第27話 蜘蛛の糸
「そ、それじゃ……よろしくお願い、しまス……」
「……なんか、彩女みたいな喋り方になってるぞ」
なぜか緊張してガチガチに固まっている美波に、司がツッコミを入れる。
美波はギシギシと音が鳴りそうなほどぎこちない動作で、司のほうへと首を向けた。
「は、はわわわわわ本日はお日柄もよくぅ――」
「いや、意味わからんから……」
宿で出された夕飯をすでに食べ終えたこの時間、真夏とはいえさすがに日は完全に落ちていた。
空は、ずっと眺めていたくなるような満点の星空だ。
司と美波は今、宿を出て島の中の散歩をしている。
なぜ美波と二人なのかはわからないが、それが彩女の指示だった。
「はぁう……どうしよ……しんどい、つらい、まじ
「いやさっきから何言ってんの?」
「ふゆぅぅ〜〜! 尊み秀吉っ!!」
「誰だよそれ!」
司がぷっと吹き出すと、美波はしてやったりという顔で、にへらっと笑みを浮かべた。
そのあと、美波はぷいっと司に対して背を向けて先を歩き出す。
「はぁ。やっぱり、いつもの司くんだなぁ」
「ははっ、いつものってなんだよ?」
「ううん。なんか、あたし一人だけ舞い上がっちゃって、おかしいね」
「美波がおかしいのだって、いつものことだろ」
「そうじゃなくって! もう〜!」
美波はがばっと振り向き、むくれながら上目使いで司を見上げた。
学校で見慣れているはずなのに、シチュエーションのせいか、目の前に迫った美波の顔に、司はドキリとしてしまう。
夜の闇に星明かりで浮かぶ美波は、いつも以上に綺麗に見えた。
「え、えっと……それはいったい……」
「うーん。まあいいか♪ ね、ちょっと海のほうに行ってみない?」
美波が宿から坂を下ったところに見える砂浜のほうを指さして言った。
司としても彩女から「美波と一緒にいるように」としか言われていなかったので、断る理由はなかった。
「いいかもしれないな」
「でしょ? それじゃ――」
「ああ、行ってみるか」
司は、歩き出そうと美波の細い手首を握った。
その瞬間、美波の体が猫のようにびしゃっと震える。
「にゃ、にゃああああーーっ!?」
「おわ! どうした美波」
「だ、だだ、だって、て、手……」
「あ、す、すまん……」
司も急に気恥ずかしくなって、さっと手を離した。羞恥で耳元が熱くなった。
彩女とのやり取りに慣れて自然と握ってしまったが、思えばすごく恥ずかしいことをしている気がする。
司はなにか言い訳を言うべく、しどろもどろに言葉を発する。
「あ、あのな美波、今のは――」
「……はい」
美波は、ぷいっとそっぽを向きながら、そっと司に向けて手をさしだした。
司は呆けた表情で「――え?」と差し出された手を眺めている。
「つなぐことを、許可します」
「へ?」
「許可します」
「いや、言い直さなくていいけど」
くいくいと腕を軽く上下に動かす美波。
司は胸がむずかゆくなって、照れ隠しの苦笑を浮かべながら、丁重に美波の手をとった。
「それじゃ……失礼します、お姫様」
冗談交じりに言った司の言葉に、くらあっと美波はよろめいた。
涙目で司を見上げる彼女の顔は、湯気が出そうなほど紅潮している。
「あぅぅ……こんなの、ずるいよぅ……」
「な、なにがだよ……ちょっとくらいカッコつけたっていいだろ」
二人は、気恥ずかしさにお互いに目をそらした。
司より背丈の低い美波はうつむいて下を向き、司は逆に視線を上げて夜空を視界に入れる。
そして、ゆっくりと距離感を確かめるように、お互いの手を握った。
「行こっか」
「……だな」
司と美波の二人は、海に向かって歩いた。
二人とも無言だった。いつも騒がしい美波も、このときは口を閉じて司の手を握って歩いていく。司も、特に話すことも思いつかずに黙したままだった。
だが、その沈黙すら、どこか心地いい。
