第45話 命の価値
「無貌の狩人……だって?」
司が驚愕に目を見開くと、その反応に満足したように楠木は表情を崩した。
「それじゃ、確かに伝えたからね」
楠木は踵を返すと、校舎の中へと去っていく。
「待て、楠木!」
司が声をかけるが、楠木は振り返ることはなかった。
張り詰めていた空気が解放され、司は息を吐く。
「あいつは、いったい――」
「呼んだかい」
「うおぁッ!」
突然横から声をかけられ、司は思わず悲鳴を上げた。
校舎に入っていったはずの楠木が、いつの間にか隣に立っていた。
「い、いつの間に?」
「いや、普通に歩いてきただけだよ? なんだかキミがぼけーっとしているから驚かせてみたんだけどね」
楠木の口調は冗談めかしているが、表情は全く動いていない。
「それはさておき、まだボクに用があったのではないか?」
「そうだ……無貌の狩人が動き出したって、どういうことだ?
それに、なぜ俺がやつと関わりがあるって知っている?」
ふむ、と楠木はあごに手を当てて考え込むようなそぶりを見せた。
「質問はひとつずつにしてもらいたいものだが……まあいいだろう。前者は、無貌の狩人がこの学校の敷地内に入ったことを感知したからだよ」
楠木の言葉に、司は驚きを隠すことなく言う。
「感知だと? なら楠木は無貌の狩人の居場所がわかるのか?」
「詩帆」
「え?」
「詩帆って呼びたまえよ、司」
真面目な顔で――というより無表情のままで楠木がそう言うものなので、司は思わず肩をすくめた。
「いまはそんな話をしている場合じゃ……まあ、わかったよ詩帆」
「よろしい」
ここで初めて、詩帆はにこりと笑った。
かつて気になっていた少女に素朴な笑顔を見せられ、司はつい心臓が高鳴ってしまうのを感じた。
「あ、ああ……それで、さっきの話だが――」
「残念だけど、ボクには無貌の狩人がどこにいるのかわからないよ」
楠木こと詩帆は、何事もなかったかのように無表情に戻って語り始める。
「ボクはただ、ここに残っていた結界を利用しただけさ」
「結界?」
「そう。誰が残したか知らないけど、退魔の結界がはられていた痕跡があった。
それを修復して利用したのさ。そして、ついに昨日その結界が破られていた
網にかかったということだね」
流れるような流暢な口調で詩帆はそこまで語った。
結界だの痕跡だのといった概念に司は詳しくない。こういうのは彩女の領分だろう。
わかることは、楠木詩帆もまたそちら側の人間だということだ。
「……確証はあるのか?」
「ないよ」
「――は?」
「あくまで推測だ。この学校に仕掛られた結界はなかなか強力なものだったようだからね。並の悪霊くらいじゃ突破できない。それなら――」
「無貌の狩人である可能性が高いということか」
「その通りだ」
司が先に答えにたどり着いたことが嬉しいといったふうに詩帆は答えた。表情は相変わらず読めないが、声は少し弾んでいた。
「あとこの辺に出そうなやつといえばティンダロスの猟犬くらいだが、そんなものが現れたらボクはとっくに殺されている」
「狩人の次は猟犬か。なんなんだそれは?」
「気にしなくていい。そっちの確率は低いから」
その猟犬というのも気になったが、彼女が気にしなくていいと言うなら、そうなのだろう。そういったとこに関しては、この少女のことを信用していい気がした。
「それで、無貌の狩人はいったいどこに現れたかわかるか? 体育倉庫だろうか」
「いや、それはボクも見張っていたのだが、体育館の周辺ではなかった」
「それじゃ、奴はどこに――」
「旧校舎、じゃないかな」
詩帆は学校の山側を指さしながら言った。
たしか、そこには十数年前に打ち捨てられたという旧校舎がある。
「旧校舎……どうしてそんなところに?」
「これも確証はないよ。でも、無貌の狩人が現れるとしたら旧校舎だろう。
なにせ、あそこで時空の歪みが観測されているからね」
「時空の歪み……か」
司は苛立ちを込めて吐き捨てた。
またか、という思いだった。
無貌の狩人に、土蜘蛛の領域。いずれも時空や空間の歪みが原因だった。
