第33話 手つなぎ
大蜘蛛から逃れるために駆け込んだ細い洞穴の中で、美波は弱々しく横になる彩女を膝枕して抱きかかえていた。
いったい何があったのか、彩女はひどく疲れているようだ。
外傷らしきものは見当たらないが、どこか怪我をしているのか、動くたびにつらそうな表情をする。だから、今は安全なこの場所で安静にさせることにした。
「アヤヤ、大丈夫……? 少しよくなった?」
「はい……もう少ししたら、動けるようになると思います」
口ではそう言っているものの、彩女はまだ顔色が悪かった。
きっと自分のために無理をしているのだろう。そう思うと、いたたまれない気持ちになって、美波は彩女の髪をそっと撫でた。
「あ、あの……美波ちゃん、何を……」
「ん。なんか……彩女はがんばり屋さんだなーって……」
最初は動揺していた彩女だったが、美波が優しく微笑みかけると彼女も落ち着いたように軽く瞼を伏せた。
「なんだか、懐かしい感じです……。
昔……よく、父さんにこうして頭を撫でてもらいました……」
「へへ。アヤヤの髪、綺麗だからね」
「……そうなのでしょうか。……よく、母さんに似ていると父が言っていました」
彩女の混濁のない澄んだ声が、少しずつ甘ったるい響きを含んでくる。
彼女はいま、まどろみの中にいるのだろう。このまま少しでも眠ってくれればいい――そう美波は思った。
しかし、次の瞬間には、なにか決心を固めたように強い光をたたえて彩女は瞼を開けた。
「なんとか、美波ちゃんを無事にここから帰さなくては……」
「……そうだね。でも……ふたりで、だよ?」
「……はい。司さんが美波ちゃんを待っているので」
「ふ、へ? な、なんでそこで司くんの名前が出てくるの?」
ここに来る直前の出来事があっただけに、美波は動転してしまった。冷静に考えれば何も変なところがないというのに。
そう思い直して一息ついた瞬間の絶妙なタイミングで、彩女は美波を追撃した。
「あなたと司さんには……私は、幸福になってもらいたいのです」
「そうだね。司くんが…………はぅあっ!?」
美波がくらっと天井を仰ごうとして、拍子に頭を壁にぶつけてしまった。
美波は後頭部を抑えながらうずくまって痛みをこらえる。
「だ、大丈夫ですか、美波ちゃん!?」
「う、うん……でも、なんで……?」
「司さんは……素敵な殿方です」
私とは、釣り合わないほどに――彩女は軽く目を閉じて、小さくつぶやいた。
「だけど、司さんはとても危なっかしい方です。常に誰かが見ていないと、すぐに消えてしまうような……そんな儚さがあります」
「儚さ……かぁ……」
美波は、憧れている司の姿を思い出す。
儚いというのは、なんとなく、分かる気がした。
いつもは頼りがいがあるのに、手を伸ばそうとすると幻のように消えてしまう。
実際に、さっきだってそうだった。
「だから、美波ちゃんに……司さんのことを、見守っていてほしいのです。
情けなくて弱い私ではダメだから、あなたに……」
「アヤヤ……」
彩女が司に対して抱いている気持ちが、美波と同じものかは分からない。
けれど、司は彩女にとって、とても大切な存在なのだということは感じた。
だからこそ――伝えなくてはならない。
自分の抱いている、司に対する気持ちを。
隠しているままじゃダメだ、と美波は思った。
「あのね、アヤヤ……私……司くんに、告白したんだ」
その言葉を聞いた彩女の瞳の焦点がぶれた。彼女は痛みをこらえるように、その言葉を噛みしめて、瞳を閉じる。
「でも、まだ返事を聞いていないから……だからね、戻らないと……戻って、返事を聞かないと……」
「……そうですね。そのためにも、必ず……」
彩女の声と瞳はわずかに揺れていたが、その表情は凛としていた。
「必ず、あなたを連れて帰ります」
「ふへへ、アヤヤは頼もしいね」
笑いかける美波に対し、彩女は同じように笑顔で返す。だが、その笑みは少しだけぎこちなかった。
作戦を実行するため、司、創一、浅木の三人は海岸付近の鳥居の並んだ道へとやってきた。
その道の中で浅木が空間の境い目の薄い箇所を見繕い、そこで儀式を行うことになった。
「ずいぶんと海側でやるんだな。祠の近くでなくてもいいのか?」
「これでいい。あの祠は偶像を祀ってあるだけだ。重要なのは鳥居の方なのだよ。
もともとこの鳥居は、アトラク=ナクアの通り道にそって作られた目印だった。
それを、本来の用途を忘れた島のものが祠などを作って供え物をし始めたのだ」
浅木は鳥居の道を示しながら言った。その後、未だにもぞもぞと蠢いている麻袋を取り出し、床に置いた。
「はじめるぞ。タイミングを逃すなよ」
「わかった」
「うん」
司と創一は手をつなぎ、浅木の術が効果を表すのを待った。
浅木が蜘蛛を異界に送るタイミングで、創一の手を握った司が異界に行って美波を呼ぶという作戦である。
司が最も危険な役目だが、当然だ。浅木はいまいち信用できないし、頼んだところで「お前たちでやれ」と言われるのがオチだろう。創一にも、そんな危険なことをさせるわけにはいかない。
浅木が数珠を取り出し、呪文を唱えながら念じる。すると、鳥居の道が歪んで現世と異界、ふたつの景色が重なって見えた。
そこへ、浅木は麻袋から蜘蛛を投げ込む。蜘蛛が境界に触れた途端、その周囲に異界への穴が生まれた。
「今だ。行け!」
「ああ!」
創一の手を強く握って、司は異界への穴に飛び込んだ。
ぐらぐらと全身を振り回される感覚に襲われたが、それはすぐに収まった。
気がつくと、司は見覚えのない景色の中にいた。
浅木も、創一の姿も見えない。だが、手を繋いでいる感覚だけは不思議と感じたままだった。
「美波――いるか!?」
司は虚空へと叫ぶ。
だが美波は答えることはない。
代わりに、遠くで地ならしのような音が響いた。
土煙を立てながら、巨大な蜘蛛が司の方へと突進してきていたのだ。
司は直感した。あれがこの異界の主、土蜘蛛だ。
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