第44話 久しぶりだね


 前述の通り二年に進級した司は、クラス替えで彩女や創一と今年度も同じクラスになった。

 そのほかに、もうひとり同じクラスになった知り合いの女子がいる。だが、それはあくまで顔見知りという程度で、司との接点はほとんどなかった。

 中学のころ同じ学校に通っていたというだけ。内気で引っ込み思案だった彼女とは、会話したことすら数えるほどしかない。

 そんな彼女が、司に声をかけてきたのはもちろん意外なことだったのだが、それ以上に予想外だったのは彼女の口調だった。


「そろそろキミにも挨拶しておく頃合いだと思ってね。久しぶりだね、司」

「…………はい?」


 彼女、楠木くすのき詩帆しほの妙な口調での挨拶に、司は久しぶりに素っ頓狂な声を上げてしまった。休み時間の教室でのことだった。

 なぜ司が驚いたのかというと、もともと楠木はもっと内向的でぼんやりしていて、擬音にすると「ほわほわ」としているイメージがあったからだ。

 それが今の彼女はどうだろう。理知的なイメージすら感じるほどに、実にハキハキとして喋っている。

 司は怪訝に思いながらも、いつものように無視をすることができず、楠木へと顔を向けた。


「昨日も廊下ですれ違っただろ……てのはともかく、お前なんだその口調?」

「おや、わたしの言葉に何かおかしなところがあったかな?」

「いや言葉というか……。なんか楠木、キャラ違くないか?」


 中学の頃はほとんど接点のなかった楠木だが、司はよく覚えている。なにせ、密かに気になっていた女子のひとりだったからだ。

 まず、こんなによく喋る人物ではなかった。言葉遣いも丁寧で、引っ込み思案。他人のことをいきなり下の名前で呼ぶことなんてまずなく、始めて話す相手の前では口ごもってしまうようなタイプだったはずだ。

