第32話 蜘蛛の子


 暗い夜道を早足で戻ると、宿の前で創一が待っていた。


「あ、帰ってきた! 司くん!」


 創一は安堵した表情で駆け寄ってくる。そういえば、彼を部屋に残したままだったことを司は思い出した。


「美波ちゃんも彩女ちゃんもいないし、びっくりしたよ。どこに行ってたの?」

「……悪い、ちょっと野暮用で。……彩女はまだ戻っていないのか?」


 おかしい、と司は思った。彩女は祠を調べに行ったらしいが、いくらなんでも遅すぎる。

 彩女はあれですぐ無茶をするタイプだ。美波の身に危険が迫っていることを知って、彼女は一人でまた危険な橋を渡っているのではないだろうか。

 そんな悪い予感が、司の胸中を巡った。


「うん。まだ戻っていないみたいなんだ」

「そうか……」

「美波ちゃんもだよ。……ねえ、なにかあったんでしょ?」


 創一は心配そうな顔で司に尋ねる。

 聡明な彼は、司たちになにかあったことに気づいたようだ。

 しばし逡巡したあと、司は意を決して創一に提案する。


「あのさ……美波がちょっとヤバイことになっていて……知恵を貸してほしいんだ」

「え、美波ちゃんが――うん。僕にできることなら」


 創一は、ぐっとただずまいを直して、真摯な口調で言った。

 その頼もしい様子に、司は少しだけ、不安が和らいだ気がした。


「とにかく、一度部屋に戻ろう。司くん、顔色が真っ青だし……いちど落ち着くべきだよ」




 司は宿の部屋に戻り、創一に事情を話した。

 無貌の狩人のことは伏せつつ、美波が神隠しに遭ったこと、この島にいる蜘蛛の怪物の話、現世と異界の繋がりについて。

 少し迷ったが、彩女の霊能力についても話した。

 司の真剣な様子が伝わったのか、創一は驚きこそはしたが、疑うことなくそれらを信じて受け入れたようだ。どうやって美波を連れ戻すべきか、必死で頭を悩ませていた。


 しばしの沈黙のあと、創一は顔を上げて口を開いた。


「ねぇ司くん。一度異界に行ってから戻ってくるのが難しいんだよね」

「ああ。どうにかして戻る方法を考えておかないと――」

「なら、異界への道を開きっぱなしにはできないのかな? たとえば……両側から手を繋いでおくとか」


 司は二つの空間から、ふたりの人間がお互いに手を繋いでいる状態をイメージした。

 もし異界への出入り口が、普段は見えないだけで常に存在しているというなら、いい方法かもしれない。

 だが、それには懸念もあった。


「それ、道が閉じた時に手が千切れたりしないか?」

「ど、どうだろう……僕も詳しくはわからないからなんとも……」

「だけど、もうそんな感じの方法しかないかもな……わかった。浅木のおっさんに提案してみよう」

「え、こんなのでいいの?」


 上手くいくか分からないが、試す価値はあるはずだ、と司は思った。

 いずれにしても放っておいたら、美波は土蜘蛛に襲われて最悪の事態になってしまう。もしまだ無事でいるなら、一刻も早く助けなくてはならない。

 何より、これなら無策ではない。浅木もまだ試していないことなら、協力してくれる可能性が高い。

 今は、わずかな可能性にでも賭けなくてはならないのだ。




 作戦の決まった司は、創一とともに浅木の家へと向かった。

 遅い時間だったこともあり、浅木は「常識の知らないガキめ」というぼやきで司たちを出迎えたが、一応は中に入れてくれた。

 創一は地下室の蜘蛛の女性を見て、思わず嘔吐こそしてしまったものの、あらかじめ話に聞いていたからか、取り乱すことはなく受け入れたようだ。やはり創一はすごいと、改めて司は思った。


 地下室からいったん部屋に戻った司たちは、小さなテーブルを囲んで、浅木に考えてきた作戦について話す。

 話を聞いた浅木は、人を小馬鹿にしたような笑い声を上げた。


「クハハハハッ、なんだその幼稚な作戦は!」


 心底愉快そうな笑い方が妙に癪だったが、司は苛立ちを抑えながら続けた。


「だが、策は策だ。やってみてもいいだろう」

「……そうだな」


 司が尋ねると、意外なことに浅木は一転して真面目な表情で答えた。


「たしかに、やってみる価値はある」

「――じゃあ!」

「手を繋いでいるというのは……『縁』を繋ぎ続けるということだ」


 儀式的な意味合いがあり、成功する可能性は大いにある。浅木はそう言葉を続けた。

 それは、司にとっても創一にとっても意外なことだった。なにせ、縁だの儀式だのまで考えた作戦ではなかったからだ。


「お前たちにしてみれば、そこまで考えての策ではないのだろうな。妙なところで勘と運のいいガキどもだ」


 ――非常に腹がたつ言い方だが、事実だけに何も言い返せない。


「これで、美波ちゃんを助けられるかもしれないね」


 創一が希望を込めて言った。

 すると、その言葉を聞いた浅木の目つきが鋭く細くなる。


「美波……だと?」


 浅木が低い声でつぶやいた。声にはどことなく忌々しいという雰囲気を感じたが、表情からは感情を読み取れない。


「美波は、神隠しにあった俺たちの友達だが……それがどうかしたのか?」


 浅木はくっと短く笑った。そして、ため息のように言葉を漏らす。


「なるほど……合点が行った。どうしてその人間が異界へと渡ることができたか」

「本当か!?」

「その娘は、藍原の家にいる美波か?」


 浅木が真剣な、いつになく真摯な様子で司たちに尋ねた。


「確かに美波の姓は藍原だが、それがなにか関係あるのか?」


 浅木は目元を手で抑えながら「そうか……」と言って天を仰いだ。


「……知りたいか?」

「当たり前だ」

「後悔するぞ」

「なっ!?」


 浅木の口から出た言葉に、司は驚きの声を上げた。

 この期におよんで、聞いて後悔するような事実があるというのか。

 蜘蛛になった女性の千里のことですら、警告もなく問答無用に説明されたというのに。


「……美波に、どんな秘密があるっていうんだ?」

「ああ、知りたいのか。ならば教えてやる」


 浅木は立ち上がり、地下室へと向かうハッチを指差す。

 ――嫌な予感がした。

 それが当たらないことを、司は祈った。


「藍原美波というのはな……彼女、千里から生まれた。

 すなわち蜘蛛の子なのだよ」


 司の祈りは虚しく、浅木の口から告げられたのは残酷な真実だった。

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