第25話 彼我を隔てる鳥居


「ねぇねぇ、あっちになにかあるよ?」


 飛んでいってしまったビーチボールを抱えながら、戻ってきた美波が言った。

 ちょうど日も傾き、海での遊びも煮詰まってきたころだった。


「なにかって、なにが?」

 司が尋ねる。


「んっとね。なんか鳥居みたいなの。砂場のほうから森の奥に向かっていくつか並んでたよ」


 こんな場所に複数並んでいる鳥居、というのも珍しい話である。

 鳥居というのは神社の境内の内と外を仕切るために使われるという。なら、このような海岸の近くに神社が存在するということなのだろうか。


「彩女、なにか知ってるか?」

「いいえ……私も、この辺りの土地勘はなくて」


 それもそうか、と司はうなずいた。

 神社や神道のことについて彩女がなんでも知っているというわけではない。


「行ってみる?」

 創一が提案する。他の三人も、それに賛成した。




 それは、確かに鳥居だった。

 木をそのまま削って組み立てたような茶色の外観で、砂浜に一つ、砂と土の境目に一つ、残るは森の中へ三つ四つと続いていた。


「なんだろうね、これ」

「調べてみるか」

「……待ってください」


 美波が疑問の声に応えて、司が二つ目の鳥居に近づこうとするのを、彩女が腕で遮った。


「横切ってはいけません。……正面から参りましょう」


 こういったものには、何か作法があるのだろう。

 司たちは彩女の言葉に従うことにした。


 砂浜に建てられた鳥居の前で彩女が一礼をしたので、他の三人も彼女に習って頭を下げた。

 鳥居が均等に並んで形作られた道。一つ目の鳥居をくぐる。まるで道の外側と内側で境目ができたように、周囲の風や波の音が虚ろになっていく。


「なんか……雰囲気があるね」


 創一が言った言葉に、司と美波がうなずいた。だが、彩女だけは硬い表情をして口をつぐんでいた。

 どこか、顔色も悪い。


「……アヤヤ?」


 美波が声をかけると、びくっと彩女は肩を揺らしながら顔を向けた。


「な、なんでしょうか?」

「どしたの? なんか難しい顔しているけど」

「いえ……なんでもありません。少し目眩がしただけで、大丈夫です……」

「そっか……アヤヤ、無理しないでね」

「ありがとうございます……美波ちゃん」


 続いて、彩女はぎこちなく微笑んだ。彼女が何かをごまかそうとしているときの顔だ。

 それに美波も気づいているようで、心配そうに彩女のことを見つめる。

 彩女はその視線から逃げるようにしながら司のもとへと近づいて、小さな声でそっとつぶやいた。


「……司さん。少しいいですか」

「どうした、彩女?」


 彩女の低い声とただ事じゃない様子に、司は少し緊張しながら小声で返した。


「なにか、よくない気配を感じます」

「……そうなのか?」

「はい。……先程から、


 彩女の体調がすぐれないというのは、それだけではない大きな意味を持つ。

 彼女はその華奢な外見に反して、壮健で体力もある。そんな彩女が体調を崩すということは、なにか霊的なものが関係している可能性が高いのだろう。


「そっか。無理すんなよ、

「はい」


 司の含みのある言葉に、彩女は真剣な面持ちで答えた。

 今の会話は、暗に"何が起こるかわからないから気をつける"という意味が込められている。二人の間でかわされた暗号のようなものだ。

 何も起こらないに越したことはないが、彩女が異常を感じている以上、注意しておくに越したことはないだろう。

 なにせ――あんな事件があった後なのだ。

 司も、もちろん彩女も、すでに日常から一歩逸脱している。だからこそ、怪異を引きつけてしまうものかもしれない。

 とはいえ、それに創一や美波を巻き込むわけにはいかない。


 鳥居が並ばれた道を進んでいくと、前方に木製の小さな社のようなものが見えた。


「向こうになにかあるね。なんだろ、ほこらかな?」


 先頭を進んでいた美波が前方を指差しながら振り返った。祠――たしかに、大きさ的にそれは社屋というより祠だった。

 近づいてみると、その祠は石造りの土台の上に建てられていて、司の背丈より少し高いくらいの位置に屋根がついていた。

 正面にはかんぬきのかけられた網目状の門があり、隙間から中を覗くことができた。


「んんー? 中になにがあるんだろう」

「美波ちゃん、そんなふうに覗き込むのはよくないんじゃ……」


 早々と中を覗き始める美波を、創一がおずおずと控えめに引き止める。

 だがもちろん、そんなことで止まる美波ではなかった。


「あれ、お地蔵さんとか観音様がいるわけじゃないんだね」


 美波は祠の扉に額をつけて中をうかがっている。いかにも神聖な場所に対して、かなり大胆な行いと言えるだろう。

 普段なら司もそれに悪乗りしているところだが、今回は彩女の言っていたことが気になる。

 司は、念のために美波を止めておくことにした。


「美波、そろそろそのへんに――」

「……あっ」


 司が呼び止めようとした途端、美波は驚いたように声を上げた。

 そのまま彼女は、祠の中を見つめたままぴたりと硬直した。


「どうした、美波?」


 司が気になって声をかけるが、美波はぴくりとも動かず、呆然とした表情をしている。

 何があったのかと司も祠の中を覗こうとすると、それを遮るように彩女が前に出て美波の肩をつかみ、強引に引き倒した。

 とすん、と美波が土の上に水着のまま尻もちをつく。


「あぅ……あれ、私……? アヤヤ、どうしたの?」

「彩女?」


 美波と司がそろって彩女のほうを見つめる。

 今度は彩女が、祠の前で美波を倒した体勢のまま、ぜぇぜぇと肩で息をしながら硬直していた。


「何があったんだ、彩女?」


 司は彩女の耳元でささやきながら、祠の中を覗いた。

 美波の言う通り、中には神仏の像があるわけではなかった。代わりに、蜘蛛のような歪な形に掘られた石が置いてある。

 それは、今にも飛びかかってきそうなほど妙な躍動感と、どことなく威圧感を感じる彫り物だった。


「蜘蛛の像……? いや、それよりも!」


 司が彩女の体を自分のほうへと向けると、ふっと力が抜けたように彩女が地面に膝をついた。


「おい、彩女! 大丈夫か?」

「ふぇ、アヤヤ!?」

「白山さん!」


 彩女は力なくうなだれたまま、こくりとうなずいた。

 その様子だけで、ただごとではないことが分かる。

 司は彩女から言われたことを思い出し、できるだけ確実な方法を取ることにした。


「とにかく、一度旅館に戻ろう。鳥居にそって、来た道を戻るぞ」


 司は少し考えて、こう付け足した。


「いいか、鳥居は全部くぐるんだ。横切っちゃいけない。

 ……彩女、それでいいか?」


 司が小声で問いかけると、彩女は小さくうなずいた。

 どうやら対処の手順としては間違っていなかったらしい。


 美波と創一が「わかった」と言って、彩女を気遣いながら来た道を戻り始める。

 司は彩女を支えて歩きだそうとしたとき、目の前に一匹の蜘蛛がいることに気づいた。

 その蜘蛛は、来訪者が去っていくのを眺めるようにしばらくただずんだのち、祠の裏のほうへと消えていった。

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