し止まる。
どうやら彼女は、重要な話をする前には黙って考え込む癖があるらしい。
長々と三十秒ほどの沈黙のあと、ディーは口を開いた。
「司……落ち着いて聞いてくれたまえ。キミは、過去にイース人と入れ替わっていたことがあるんだ」
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