第19話 門の創造


 玲二と家が近い大輔とはアパートの前で別れ、司と彩女は家路につく。

 明日は土曜日で学校は休み。バスケ部の練習もないということなので、三人はもう一度体育倉庫を調べるために校門で待ち合わせることになった。


 帰り道で、彩女はふとこんなことを口走った。


「……無貌の狩人を封印するための手がかりが、つかめたかもしれません」


 司は「え?」と驚きながら彩女に顔を向けた。すると彼女もまっすぐと司を見返してくる。

 彩女は形のいい唇を開き、軽く息を吐き出してから言葉を続けた。


「あのコンピューターに映しだされた資料の中に、かつて無貌の狩人が封印されたときの方法が書かれていました。

 炎の五芒星と、しめ縄……」

「しめ縄だって!?」


 そう言いかけた彩女に、司が割り込んだ。

 しめ縄――おととい、司と玲二と大輔の三人で開かずの間を覗いた時を思い出す。


「どうかしましたか?」

「そのしめ縄、俺知ってるかもしれない」

「!! 本当ですか、司さん」

「ああ。古い方の体育倉庫に、それらしいものがあった。関係ありそうだろ?」

「古い体育倉庫……開かずの間の中ですか?」


 彩女の言葉に司がうなずく。すると、彼女の表情がぱっと明るくなった。


「司さん、きっとそれです! 炎の五芒星の札はうちにあるのですが、儀式に使われたしめ縄がどこにあるのか分からなかったのです」

「う、うちにあるって……まあ、そ、そうか……」


 ”炎の五芒星の札”とかいう禍々しい名前のものが家にあるという。そんなことをさらっと言うあたり、やはり彩女の家は普通と違うんだなと、司は思い知った。


「炎の五芒星の札は、私の家にあるものの中で最も強い力を持つ秘術の道具です。

 それを使った儀式なら、無貌の狩人も封じられるかもしれない」

「本当か!? すごいじゃないか」

「ええ。今日さっそく家から札を取ってきます。明日学校に行ったときに、そのしめ縄を探しましょう」

「ああ、わかった。と言っても、まだ倉庫の中にあるかわからないけどな。玲二が持って行ってしまったかもしれない」

「それなら、斉藤くんを探し出すまでです」


 彩女の珍しく興奮した様子に、司は少し違和感を覚えた。

 ――果たして、本当にそんな都合よく解決法が見つかるものだろうか?

 そんな違和感に似た黒いを、司は胸の中から拭えなかった。




 司は一度家に戻って着替えなどをとってくると、再び彩女の住む神社を訪れた。

 もう一日うちに泊まるようにという彩女の提案に、当然最初は司も反対した。クラスメイトの女子の家に、それも二日続けて泊まるなどというのは気が引けたからだ。

 だが結局、危険だからという彩女の強い推しによって、またも司のほうが折れたのだった。

 彩女は生真面目すぎると司は思い、申し訳ない気持ちになった。だがもしかすると彼女も一人で家にいるのは寂しいのかもしれない。

 そんなふうに考えると、少しだけ気が楽になった。


 昼に見る山中の神社は、夜に見るそれとはまた違う表情をしていた。

 建物は手入れが行き届いているものの、築年数はごまかせないのだろう。ところどころガタがきているようだ。また、人のあまり訪れない山奥ということもあり、少し寂れた雰囲気も感じた。


