第46話 五次元理論


 そこまで言い切ったあと、心を鎮めるために彩女は息を吐いた。

 彩女の想いのこもった言葉に、司はかぶりを振る。


「ごめん。でも、やっぱり俺ひとりで行くよ」

「どうしても、ですか?」

「ああ。……どうしても。君を危険にさらしたくはない」


 彩女は眉根を寄せながら、考えを巡らせているようだった。しばしそうして沈黙したあと、諦めたように首を振る。


「……仕方がありませんね」

「すまない」

「謝らないでください……でも、条件があります」

「条件?」

「はい。私は放課後、念のために家に戻って準備をしてきます。

 それまでに司さんが旧校舎から戻っていたら、私はそのまま帰ります」

「……俺が戻って来なければ?」

「私も、司さんを探しに行きます」


 当然だと言わんばかりに彩女は言い放った。

 なるほど、司が帰らなかった場合の保険のように聞こえるが、実際は別の意味合いも含まれている。


「……お前、自分を人質ひとじちにしたな」


 司が呆れたように言うと、彩女は素知らぬ顔でそっぽを向いた。


「こうでもしないと司さんは無茶ばかりします」

「……それ、彩女には言われたくないな」


 司が突っ込みを入れると、彩女はそっぽを向いたまま頬を朱に染めた。




 放課後、司は旧校舎へ向かった。

 今回は体育倉庫のときのように下校時刻まで待つ必要はなかった。もともと、旧校舎にはほとんど人が訪れないのだ。

 旧校舎は木製の建物で、長いこと手入れがされていないからか埃が積もっていた。

 一階には下駄箱と廊下、正面には上下の階へ続く階段がある。上下ということはつまり、地下もあるというわけだ。


 前述の通りほとんど人の来ない旧校舎だが、ときたまに図書室の蔵書が目的で訪れる教師や生徒もいた。

 理由は、古い本や資料の一部はいまだ旧校舎に残ったままだからだ。

 なぜ新しい校舎の図書室にすべての本を移動させていないのかは分からない。スペースの問題なのか、手間がかかるからなのか。

 蔵書の中に手がかりがあるかもしれないと思った司は、まずは図書室を訪れることにした。

 旧校舎の図書室は、二階にある。司は正面の階段を上ろうと段差に足をかける。


 こつん。


 その時、司のものとは別の、明らかに異質な硬い足音が校舎内に響いた。

 場所は、地下だ。

 地下にあるものといえば、食堂と購買部くらいしか司には思いつかない。いずれも打ち捨てられた機能していない施設だ。

 聞き間違えるはずがない。無貌の狩人の足音だ。司はそれを確認するため、地下への階段を下った。


 こつん。


 購買部の先の、学食のさらに奥。

 本来なら何もないはずの空間から、甲高い足音が響いてきた。

 司はトラウマを引き立てられながら、同時に犠牲になった大切な人たちのことを想った。


 玲二や大輔だけではない。美波や千里だって、奴がいなければ、あんな悲しい運命を背負うこともなかった。


 司の思考が怒りに支配され、冷静な判断ができなくなる。

 そうして衝動に任せて走り出そうとしたときだった。


「待ちたまえよ、司」


 突然後ろから声をかけられ、司は振り向く。

 背後では、楠木詩帆がスカートのポケットに手を入れて見下ろしていた。


「詩帆……どうしてここに?」

「ボクはただの偵察だが、人の気配を感じたのでね。それよりも、キミは対策もなしに、いったい何をしようとしているんだい?」

「俺は……」

「無貌の狩人がこの先に向かったのは、キミもわかっているのだろう? あれだけ注意したというのにこの場所に近づくなんて、キミは自殺願望でもあるのかね?」


 そこまで一気にまくし立てると、詩帆は肩をすくめた。


「帰りたまえ。キミに死なれるとボクも困るんだ」


 詩帆の強い口調に、司も釣られてむっとしながら答える


「それでも俺は行く。せめて、無貌の狩人が何をしようとしているのか突き止めないと……これ以上ヤツの好きにさせたまま引き下がれるか!」


 こつん、という足音が響く。食堂の奥へと向かっていた足音が、今度はこちらに近づいてきているのがわかった。


「今ので無貌の狩人が気づいたようだ。司、キミの感情はともかく、相手が追ってきている以上、今は打つ手がない。引くぞ」

「……くそっ」


 悔しいが詩帆の言うことは正論だった。

 今の司には、無貌の狩人に対して一矢報いる手段すらない。

 司は忸怩じくじたる思いで階段の上へと踵を返した。


「なっ……これは……」

「ふむ。いったいどうしたことだろうね」


 階段を上りきった先の景色に、ふたりは思わず立ち止まった。

 そこには下駄箱はなく、廊下と教室、そして廊下の奥に図書室・・・があった。


「ここは……二階?」

「どうやら、そのようだ。何らかの要因によって時空が歪められたらしい」


 時空が歪められたと言われても、司には何が起こっているのかまったくわからない。

 背後を振り向けば、下り階段は闇に包まれていて先が見えない。周囲をあらためて見回すと、まだ夕方だというのに妙に薄暗かった。さらに、階下からは、こつんこつんという足音が響いている。