 それが、この一年でどうやったらこうなるというのだ。


 高校デビューというのとも、少し違う。

 なにせ外見がほとんど変わっていないのだ。気持ち背は伸びて胸も大きくなった気がするが、髪型やメイクなんかは中学の頃のままだ。

 いきなり髪や肌を染めていたり、派手なアクセサリーをつけていたりということはない。どちらかといえば文学少女のような地味な見た目だった。


「そうか。キャラクターが変わっているというのは上手い例えだと思うよ。でも、わたしは間違いなく楠木詩帆だ」


 司はいぶかしげな態度をあらわに楠木のことを横目で見た。

 雰囲気が変わりすぎている上に、言っていることもよくわからない。


「そして司、キミとも会ったことがある」

「……そりゃあ、同じ中学だったからな」


「いいや」と言って楠木はかぶりを振った。


「もっともっと、はるか昔にわたし達は会ったことがあるんだよ」

「もっと昔だって?」


 司の疑問の声を、楠木は不敵な笑みを浮かべるだけにとどめて聞き流した。

 どうにもこの女は、自分の言いたいことだけを言っているように感じる。


「では、挨拶も済んだし、わたしはこれで失礼するよ」

「あ、ああ。……まあいいけど」


 楠木の様子は気にはなったが、司はもともと深く関わるつもりもなかったのだ。これ以上追求する必要はなかった。

 それから楠木と入れ替わるようにして、長くまっすぐな黒髪の少女が司に近づいてくる。


「司さん」

「ああ、彩女か。どうした?」

「……いまのかたは?」


 彩女は眉を潜めながら言った。

 彼女がこういう表情をするときは、真面目な話をするときだ。


「彼女は楠木。中学のときに同じクラスだったんだ。顔見知りだよ」

「そうですか。……少し、おかしな気配を感じたもので」

「おかしな気配?」

「ええ。まるで、魔の物が憑いているような……」


 彩女がそう言いかけると、司は片手でガシッと彩女の肩をつかんだ。


「痛っ……つ、司さん?」

「何か感じたのか!?」

「え、ええ。かすかにですが……」

「なんでもいい。気になったことがあれば教えてくれ」


 そう言って、司は彩女から手を離した。

 やっと解放された彩女は、肩をさすりながら不安そうに司を見つめる。


「ほんの一瞬でしたので……もしかしたら、私の勘違いかもしれません。

 それよりも私は……あなたのほうが心配です」

「…………俺のことはいいんだよ」

「でも……」


 彩女がその続きを言う前に、司は席を立った。

 ひゅっと息を飲む声が彼女のほうから聞こえる。


「とにかく、俺も気になるし、楠木についてちょっと調べてみるから。

 彩女も何かあったら俺に相談してくれ」

「…………わかりました」


 彩女の表情は晴れなかったが、これ以上は自分にできることはなにもないと、司は席をあとにした。

 席を離れる理由もとくになかったのだが、あまり彼女の近くにいるのはためらわれた。もう、誰かを危険な目に合わせたりはしたくない。

 特に、彩女はなんでもひとりで抱え込んでしまう癖がある。念を入れておいたほうがいいだろう。

 このときの司には、彼女の気持ちまでを推し量る余裕はなかった。




 司は、楠木詩帆の情報を集めるため、ひとまず隣のクラスの女子生徒である乙部にたずねてみることにした。

 理由は、なんとなくあのまま自分の教室にいたくなかったからだ。

 隣の教室に入ると、机で読書している乙部の姿を見つけた。


「楠木さん?」


 乙部は机の上に読んでいた本を置いて、首をかしげる。突然、関連のなさそうな生徒のことについて聞かれたことを不思議に思ったのだろう。

 司としてもあまり有力な情報は得られないだろうと思ったのだが、乙部の答えもまた意外なものだった。


「楠木さんとは、たまに話たりするよ。図書室でね、よく会うんだぁ」


 人当たりのいい乙部は、にこにことしながら答えた。

 司は乙部と楠木に関わりがあったことに驚き、身を乗り出しそうになるのをこらえながら楠木について尋ねる。


「彼女は普段、どんな感じなんだ?」

「え? うーん。面白い子だよ。なんでも自信満々で、よく喋るの。

 でも、自分から誰かに話しかけに行くようなタイプでもないかな」

「そうなのか?」

「うん。普段は黙って本とか読んでいるけど、話しかけるといろいろと面白いことを教えてくれるんだよ」

「じゃあ俺が声をかけられたのは珍しいことだったのかな」

「教室だとどうなんだろう? わたしは図書室でしか会わないからなー」

「それもそうか」

「あとね、ジャンル問わずいろんな本を読む子なんだけど、いかにも難しそうな科学の本とか哲学書なんかも読んでたの。きっと頭がいいんだろうなぁ」

「頭がいい、か」


 先ほど話した楠木の知的な口ぶりを思い出す。

 中学の頃の楠木の成績はどうだっただろうかと考えてみたが、司は思い出せなかった。

 印象に残っていないということは、特別成績が良かったわけでも悪かったわけでもないのだろう。


「他にはなにか知らないか?」

「うーん、わたしの知っていることはこんなものかなー。

 それにしても黒河くん、少し元気になったみたいでよかったよ」

「……俺、そんなに元気なかったか?」

「そりゃあもう。目つきも怖かったし、今にも死んじゃいそうだったもん」

「いや、そこまでじゃないだろう」


 乙部にも心配をかけてしまっていたらしい。

 俺のことなんか放っておけばいいのに、と司は嘆息した。


「じゃあ黒河くん。あまり根を詰めすぎないでね」


 司は乙部の言葉に「できる限りな」と振り向きざまに答えると、授業開始のチャイムがなる前に自分の教室へと戻った。


 その後も司は何人かに楠木について尋ねてみたが、みんな同じような答えだった。

 人付き合いは悪く、でもよく喋り、頭がいい。

 乙部の予想通り、成績もかなり良い方だったようだ。特に理数系のテストは満点に近いらしい。けれど、それを鼻にかけたりはしない。勉強のことで他の生徒に質問されることがあれば丁寧に教えていたため、周囲の人間からの評価は悪くないようだ。


「まさに秀才か。いや、天然っぽくてちょっと変わってるっていう話もあったから、天才肌かな」


 そう司は結論付けた。

 だが、彩女のいう怪異などにつながるような手がかりは今のところない。


 やはり彩女の気のせいだったのかと操作を中断しようと考えながら体育館裏を歩いているとき、突然背後から声が聞こえた。


「なんだか知らないが、コソコソと嗅ぎ回っているみたいだね」

「……楠木」

「詩帆でいいよ。ボク・・とキミの仲じゃないか」


 楠木は体育館の壁によりかかりながら、くすくすと笑った。


「異性を追いかけ回すことを、なんていうんだっけ? たしかストーカーと言ったかな」

「冗談はやめろ、楠木」


 楠木は残念そうに肩をすくめた。


「なんだ、ボクのこと詩帆とは呼んでくれないのか。悲しいなあ」

「そんな話をしにわざわざこんな場所に来たわけではないだろ」

「そうだったね」


 楠木の雰囲気が冷たく真剣なものに変わる。

 今までの軽い雰囲気との温度差に、ぞわっと司の背筋が凍った。


「警告だよ」

「……警告?」


 楠木が一歩近づき、司の顔を見上げるような形になる。


「無貌の狩人が動き出した。キミは目をつけられている。注意するんだ」


 楠木のその言葉に、司は戦慄した。

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