第37話 デート


 司と美波のふたりは、とりあえず島の中をぐるりと一周してみることにした。もちろん、あの鳥居に近づくことは避けて。

 ふたりで海岸線を歩き、山道を抜け、古い家屋が並ぶ辺境の集落を散歩した。普段はなんでもないようなことでも楽しく思えた。

 道中で昼食に食べた昔ながらのざる蕎麦も、実に美味だった。


 日がかたむいてきたころには島をぐるりと一周し終わり、民宿のある村に戻ってきたようだ。比較的新しい家屋が並び、市場のような場所もあった。

 その中にある土産物屋が目に留まり、ふたりはその店を覗いてみることにした。島では珍しいお洒落な小物屋だった。


「うわぁ、きれいー。いろんなアクセサリーがあるね」

「そうだな。雰囲気のあるいい店だ」


 ”君のほうが綺麗だよ”なんてキザなセリフみたいな感想が頭に浮かんだが、もちろん口に出すことはしなかった。

 たしかに、この店は司の好みでもあった。

 木の質感を押し出したロッジのような建物。店内にはガラス細工やアクセサリが並べられ、天井には電灯のついたシーリングファン。海の近くであることを意識しているのか、店の内装もノスタルジックさと爽やかさがうまく両立されていた。


「ほら、イルカだよイルカ! 司くん好きそうじゃない?」

「いいね。だけど俺はこっちのシーラカンス深海魚のほうが好き」

「ええー、そんなのがいいの?」


 と、ガラス細工にわいわい言っていた美波がぷいとそっぽを向く。

 なにか気を悪くさせてしまったかと心配になって覗き込もうとすると、突然美波が変な顔をしながら振り返った。


「シーラカンス」

「――ぷっ」


 顎をぐいっと突き出しながらそんなことを言うので、司は思わず吹き出した。

 美少女が台無しだ。


「わははっ。なんだよそれ」

「え? シーラカンスの……まね?」

「いや、疑問系で聞かれても困るって……くくっ」


 司は思わず大爆笑してしまった。ちょっと腹が痛い。

 すると、美波はわざとらしく無表情になって言った。


「司くんのツボわかんなーい」

「いや、俺もわかんないから……真顔で言わないで」


 今度はふたりで大笑いをした。

 何が楽しいのか自分たちにも分からなかったのだが、美波と一緒にいると、こんななんでもないことでも面白く感じた。


「あー、笑った。司くん面白いね」

「いや、笑わせたのは美波だろ」

「笑わせると面白いってこと」

「さいで」


 そんなわけのわからないやり取りをしている間も、笑顔は絶えなかった。

 美波は両手を背中に揃えて、少し前かがみになって司を見上げる。

 これはきっと、何かをねだろうとしているときのポーズだ。鈍感な司でも、美波が何を考えているのか、なんとなく予想ができた。


「ねえ、司くん♪」

「……なんだ? ……なんとなく予想できなくもないけど」

「ふへへ。なんか買って♪」


 美波は上目使いのポーズのまま、くねくねと体を揺らした。

 悩殺攻撃だ。並の男ならこれでやられてしまうだろう。

 だが、司は冷静だった。だからこそ、断固として言う。


「……ひとつだけな」

「あは。やった♪」


 決して悩殺攻撃に負けたわけではない。冷静に考えた上での妥協ポイントなのだ。

 だが美波にとってはそれで十分だったようで、嬉しそうに土産物を選び始めた。


「ねぇねぇ、司くん似合う?」

「似合わない。シーラカンスに失礼」

「……それヒドくない?」


 試しにつけてみたシーラカンスのようなデザインの腕輪を棚に戻しながら、美波は唇を尖らせた。――なぜそんなものが売ってあるのか謎だ。この店はシーラカンスにこだわりがあるのだろうか。

 商品の棚を見回していた司は、ふと、球体の飾りのついたヘアゴムが目に入った。


「なあ美波、これなんかどうだ?」


 なんとなくだが、美波がそれをつけている姿が自然と目に浮かんだので、司は提案してみることにした。

 すると、美波は「わあ」と感嘆を上げながら目を輝かせた。


「いいねそれ。かわいい! あたしそういうの好きかも」

「そっか。似合うかなって思ってさ」

「これがいい! あたし、これにするね!」


 司はヘアゴムを店のカウンターへと持っていく。見た目の割には、値段がかなり高かった。

 土産物のかわいい袋に入ったそれを美波に渡すと、心底嬉しそうに、愛おしそうに胸に抱いた。


「ありがとう。大切に、するね」


 実のところ、司が似合いそうだと選んだその髪留めは、子供用のものだった。

 はたから見るとそれはどうかと思うようなプレゼントかもしれないが、司も、そして美波も気にしていなかった。自分たちがいいと思えば、それでよかったのだ。

 値段が高いだけあってそのヘアゴムは質がよく、子供向けとはいえしっかりと職人が仕上げた品だった。ふたりとも感覚で目利きができているため、自然と質のよいものを選んだのだろう。見る人が見れば、お洒落なのかも知れない。


