第28話 神隠し


 あの後、鳥居の周辺を探したが美波の姿は見当たらなかった。

 先に帰っている可能性も考慮して宿に戻って確認したが、やはり彼女はいない。

 司は焦燥に駆られながら、このことについて相談するために彩女の待つ部屋を訪れ、経緯を説明した。


「……話の大筋は、わかりました」


 司の説明に、彩女は真剣な面持ちでうなずく。

 情けないことだが、こういうときに事態を冷静に受け止めて進むべき道を示してくれる彼女の存在は、本当に頼もしい。


「美波は……なんだか急におかしくなったんだ。砂浜につくまではいつも通りだったのに、突然よくわからないことを口にして。

 彩女、なにかわかることはないか?」

「これだけの情報では、はっきりとしたことは言えません……それに、私はこの島の土地柄については詳しくはないのです」

「土地柄?」

「ええ。土地柄……というべきでしょうか」


 霊力や怪異というのは、その土地ごとに仕組みが異なる。そのため、豊岡村とここ土那島とでは、発生する怪奇現象の原因や対処方法が変わってくるのだと彩女は説明した。

 彩女は豊岡村以外の土地についての知識はあまり深くないらしい。


「『神隠し』の一種である可能性が高いのですが、もう一度あの辺りを調べてみないことにはなんとも……」

「そうか。でも大丈夫なのか? 彩女、あそこに近づくと気分が悪くなるんじゃあ――」

「そんなこと言っていられる状況ではないでしょう?」


 彩女は苛立ったように語気を強めたあと、しゅんとうなだれた。


「もとはと言えば、私が考えなしに司さんと美波ちゃんを行かせたのがいけないのです……だから……」

「そんなことない。俺がついていたのに、注意するように言われていたのに、守ってやれなかったから……」


 砂浜で聞いた、美波の言葉が脳裏に蘇る。

 ――んっとね、好き。

 天真爛漫だけど照れ屋な彼女の、精一杯の告白。


 本当は司が守らなくてはならなかった。彩女もそれを信じて送り出してくれた。

 なのに、司はその使命を果たせずに、美波を危険な目に合わせてしまった。

 探し出さなくてはいけない。もし危険な目にあっているのなら、助け出そう。今度こそ守らなくては。


「……彩女、俺はどうすればいい? できることならなんでもする」

「私も、たとえ何があろうと美波ちゃんを探し出すつもりです。

 司さんは、この島の伝承について調べてください。特に、あの鳥居と祠に関することを。

 そうすれば、土地性について知る手がかりになると思うのです」

「わかった。彩女はどうするんだ?」

「私は鳥居の道を……美波ちゃんがいなくなったあたりを調べてみます」


 司はその言葉に了承して、島の人の話を聞くためにさっそく動き出した。

 彩女はまた無理をしようとしているのではないだろうか。それは薄々感じてはいたが、彼女を止められるような理由を司は持ち合わせていなかった。




 情報を集める上でまず思い至ったのが、民宿「神子元亭」の持ち主である美波の祖父母だった。

 美波の祖父母とは島に到着したときに挨拶をしたことと、夕食のときにしか関わりがなかったが、祖父のほうが無口な男性で、祖母のほうがよく喋る感じのいい女性だという印象があった。

 宿の受付としての役割がある玄関で美波の祖母の姿を見かけたので、司は声をかけた。


「すみません。あの……少しいいですか?」

「おや、どうしたんだい?」


 老婆が人の良さそうな笑みを浮かべて振り返った。美波とはあまり似ていない。

 司はなにか世間話から始めるべきかと迷ったが、結局これといった話題も見つからず、最初から本題に入ることにした。


「砂浜の先に、鳥居が並んだ道があって、その奥に祠があったのですが、それについてなにか知りませんか?」

「ああ……あれはね、蜘蛛の神さまを祀っているんだよ」

「蜘蛛の神様?」

「そうさね。名を那久亜なくあさまと言ってね。毎年、六月になると米や饅頭のお供え物を捧げる風習があるんだよ」


 老婆は身振りを交えて丁寧に説明してくれた。蜘蛛の神様というのは珍しいが、あの祠にはたしかに意味があるようだ。


「なるほど……。では、あのあたりで他に言い伝えられていることはありませんか? 近づいた人が行方不明になってしまった、みたいな話とか」

「人が行方知らずに……神隠しの言い伝えならあるけどね」


 老婆の言った「神隠し」という言葉に、司ははっとして身を乗り出した。

 彩女も同じようなことを言っていたから、何か手がかりになるかもしれない。


「その話について、詳しく教えてもらえませんか?」

「六月六日に、鳥居が並んでいる道を横切ると、神隠しにあうというものだよ」

「六月六日……それだけですか?」

「ええ。それに、夢のない話だけど……過去に知らずに横切っちゃった人もいてね。でも、何も起こらなかったそうだよ。だから迷信かもしれないけれど……。

 それでも、なるだけ島のみんなは鳥居の道を横切らないようにしているのさ」

「そうですか……」


 今の季節は七月。すでにその時期は過ぎている。

 だが、現実として美波は鳥居のそばで失踪しているため、決して無視はできない話だった。


「そういえば……以前もあなたみたいに神隠しの話を熱心に聞いて回っていた青年がいたねぇ」

「以前にも? いつ頃の話でしょうか」

「もう十五年も前になるよ」

「その人は、今どうしているかわかりますか?」

「詳しくはわからないけど、妙な噂を聞くねぇ」

「……妙な噂」

「島の森の中を、猟銃を持ってうろついているのをたまに見るって話だね……。他にも、もぞもぞと動く赤ん坊くらいの大きさの袋を運んでいたとか。

 とにかく、その男の人については、あまりいい噂は聞かないよ」


 本格的に危ない人じゃないか、と司は面食らった。

 そんな人に接触するのは勇気がいるが、それでも司は会いに行ってみようと思った。

 他人からおかしく見えるということは、それだけ非日常の怪異へと踏み込んでいる人物なのではないか。先日、会いに行った大輔の様子を思い浮かべながら、司はそう考えた。


「ありがとうございます。参考になりました」


 最後にその男性の住んでいる場所を聞いた司は、美波の祖母に頭を下げた。

 名前は浅木あさぎ圭介けいすけ。森の中を住処にする、奇人。

 彼に会いに行くため、司は民宿を出て夜道を歩き出した。




 夜の森に潜む鳥居の道。

 相も変わらずそこは空間が奇妙に歪み、現実の景色と重なるようにほのかに異界の情景が浮かぶ、不可思議な場所だった。

 彩女は、現実と異界を結ぶ境目に触れる。彩女の常人より強い霊力は、綻びかけた空間の切れ目に、わずかながら干渉することができた。


「……ごめんなさい……司さん」


 彩女は宵闇の中で一人、彼に謝罪をした。

 誰が聞いているわけでもない謝罪の言葉に、意味があるわけではない。これからやろうとしていることを彼が知ったら、怒るような気がしたのだ。

 だから、せめて自分の中で踏ん切りをつけるために、謝罪の言葉をつぶやいたのだ。


「私は、美波ちゃんを救い出したい」


 たとえ、この身を危険にさらそうとも。

 彩女は決心を新たにして、目の前の空間をこじ開けるため、鋭く精神を研ぎ澄ませた。

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