 何が起こるかわからない以上、来た道を戻るという選択肢はなかった。


「どうすればいいんだ、詩帆」

「うーむ、絶対時間の軸をずらしたというのか? だがいったいどうやって――」

「――詩帆!」

「なんだ。今ボクは考え事をしているんだ。静かにしてくれたまえ」


 階下から聞こえる足音が徐々に大きくなっていく。それでも詩帆は動かず、ぶつぶつと何かを言っている。

 しびれを切らした司は、詩帆の腕を掴んで強引に引っ張った。


「な、ナニをする?」

「いいから来い!」


 司は詩帆の腕を引いて廊下を走り、図書室の扉を開いた。

 図書室に入ると扉を閉め、古びた木製の机を扉の前に置いて重しにする。

 無駄だとは思ったが、ないよりはマシだろう。


「……強引なところがあるんだね、キミは」

「お前がボサッとしてるからだろう……ひとまず、俺にもわかるように状況を説明してくれ」

「ふむ」


 詩帆はおとがいに指を当てて考える素振りを見せた。そのわざとらしい所作にも慣れてきた司は、彼女の考えがまとまるのを待った。


「そうだな……あくまで仮説だがいいかな?」

「もちろん構わない。なんせ俺には何もわからないからな」

「よろしい。では解説すると、無貌の狩人はおそらく、この旧校舎に眠っている大空門たいくうもんと呼ばれる機構を起動させたのだ」

「大空門?」


 そんな大それた名前のものがこの校舎の中にあるなど、もちろん司は初耳だった。


「大空門は、次元を司るものの一端に名前がつけられたものだ。ボクもある協力者から聞いただけだから、詳しくは知らないがね」


 次元を司る。そのスケールの大きさに、司は唖然とした。

 だが現在の状況、さらに無貌の狩人の空間を渡る力を考えると、そのようなものがあっても不思議ではない。

 詩帆は少し変なやつだが、頭はいい。筋道を考えて話しているはずだから、司はここでは口を挟まずに話を聞くことにした。


「その大空門は、われわれの言葉で”絶対時間”と呼ぶ五つ目の次元をあべこべに捻じ曲げているんだ」

「絶対時間……」


 司はその単語を復唱した。

 どこかで――聞き覚えのある言葉だった。


「君たちの持つ概念で言うと、縦、横、高さ、時間の四つの次元から、もう一つの方向に伸ばしたものが第五の次元である絶対時間。

 われわれの概念では空間、時間、絶対時間の三次元だがね」


 詩帆は楽しそうに講義をする。

 詩帆の言っていることは、かろうじて理解できるかもしれない。だが、とても想像できるものではなかった。

 なにせ、


「四次元だけでも理解することは難しいのに、五次元空間なんて何が何だかって感じだな……」

「なるほど。先述の通り空間と高位次元は別のものなのだが……。それでは、ひとつキミに問題を出そう」


 詩帆がやはり楽しそうに笑みを浮かべる。

 表情の変化に乏しいのに、感情は読み取るのは容易なのだから、不思議な人物だ。

 ゆっくりと彼女の講義を聞くのも悪くないが、今は緊急事態なのだ。司は首を横にふる。


「そんなことをしている暇はない。無貌の狩人が今も迫っているかもしれないんだぞ」

「その時はふたり仲良く他界するだけさ。まあ、聞きたまえ」


 冗談なのか本気なのかわからない調子で詩帆は言った。

 なぜ彼女がこうも落ち着いていられるのか、司には理解ができなかった。


「キミは、人の干渉・認知できる次元は、第何の次元までだと思う?」


 なぞなぞのようなわかりづらい問題だったが、それなら答えは簡単だ。

 なにせ、今いる世界が三次元空間なのだから。


「そりゃあ、三次元だろう?」


 いぶかしげに答える司に、詩帆は少女らしい細い指を組み合わせてバッテンを作った。


「いいや。それは間違いだ。人は時間の経過を認知できるゆえ、第四の次元までは認識できていることになる。また、科学力次第で干渉すら可能だ。

 つまり、キミたちの認知している世界は四次元空間だということだ」


 司にとって詩帆の言っていることがどのくらい理解できているのか自分でもわからなかったが、一応納得しておくことにした。

 人は時間の経過の中を生きているのだから、四次元空間を生きているのだと言われれば、無理やりだが納得できなくもない。

 詩帆は肩をすくめながら話を続ける。


「まあ、時間に干渉なんてしたらティンダロスの猟犬に食われるのがオチだけどね。

 話を戻そう。ボクやキミに認知できない第五の次元。それが絶対時間という概念だ」


 詩帆は図書室から紙を探し出すと制服のポケットからシャープペンシルを取り出して縦軸と横軸を書いた。

 Xと書かれた軸に時間、Yと書かれた軸に絶対時間と記載する。


「このように、すべての空間と時間を内包するのが絶対時間だ。膨大な情報量だろう」

「いや、そう言われてもいまいちぱっと来ないのだが……でも、なんとなくはわかった」

「絶対時間の概念により、キミたちの知識にある『タイム・パラドックス』の不明点はすべて理論的に解決と証明ができる」

「な……ほ、本当なのか!?」


 これには司も驚いた。

 タイム・パラドックスとは、時間をさかのぼった際に発生する矛盾点のことだと、聞いたことがある。

 たとえば、司が過去に戻って幼い自分自身に挨拶をしたとする。その際、過去に未来の自分自身と出会ったことがない司がこの世に存在することが矛盾となる。突き詰めると、司が過去にさかのぼるという行動すら起こり得ないこととなってしまう。

 こういった歴史改変によって発生する矛盾が、タイム・パラドックスという。

 それを解決する明確な理論など、人類にはまだ存在しないはずだ。


「詩帆……君は、何者なんだ……? いや、君は誰だ?」


 詩帆の顔には相変わらず笑みが浮かべられたままだが、その形のいい眉がぴくりと小さく動いた。


「……そうだね。その説明もいずれしなくてはいけないと思っていたのだけど……その前に、来客のようだ」


 その直後、図書室の扉がドンと音を立てて叩かれた。

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