「それじゃ、そろそろ戻ろうか。夜はみんなで花火をしたい」

「そだね。えへへ、司くん――」


 大切そうに土産物の袋を抱えた美波が、ぎゅっと司の腕を掴む。少しだけ頬を朱に染めながら、司を見上げた。


「――楽しかったよ、きみとのデート・・・

「あ、ああ……」


 司は美波から目をそらした。これはデートなんだと薄々感じてはいたが、はっきりとそう言われると、急に恥ずかしくなってしまったのだ。

 その時、ふと思い出した。一緒に散歩をするのが楽しくてつい夢中になってしまい、結局、美波の告白への返事は言いそびれてしまっていた。




 その日の夜、みんなで持ち寄った花火で遊ぶことになった。場所は、美波と散歩中に見つけた海辺にある岩場だった。

 砂浜ではないが、みんなと花火をやるには申し分ない場所だった。むしろ、司はこっちのほうが好きだった。

 なにせ、砂浜よりも変わった生き物が多い。


「お、イソギンチャクだ!」


 司がかがみ込むと、それを創一が覗き込む。


「ホントだ。こっちにもいるんだねー」

「お、棒でつつくと食らいつくぞ。こういうの見ると、なんかいろいろ食わせたくなっちゃうよな」

「わかる。ちょっと残酷だけど、貝殻とか入れてみたりしたくなっちゃうよね」


 イソギンチャク相手にわいわいやっている司たちを見て、美波はむっと目尻を釣り上げて近寄ってきた。


「ねぇ男子ー。そんな根暗な遊びしてないで、花火やろうよ花火!」

「根暗とはなんだよ。面白いぞ。ほら」

「ひぇっ。なんですかこの気味の悪い生き物……」

「ほら。アヤヤが怖がってるじゃない」


 美波だけでなく彩女にも、イソギンチャクの良さは伝わらなかったようだ。

 司は少々がっかりしつつも、気を取り直して花火を準備する。

 司が選んだのは、すすき花火ではなくスパーク花火と呼ばれる、バチバチと火花が散るタイプのものだ。司は昔からこれが好きだった。

 司たちは並んで花火を眺め、時々振り回したりして無邪気に遊んだ。


「わーいナイアガラー!」

「美波、いっぺんに持ちすぎだろ」

「僕もスパーク花火、使ってみようかな」

「アヤヤ、線香花火、似合うね〜」

「ほんとだ、よく似合ってる」

「むっちゃ似合うな」

「そ、そうでしょうか……?」


 和服の似合う彩女が、浴衣を来て線香花火を垂らす姿は実に風流だった。

 三人で並んで線香花火を持つ彩女を覗き込むと、恥ずかしかったのか彩女はかぁぁっと赤くなって唇を引き結んだ。その姿がまた可愛らしくて、みんなで顔を見合わせて笑いあった。


 花火をしている間、四人の間で常に笑顔が絶えなかった。楽しい時間はあっという間に過ぎて、いつの間にか時刻は夜十時を回っていた。


 みんなで宿に戻って風呂に入り終えると、もう日付が変わる時間だった。


「おやすみ。また明日も遊ぼうね!」

「ああ、おやすみ」

「……おやすみなさい」

「おやすみ、みんな」


 明日の予定を立てて、それぞれの部屋に戻って眠ることにした。起きたら、朝食を食べてから今日見つけた岩場に遊びに行こうということになった。

 夜が明けるのが楽しみだったが、司と彩女には一抹の不安があった。

 その不安が杞憂であってほしい、無事に明日を迎えられたらいい、司はそう切に願った――。




 その日の夜中、みんなが寝静まったころ、美波は猛烈な嘔吐感を感じて目を覚ました。吐き気は感じるのに、口からは何も出てこない。

 苦しい、息苦しい。

 美波は布団から這い出て、部屋の外へと向かった。

 彩女を起こしてしまっていないか心配だったが、振り返ってみると彼女はぐっすりと眠っているようだった。無理もないだろう。怪我と疲れのせいか、彼女は昼もずっと寝ていたらしい。


 美波はそっと部屋から出た。

 誰にも気づかれぬよう、そっと――。


 とにかく外の空気を吸いに行こうと、美波は宿から外に出た。ちょうど今朝、司と待ち合わせをした玄関前に出たとき、先ほどよりも強い嘔吐感に襲われた。

 思わずうずくまって胃の中のものを吐き出す。

 ――夕食のお刺身、ぜんぶ戻しちゃったかな――体は強い不調を訴えていたが、心だけでも気を軽くしようと、そんなのんきなことを美波は考えた。


 だが、吐き出したものを見て美波は愕然とした。


「な、なに……これ……」


 美波の口から出たものは、糸だった。

 吐瀉物に混ざり、粘ついた蜘蛛糸の束がそこにはあった――。

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