そもそも無貌の狩人に時空や空間を操る力があるのか、それとももっと別の何かが影響しているのか。はたまた、怪異とはそういうものなのか。
なんにせよ、非常に重要な情報だ。
「ともかく、ありがとう詩帆。助かったよ」
司が表情を和らげて言うと、詩帆はぽかんと珍しいものを見るように口を開く。
もっとも、相変わらず表情の変化は微々たるものだが。
「おや。驚いた。キミが素直に礼を言うとは」
「お前は俺をなんだと思っているんだ」
「いや失礼。でも、まだ何も終わっていないよ。始まってすらいない。キミに無貌の狩人から逃げ延びてもらわないと、ボクは困るんだ。
だから、決して死ぬんじゃないよ」
詩帆の表情は真面目で、口調も淡々としていたが、どことなく司の身を案じているのが伝わってきた。
司がもう一度素直に礼を言うと、詩帆は満足そうに去っていった。
ああ、またこの夢か。
何度めかも分からないこの見慣れた景色に、司は辟易した。
黄昏の空と、立ち並ぶ原生林。
目の前には、すべてを吸い込もうとする巨大な黒い球体。
そんな悪夢の中でも、司の思考は冴え渡っていた。
相変わらず息苦しい焦燥感は強く感じるが、それすらも司は無視することができた。
今まで現実の中で経験してきた怪異に比べれば、夢の中の出来事など、なんてことはないことに司は気づいたのだ。
自らの身体を確認する。芋虫のような胴に、ハサミのような手のついた二本の触手、それからラッパのような円錐型の器官のついた一本の触手。
意識すると、それらを動かすことができた。
なぜ、自分はここにいるのか。なぜ、自分はこのような姿をしているのか。
届きそうで届かない自らの記憶。目が覚めると忘れてしまう夢のように、映像が浮かんでは記憶そのものから消える。
悪夢の中で、それを繰り返していた。
そう、これは記憶だ。
はるか太古の時代の、司の記憶――。
その夢を見た朝は、決まって調子が悪かった。
司は中途半端な時間に起きたために寝ぼけ眼のまま歯を磨き、朝食を食べ、熱帯魚に餌をやり、学校へ行く準備をした。
いつもつけている整髪料も今日は適当だった。とりあえず寝癖が取れればいいくらいの感覚で、髪型を整える。
そうして朝の支度をさっさと済ませて学校に行くと、教室に入ってすぐに彩女に声をかけられた。
「司さん」
「ん、彩女どうした?」
「あの……言うべきか迷ったのですが」
彩女は逡巡する。言うべきかどうか迷っているようだ。
そして、意を決したように話し始める。
「旧校舎のほうから、不思議な気配を感じます」
「旧校舎だって?」
「……はい。悪霊のような気配なのですが、ねじれて歪曲していて……いったいなんなのか、私には判断しかねます」
「…………」
彩女の言っていることは分かりづらかったが、それぞれがとても重要な情報だ。ひとつたりとも聞き逃してはならない。
なにより、旧校舎というのは詩帆の言っていた情報と一致する。
やはり、調べてみる必要がありそうだ。
「わかった。今夜、旧校舎の様子を見てくる」
「わかりました。私もお供します」
「いや、危険だ。俺一人で行く」
「な、なぜですか。危険なのはあなたも同じでしょう!?」
彩女の珍しく強い口調に、周りの生徒がこちらに注目する。
あまり人に聞かれるわけにもいかない会話なため、司は声を潜めながら廊下に移動した。
「……君の力は、これから必要になる。こういった危険な偵察は、一般人の俺に任せておけばいいんだ」
「私だってただの人間です。命の価値に差なんてありません!」
彩女の強い言葉に、司ははっとした。
なぜだろう――自分はまた、彼女を傷つけている。
彼女は瞳に涙を浮かべながら司のことを真っ直ぐに見つめた。
「あなただったら犠牲になってもいいと言うのですか? そんなことはありません……少なくとも私にとっては、あなたが無事でいることが一番大切なのです」
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