第30話 浅木圭介


 暗い夜の森の中を、司は歩いていた。

 街灯などは当然ないため、星明かりと、手に持った懐中電灯だけが頼りだ。


「こんなところに……本当に人が住んでいるのか?」


 獣道に沿っていけばたどり着けるという老婆の言葉に従い、司はなんとか森の中を進んでいく。

 人里に行くまでにこんな道を通らなくてはならないなど、不便なこと極まりない。

 こんな場所に住むような男など、よっぽどの変人に違いないだろう。

 そんなことを考えていると、ふいに背後から声がかかった。


「お前は、なぜこんなところにいる?」


 威圧的な低い声に、司は振り返った。

 懐中電灯が照らし出した先に、和服を着た男がいた。声とは不釣り合いな眼鏡と童顔。若くも年配にも見えるため年齢の判断は難しいが、宿で聞いた話だと三十代前半のはずだ。

 暗い森の中、獲物を捉えた猛禽類のように男の瞳だけが爛々と光っている。


「…………浅木圭介」

「俺のことを知っているのか? こんな時間に、お前はこの森に何をしに来た?」


 着物の男、浅木の目が鋭く司を見据えた。

 狂気じみたその視線に当てられた司は、ごくりと生唾を飲む。


「……あんたに、会いに来たんだ」


 司は思わずぶっきらぼうな口調で答えた。この男に対して丁寧な口調で話す気にはなれなかったからだ。

 それに気を悪くしたのか、男は露骨に舌打ちをした。


「礼儀の知らないガキだな。そんなことは分かっている。俺になんの用なのかを聞いているのだよ」

「この島の……この島にある蜘蛛の祠の伝承について聞きに来た」

「なぜ俺に聞く? 昔話なら島のジジババにでも尋ねればいいだろう」


 司の言葉に多少は冷静になったようで、浅木は落ち着いた口調で答えた。まったく話が通じないわけではないらしい。司は少し安心した。

 慎重に言葉を選ぶ。おそらく、遠回しな言い方は逆効果だろう。


「……友達が神隠しにあった」

「――ほう」


 浅木は指で眼鏡を抑えながらくつくつと笑った。

 人を小馬鹿にしたような、妙にかんさわる笑い方だ。


「なら諦めろ。そいつは助からん」

「なっ!?」


 何を言っているんだと司は顔をしかめた。諦めるなどできるはずがない。

 そんな司の想いを知ってか知らずか、浅木はふんと鼻を鳴らした。


「まあいい。お前の事情は理解したし、無関係ではないこともわかった。

 ならば現状を教えてやる。ついてこい」

「現状だって?」

「そうだ。どうやってこの島が成り立っているかを知れば、お前の手に負える問題ではないことがわかるだろう」


 果たしてお前は正気を保てるかな――。含みを込めた言葉を付け加えて、浅木は背を向けた。そのとき、浅木の肩に背負った筒状のものが司の目に入った。

 猟銃だ。話には聞いていたが、実物を目にすると身震いしてしまう。

 しかも、それを持っているのが、浅木という得体の知れない男なのだから、危険を感じずにはいられなかった。


「……なんだ。こいつが珍しいか?」


 浅木が頭だけで振り向き、背中の猟銃のグリップに手をかけて不敵な笑みを浮かべる。

 思わず怯む司を尻目に、浅木は猟銃を背負い直すと、再び正面に向き直った。


「これも必要なのだよ。安心しろ。よほどのことがない限り使


 当然だ。猟銃はその名の通り、狩猟する獲物に向けて撃つものだ。

 だが、この男の言っていることは、また違う意味を含んでいる気がした。

 人ならざるもの。浅木の銃は、そういったものを撃つためのものではないのか。

 この男の持つ異様な雰囲気が、司にそのような想像をさせた。


 浅木は振り返ることなく「こっちだ」と言って歩き出す。

 司はそのあとを追った。何を見せられるかは知らないが、この男が重要な情報を持っているのは確かだろう。




 男の家は、森の中にあった。

 森の中の民家というと木製の小屋のようなものを想像したが、予想に反してコンクリート製のしっかりとした作りの建物だった。

 建物は二部屋程度の広さで、二階はない。男一人が暮らすには必要十分だといえるだろう。


「靴は脱がなくていい」