時折、美波が司のほうを見上げて微笑みを浮かべる。それに笑みを返すと彼女は、はにかんだような表情でまた視線を前に戻す。
そんなことを繰り返しているだけでも、なんとなく楽しくなる。
「ついたな」
「……うん」
砂浜にたどりついた二人は、どちらともなく立ち止まって波打ち際を眺めた。
隣にいる美波の横顔を盗み見る。彼女は、風に揺れて顔を覆う髪を耳にかけた。
その顔は、どこか満ち足りたように微笑んでいた。
「司くん」
「なに?」
「夜の砂浜って、少しさみしい感じがするよね」
「たしかに……そんな感じがするな」
「だよねー。昼間はあんなに明るくて騒がしいのにっ!」
美波はふっと目を閉じた。
「あたしもね、同じなんだ」
どこか自嘲しているような、いつもより大人びた表情に、司はごくりと息を飲んだ。
こうして改めて見ると、美波は本当に綺麗だった。
「夜になって、一人になるとね……急に、胸にぽっかり穴が空いたみたいにね……寂しくて、悲しくなるの」
「……似合わないな」
「ほんとにね。おかしいよね」
「美波は――笑っているほうが似合うよ」
美波は「ひゃっ」と短く悲鳴を上げながら、両手で頬をおさえてうずくまった。
司が覗き込むと、美波は唸りながら何かをぶつぶつとつぶやいていた。
「ど、どうした美波……?」
「……そういうとこ」
「え?」
「もう~。なんでもないもんっ!」
美波は唇を尖らせながらそっぽを向く。
なにか怒らせるようなことを言ってしまっただろうか。
心配になって司が声をかけようとしたとき、突然、美波がもたれかかるように司の肩に頭をあずけてきた。
「み、美波さん?」
「えへへ……」
たじろいでいる司に対し、美波は心地よさそうに、少しおどけた声で笑った。
どうしたものかと考えあぐねていると、彼女は眩しそうに目を細めながら言葉を紡いだ。
「今日は、楽しかったね……」
美波が本当に幸せそうに言うので、司もなんだか温かい気持ちになってきて、自然とうなずいていた。
「ああ、楽しかった」
司がそう答えると、美波は額を擦りつけるように身じろぎをした。
「あのね、司くん……」
「どうした?」
「んっとね……好き」
あまりにも自然に発せられた美波の言葉は、司の思考を一瞬止めた。
少しの間のあとその意味に気づくと、司は顔がかあっと熱くなるのを感じた。
「え、え……美波、それって……」
「はわわわ……言っちゃった……言っちゃったよぅ……」
美波は顔を隠すように司の体に額を押し付ける。
そのまま、二人は口を閉ざした。
静寂の中、波の音だけが夜の浜辺に流れる。
「なあ美波、俺――」
やっとの思いで司が口を開いたとき、突然美波が顔を上げた。
「――蜘蛛の巣が見える」
美波は、機械のような冷たい声音で言った。その顔も無表情で、まったく感情を示していなかった。
「美波?」
「行かなきゃ。呼んでる――」
美波は司から頭を離し、砂浜を歩き出した。
司は慌てて美波の腕を掴む。
「おい、いったいどうしたんだ――!?」
美波は見た目に反して強い力で司の腕を払った。
その勢いに司は尻もちをつきながら、美波の姿を見上げる。
「見えるでしょ――辺り一面、見渡す限りの蜘蛛の糸」
「何を言っているんだ……? しっかりしろ!」
司は叫びながら起き上がる。
その間も、美波は歩き続けていた。
向かう先は――森の祠へと続く鳥居。
「待てよ、美波!」
夜の闇の中にある鳥居の道は、異様な雰囲気を現していた。
道とそうでないところを隔てる、空間の歪みのような――
「やめろ、行くな!!」
司の叫びも虚しく、美波は鳥居の並んだ道へと近づき、横切った。
直後、追いついて美波の体をつかもうとした司の腕が空を切る。
「美波……いない……? どうして……」
司は、少女が消えた鳥居の道の前で、どっと膝をついた。
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