第三章 絶対時間

第43話 狂気の影


「いいから、俺に構わないでくれ」


 放課後の教室、机に入れた教科書をカバンに詰め直しながら、黒河くろかわつかさは吐き捨てるように言った。


「ねぇ、その態度はないんじゃない? せっかく香山くんが誘ってくれたのに」


 近くで見ていた立川たちかわ恭子きょうこが、目じりを釣り上げて抗議をした。

 対して香山かやま創一そういち本人は、苦笑しながら「まあまあ」ともろ手を振っている。

 創一には悪いが、ここで立川に口うるさく言われ続けるのも面倒なので、司は無視して帰ることにした。

 司は手さげカバンを肩にかけると、席を立つ。


「あ、ちょっと。黒河くん――!?」


 慌てて引き留めようとする立川を無視して、司は足早に教室の外へと出た。

 廊下に出ると、書類の束を持った長い黒髪の華奢な女子、白山しらやま彩女あやめとすれ違った。彼女は日直の当番で、先生の手伝いをしている最中らしい。


「司さん、あの……」


 すれ違いざまに彩女が声をかけてくるが、気が乗らないためにそれも無視をした。


「あ……」


 背後で彩女が立ち尽くしている気配がする。

 それでも、司は振り返ることなく廊下を歩き続け、家路を急いだ。


 いつもと変わらない。誰とも関わることのない。これが今の司の日常だった。

 大輔、美波に、玲二も。司が関わった大切な人は皆、いなくなっていった。失うことが怖くなった司は、他人と極力関わらないようにして日々を過ごしていたのだ。


 土那島での事件――美波が悲劇の果てに亡くなってから、九ヶ月。

 司たちは二年に進級したばかり。進級時にはクラス替えが行われたのだが、比較的付き合いがあった彩女、創一とは今回も同じクラスで、他には立川、飛鳥あすか染無しむと一緒になった。乙部は隣のクラスだった。


 司が下駄箱の手前まで行くと、今度は染無が司の進路をふさぐように目の前に立った。


「……なんだよ」

「一緒に帰るぞ、司」


 司の言い方も大概だったが、染無もまた有無言わさぬ構えだった。


「まったく。わざわざ待ってなくてもよかったのに」


 司は煩わしげな態度を隠さずに言うが、それでも染無は黙ってついてくる。

 司はため息を一つ零すと、染無を無視して家路についた。


 駐輪場で自転車を拾い、桜の散り始めた山道を下る。

 染無はまだ司のすぐ後ろについてきていた。

 ここ半年以上の間、いつもそうなのだ。司が「ついてこなくていい」と断っても、染無は一緒に帰ろうとする。

 べつだん染無を避けているわけではないが、誰かと積極的に関わろうという気になれない司にとって、こう毎日つきまとわれては対処に困る。

 司は自転車を止めると、背後で同じように染無が止まる気配がした。


「どうしてそうやってついてくるんだ。放っておけって言ってるだろ?」


 司は振り返り、背後の染無に言い放った。すると、染無はいったん瞳を閉じ、ふぅと息を吐いてから不敵な笑みを浮かべる。

 染無が喧嘩をする前に、よくやる癖だ。


「よかったじゃねぇか。不幸でシケた女とおさらばできてさ」

「…………なんだと?」


 司は最初、染無が何を言っているのか理解できなかった。

 やがてそれが死んだ美波のことを言っているのだと思いあたり、司の頭の中は強い怒りに支配された。

 憎悪と狂気を込めた目でにらみつける司。それに怯むことなく、染無は嘲るように言葉を続ける。


「そいつ、ろくでもない親から生まれたってな。ならその娘も、ろくでもない奴だったんじゃねぇか?」

「……お前、もう一度言ってみろ」


 司は染無の胸ぐらを掴む。染無はふんと鼻を鳴らした。


「聞こえなかったか? しょーもない女だと言ったんだ」

「――てめぇっ!」


 司は染無に殴りかかった。それを染無は手のひらで受けとめ、押し返す。

 相変わらず、見かけに反しての馬鹿力だった。

 司が殴りかかるたび、染無はそれをいなす。その繰り返しのうちに司は、胸の中でどす黒く渦巻くような感情が、形をなしていくのを感じた。


「あいつは……美波は何も悪くない! 悪いのは……約束を守れず、彼女を死なせてしまった俺だ!」


 司の拳が、染無の頬をとらえた。本来ならば止めることもできただろうが、染無は抵抗することなく司の拳を受け入れた。

 続けて司は、もう片方の拳を染無に叩きつける。


「美波は俺が……俺が殺した! これから、幸せになるはずだったのに。幸せにならなくちゃいけなかったのに! 幸せにしなくちゃいけなかったのに!!」


 そこで、ふと司の拳が止まる。染無を殴ろうとしたその体勢のままで、司は呆然としながら硬直した。


「……俺が、殺した……?」

「…………」

「なんで……なんで、俺たちが……こんな目に合わなくちゃいけないんだ……。

 俺たちは、ただ、楽しく過ごしたかった、だけなのに……」


 司は染無の胸に拳を叩きつけると、そのままずるずると崩れ落ちるように膝をついた。


「俺は……」

「……ちゃんと言えたじゃねぇか」


 染無は切れた頬から流れる血を腕で拭い、にっと笑った。


「なんだよ。もう気がすんだのか?」

「ああ……ごめん、染無」


 また誰かを傷つけてしまった罪悪感と、自分の本当の想いを打ち明けることができたことによる晴れた心、受け止めてくれた染無への感謝と申し訳ない気持ちが順繰りに巡って、司はうつむいたまましばらく動くことができなかった。

 その間も、染無はずっと司のことを待っていてくれた。


「……どうして俺はいつもこうなんだ。誰かを傷つけてばかりで……」

「よせよ。お前のパンチなんかへでもねぇ」


 不器用な染無なりの元気づけ方に、司は少しだけ救われた気分になった。

 でも、喚いていた自分が少し気恥ずかしくなってしまい、司は顔をそむけた。


「……今日はコーラと裂きイカでも買って帰るか」

「お、いいね。もちろん司のおごりだよな?」

「…………しかたないな」


 そうしてふたりはまた自転車にまたがり、村のスーパーに寄って帰ることにした。




 電灯の消えた、暗がりの部屋の中――。

 荒木大輔は、深淵から自分を呼ぶ声の幻聴によって目を覚ました。


「……またあんたか。……よしてくれ。やるべきことは理解している」


 地球の旧支配者であるウボ=サスラの持つ古の石版――それに触れたことで、大輔はこの世界の裏側に起きているあらゆることを理解した。

 否、あらゆることというのは過大な表現かもしれない。大輔が知ったのは、あくまでこの地球で起きていることのみ。情報として脳内に得たのはその一部。そこから知識として引き出すことができているのは、さらにその末端に過ぎない。

 それでも、十分だった。

 この世を、滅ぼすには。

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