 それだけを告げて浅木は扉を開けて家の中へと入った。司もそれに習い、土足のまま上がる。

 家の中は想像通りの荒れようだった。床にはなにかの書類や本が転がっている。

 だが、机の上と棚の食器だけは几帳面すぎるほどに整理されていた。

 そのおかしな二面性が、浅木という男の内面を現しているのかもしれない。


「どうして、アンタはこんな場所に住んでいるんだ?」


 司が思わずたずねると、浅木は面倒臭そうに答えた。


「人の多いところだと、何かと都合が悪いからだ。見ればわかる」


 浅木は部屋の奥の床のハッチのようなものを開けて、そこからはしごを伝って地下へと降りていく。この家には、地下室があるのか。

 浅木のあとを追って司も地下へのはしごを降りる。

 意外なことに、地下室の床は土になっていた。壁も土や岩がむき出しになっている。まるで、ただ地下へと掘り起こしただけのような部屋だ。

 それは地下室などという立派なものではなく、ただの地下穴だった。


「あれを見ろ」


 浅木が前方をうながす。地下穴は先に進むほど広がっており、その先に蠢いているものが見えた。


 司は最初、それが何なのか認識できなかった。理解が追いつかないのだ。

 見えたのは女性の人影と、その足元で蠢くなにか――いや、違う。

 薄暗さに目が慣れ、その姿が視界に入った。

 司は喉の奥までせり上がった悲鳴を飲み込み、呆然と絶句する。


「な……んだよ、これ……」


 司は声をつまらせた。

 それは、上半身が美しい裸の女性、下半身が蜘蛛という異形のものだった。

 蜘蛛と混ざった女性の生々しく潤んだ瞳は、何も映していないかのようにただ正面を見据えている。

 息はしているようで、女性の美しくくびれた腹と、おぞましい蜘蛛の腹が、呼吸に合わせてわずかに伸縮していた。


「ほう。てっきり叫び出すかと思ったが、肝は据わっているようだな」

「…………」

「声を発することもできんか。安心しろ。こいつは襲ってくるようなことはない」


 浅木は奥へと足を踏み入れ、猟銃を構えながら「そう躾けてあるからな」と付け足した。


「な、何をする気だ?」

「ゴミ処理だ。溜まると面倒なのだよ」


 女性の周囲にも、何匹もの蜘蛛がいた。個体によってサイズの違いはあるが、そのどれもがバスケットボール以上の大きさのある巨大な蜘蛛だ。

 周囲の蜘蛛たちは蜘蛛女にまとわりつき、一部の蜘蛛たちが口元の触肢を蜘蛛女の体に突き刺す。

 触肢を突き刺した場所は、蜘蛛の腹部の中央と、女性の体の下腹部。

 いずれも、生殖器がある場所だ。


「こ、交尾……しているのか?」

「そうだ。こいつらは、このメスを孕ませようとしている」


 浅木が、蜘蛛女の体を離れた蜘蛛に銃口を向け、引き金を引いた。

 凄まじい衝撃と銃声。司は思わずすくみあがって耳をふさいだ。

 穴だらけになって動きを止めた蜘蛛を、浅木は無造作に横穴へと投げ捨てた。


「そうだ。紹介がまだだったな」


 浅木は言いながら、次の蜘蛛のを始めた。

 選別し、殺し、捨てる。


 動く様子のなかった蜘蛛女が初めて悶えるように見をよじった。

 女性としての両手足と、虫としての脚は鎖で拘束されていて、わずかにしか動くことができなくなっていた。

 蜘蛛女がもぞもぞと動くと、異形の腹部から新たな蜘蛛が生まれた。

 ぬめりとしたその子蜘蛛は、背中の脇あたりが、わずかにのような質感になっていた。


「ほう。少しはマシなものが生まれた」


 浅木はまだ母体とつながっている子蜘蛛を強引にちぎり取ると、麻袋に詰め込んだ。

 わけのわからない一連の行動と、あまりに現実離れした光景を、司は無感情に眺めていた。

 いや、実際は無感情などではない。あと少しで決壊し溢れ出しそうな感情の波を無理やり抑え込んでいるのだ。


 そんな司の様子を、浅木は愉快そうに眺めながら言う。


「紹介しよう。このメスが千里ちさと――かつての俺の婚約者だ」


 そのとき、司の感情の堤防はいともたやすく決壊した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る