第31話 蠱毒


「どうして……」

「ん? なんだ小僧」

「どうして……こんなことを!!」


 掴みかからん勢いで詰め寄る司を平然と眺めながら、浅木はくつくつと低い笑いを漏らした。


「どうしてか知りたいのか? ……違うな。お前は理解できない、認めがたい現実を前にして喚いているにすぎん」


 だから俺に当たるのは筋違いだ、と言って浅木は肩をすくめた。

 たしかに、この男の言うとおりではある。だが、この行き場のない感情をうまく抑えることができず、司は痛みを感じるほどに拳を握りしめた。


「……まあ、いいだろう。教えてやると言ったからな。解説してやる」


 浅木は相変わらずの上から目線でしゃくだったが、なんとしても聞き出さなくてはならないと司は感じた。

 この島のことについて知る大きな手がかりだし、何より、そうしなくてはこの感情に収まりがつかない。

 司は震えながらも、次の言葉を待った。


蠱毒こどく――という言葉をお前は知っているか?」

「蠱毒? たくさんの毒虫を殺し合わせることで、強い毒虫を選ぶっていうあれか?」

「そうだ」


 話が早い、と浅木はうなずいた。

 蠱毒というのは、確か中国に伝わる呪術のひとつ。百匹の毒虫を一つの容器で飼うことで共食いさせて、最後に残った一匹を祀るというものだ。

 その話がこの島となんの関係があるかは分からないが、決していい話ではなさそうなのは予想できる。


「――そんな顔をするな。続けるぞ」


 司が渋い顔をしていると、何が楽しいのか浅木は機嫌がよさそうにしている。

 悪趣味なことに、この男は人が嫌がる姿を見るのが好きなのかもしれない。


「アトラク=ナクアと呼ばれる蜘蛛の化物がいてな。この島は、そいつの通り道なのだよ」

「アトラク=ナクア……」


 司はその名を復唱して、記憶に刻み込んだ。


「かつてこの島では、何を思ったのかアトラク=ナクアに対して貢ぎ物などが捧げられていた」

「貢ぎ物って……まさか、若い女性とかじゃないよな?」

「察しがいいな。そのとおりだ。だが、アトラク=ナクアは異界と呼ばれる場所にいる。普通の人間にはたどり着けん」

「異界……別の世界ってことか?」

半分・・、別の世界だ。この現世と、ドリームランドと呼ばれる空間の狭間――それが異界だ」


 浅木は滞りなく説明を続ける。過去にも誰かに同じ説明をしたことがあるのかもしれない。


「現世から異界へ渡ることができるのは蜘蛛だけだ。よって貢ぎ物は届かん。

 ならば諦めて形式だけの儀式にすればよかったのだがな……。

 人は無駄なことにばかり頭が回り、勤勉なのだよ」


 司は呼吸が乱れるのを感じた。

 人を化け物の生贄にするというだけでも馬鹿げているのに、これ以上何をしていたというのか。

 薄闇の中、浅木は口元を三日月型に歪ませながら、指先で眼鏡の位置を直す。


「アトラク=ナクアの呪いを利用することで、人を蜘蛛に変える術・・・・・・・・・を見出したのだ」

「人を蜘蛛に変える、だと……」

「そうだ。それによって、めでたくも捧げなくていい貢ぎ物を捧げることができるようになったってわけだ」


 浅木は無感情を装ってふんと鼻を鳴らした。だが、司には彼がどこか苛立っているように感じた。

 この男の感情はころころ変わって捉えどころがないが、その根っこに近い話を今しているのかもしれない。


「もともと……アトラク=ナクアという化け物は人間になど興味がない。アレが気にかかるのは、常に蜘蛛の巣を広げること――ドリームランドと現世を繋ぐ橋作りのことだけだ」

「ドリームランドと現世をつなぐって?」

「この話には関係のないことだ。無駄な質問をするな。

 ともかく、アレは触らなければ人に危害を加えない。だが……。

 いま、この島は蜘蛛の化け物の脅威に脅かされている。なぜだ?」


 唐突に「なぜだ」と問われても分からないし、質問をするなというのも理不尽だ。

 だが重要な話を聞いている手前、ちゃちゃは入れられなかった。

 司は、思いつく限り一番あり得そうな話をした。


「……貢ぎ物が気に入らなくて、人を襲うようになったのか?」

「違う。貴様は阿呆だな。ここまで話して分からんか」

「な……!」

「蜘蛛になった貢ぎ物の娘だよ。それがこの島を脅かす脅威となったのだ」


 司は唖然とした。浅木はそれに無表情でうなずく。

 盲点だったが、理解した。

 化け物を祀るために、人は化け物を生み出していたのだ。


「蜘蛛の化け物の好物は、人だ。だが、異界には人がいない。ならばどうする?」

「まさか――」

「そう。共食いだ。化け物といえど元は人。ただの虫よりは、まだ食指が動いたのだろうよ」


 生贄にされた女性が蜘蛛になり、互いに喰らいあう。

 それではまるで――。


「――蠱毒」

「そうだ。化け物どもは互いに喰らいあい、最後に最も強力なものが残った。

 化け物の総当たり戦で勝ち抜いたのだから、相応に馬鹿げた力を持っているというわけだ」


 人が化け物を作り、その化け物がお互いに喰らいあう――吐き気のするような、おぞましい歴史だった。


「その……千里、さんも生贄だったのか?」


 司が言った瞬間、浅木の表情が邪悪に歪んだ。その瞳が憎悪の色に染まる。


「生贄だと……? これはそのような意味のある人柱ではない。ただの犠牲者だよ。十五年前の事件のな」


 十五年前。その時期に起きた事件について覚えがあったが、司はどうにもそれと関連付けることはできなかった。


「……無貌の狩人か」

「なに?」


 司のつぶやきに、浅木の目が鋭くなった。

 やはり十五年前の事件というのは、無貌の狩人と関連があるというのか。

 浅木は笑っているとも怒っているとも取れる異様な顔つきで司へと詰め寄った。


「お前……なぜその名を知っている」

「どうしてもこうしてもあるか。会ったことがあるからだ」

「……あれが、また姿を現したというのか?」


 浅木はくくっと喉の奥で笑みをこぼす。彼の眼鏡が、暗闇の中でギラリと光った。


「そうか。お前も正真正銘の関係者というわけだ。認識を改めなければなるまいな」

「……そりゃどうも」


 こんな男に仲間意識を持たれているのだとしたら、あまり愉快なことではない。

 ――などということは口に出さず、司は次の言葉を待った。


「……そのことについて、詳しく話してもらうぞ」

「わかった。だけど、神隠しの件が先だ」


「いいだろう」浅木はうなずいた。「かいつまんで言うと、十五年前に無貌の狩人の手によってアトラク=ナクアの通り道が封鎖された」


「道を封鎖……そのアトラク=ナクアの道ってのは異界にあるんだろ」

「そのとおりだ。だが、無貌の狩人なら、ちょっとした次元の境目程度なら越えることができる。

 そして、アトラク=ナクアは怒り暴れ始めた……あとわずかで人間界にまで来ようというところで、我々はそれを阻止したのだ」


 そこまで話したところで、浅木はため息をついた。

 地下穴の奥では、またも蜘蛛女が苦しげに悶ながら蜘蛛と交配をして新たな子を産んでいた。

 気がおかしくなりそうな光景から目をそらしつつ、司は尋ねる。


「千里さんは、そのときに……」

「ああ。アトラク=ナクア自身から呪いを受けた。性交を通してな」


 司は思わず目を見開いた。

「な、に……」


「わからんか。千里は化け物に犯されたのだ。悪趣味なことに、俺の見ている前でな」


 浅木はさも当たり前のことのような口調で言う。しかし、その手はオーバーなほど震えていた。

 その不自然さは、まるで、悲しみを狂気と憎悪で塗りつぶそうとしているようだった。


「そのときに、異界と現世のつなぎが緩んだのだ。それ以来、この島は蜘蛛の化け物……そうだな、伝承に倣って土蜘蛛と呼ぶとしよう。その土蜘蛛の驚異に脅かされているのだ。

 なにせ、いつ腹を空かせてこちらの世界に来るか分からない」


 浅木は説明を続ける。

 腹を空かせた土蜘蛛は次元の狭間を越えて現世へ来てしまう可能性が高い。

 そうならないために、ここで餌を生成しては土蜘蛛に与えているのだと。


「先ほど言ったように、人の身では次元を越えられない。いくら境界が緩くなったとはいえな。よって、人の血を引いた蜘蛛である……こいつらが必要なのだよ」


 浅木は人肌を持つ蜘蛛を詰めた麻袋を示し、「理解したか?」と冷たい声で言った。


「事情は……なんとなく、わかった」


 わかったのだが、ならば浅木は島のために自らの婚約者を傷つけているのだろうか。

 それで、本当にいいのか――。

 暗い顔をする司を見て、浅木はやれやれといったふうに肩をすくめた。


「それで、お前の友人だったか。どうやって異界とつながったかは知らんが、本当に神隠しに遭ったのなら帰ってくることはできん。

 いずれにしても、今頃は土蜘蛛の腹の中だろう」

「そんな……」


 司は愕然とした。

 たしかに、浅木の話が正しいのなら美波が助かる可能性は限りなく低いのかもしれない。

 ――だが、諦めるわけにはいかない。


「……方法は……ないのか?」

「ふむ。……行くだけならば、可能性はある」

「ほ、本当か!?」

「がっつくな、阿呆。俺が異界への道を開く術を使っている間なら、蜘蛛と一緒にあちら側へ行くことができるかもしれん。

 ……お前の体が持つかはしらんがな」


 そんなことで、躊躇する理由はなかった。

 たとえ危険でも、可能性があるならやるべきだ。見捨てることなど、できるわけがないのだから。


「それでいい。頼む、手を貸してくれ!」


 司が深く頭を下げるのを横目に見て、浅木は呆れた表情でため息をついた。


「断る。自殺に手を貸す趣味はない」

「だからって――」

「無策で行ったところで、遭難者がひとりからふたりに増えるだけだ」


 甘えるな、と浅木は吐き捨てた。


「……話はこれで終わりだ。理解したなら帰るがいい」

「くっ……」


 司は歯を噛み締めた。浅木の言うとおり、まずは美波を救う手立てを考えなければ、意味がない。


「わかった……とにかく考えてみる。だから、美波を救う算段がついた、その時は――」

「……ふん。気が向いたら、考えてやる」


 浅木はあくまでこちらに歩み寄る気はないらしい。

 とにかくまずは情報の整理をするべきだろう。司は浅木の家を出て、宿へと戻ることにした。

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