 彩女は社の奥へと司をいざない、厳重にかんぬきのされた扉を開ける。そこには、この寂れた場所においてはひときわ豪華な金属製の大箱があった。


「この中に……炎の五芒星の札があります。

 これはうちの神社の中で最も力が強く、本当にどうしようもないときにしか使ってはならないと父に聞かされています」


 彩女はそう言いながらも、部屋の脇にある木製の小箱を無理やり壊して鍵を取り出す。その鍵を金属製の大箱の錠前に差し込み、何かの呪文のようなものを唱えながら回す。

 解錠された金属箱の蓋を、彩女はためらいもなく開いた。


「い、いいのかそんなもの使っちゃって……?」

「いいのです。これよりどうしようもない状況なんて、そうは思いつきません」


 金属製の大箱の裏側は、筆で書いたような書体の文字が敷き詰められていた。

 これも神聖なものなのかもしれない。だが、見た目としては実に禍々しい。


「これが、炎の五芒星の札です」


 彩女は金属箱の中から、名前の通り円で囲まれた五芒星の描かれた御札を取り出した。五芒星は歪んでいて、中央には人の目のようなものも描かれている。

 その絵を、司は前にもどこかで見たような気がした。そんな既視感に呆然としている司を横目に見て、彩女は何を思ったのか神妙に瞳を伏せてから言った。


「ここに書かれた五芒星は……エルダーサインとも呼ばれているそうです」

「エルダーサイン?」

「はい。これの起源は西洋の魔除けの術だと言われています。

 それをうちの宗派のまじないに応用したものが、この御札なのです」


 彩女は慎重に札の角をそろえると、封筒のような紙でできた袋にそれをしまった。


「……使い方によっては、魔のものを退散することも、逆に呼び出すこともできると伝えられています」

「退散、か」


 彩女は普段、こういう時は”祓う”という言葉を使う。だが、今回は”退散”と言った。

 つまり、これは彩女の知る宗派の教えに反しているのではないだろうか。

 だからこそ、よほどのことがなければ使ってはいけないものなのだ。

 司はそう納得しながら、彩女のほうへ顔を向けてうなずいた。


「これで、後は明日しめ縄を探すだけだな」

「そうですね」


 彩女は「それでは」と言って司のほうへ体を向け、微笑んだ。


「あなたは、客間で休んでいてください。お食事とお風呂のご用意をしますので」




 結局最後まで彩女のペースに押し切られ、司はもう一日神社の社務所に泊まらせてもらった。

 翌日の朝、司と彩女は昨日より早めの時間に登校した。


 その間、司はどうしても彩女のことが気になって――性格には、彩女の服装が気になって、彼女をチラチラと横目で見ては顔をそらしていた。


「あ、あの……なにか?」

「いや、その……」


 居心地悪そうな様子でおずおずと彩女に声をかけられ、司はしどろもどろになった。顔が熱を持ったように熱い。

 そのように照れまくりながらも、司はなんとか意味のある言葉を発した。


「えーと……似合っているな、それ」

「え……あ……ありがとうございます……」


 つられて彩女も赤面した。

 彼女が着ているのは白い小袖に鮮やかな赤の袴。華奢な体に後ろで結わえた黒髪とよく似合うその衣装は、巫女装束と呼ばれるものだった。


 本職なだけあり、さすがに着慣れた雰囲気だった。だが、本当に彩女はこの格好で学校に行くのだろうか。

 司がそのことについて尋ねると、彩女は「はい」と肯定した。


「この服装のほうが、わずかですが霊性が強くなるのです」

「そうか……彩女がいいなら構わないんだけどさ」


 そう言われては納得するしかない。だが、今日は休みとはいえ学校に誰もいないわけではない。この巫女装束は大いに目立つだろう。

 それに、司としても彼女の隣を歩くのは落ち着かなかった。夏祭りの浴衣や結婚式のウェディングドレス然り、女子の非日常的な装いは、男子としては意識してしまうものなのだ。


 巫女装束の彩女をつれて学校への道を歩くうちに、いつの間にか辺りの景色が暗くなってきた。空には、灰色の雲がかかっている。

 この様子だと、今日は一雨降るかもしれない。

 傘を持ってこなかったことを後悔したが、いまさら言っても仕方のないことだろう。

 そんなことを考えているうちに、司と彩女の二人は学校の裏門へと到着した。


「つきましたね。荒木くんも先に来て待っているかもしれません」

「ああ。時間が惜しいし、体育館へ急ごう。……雨も降ってきそうだしな」




 体育館に到着すると、すぐに大輔の姿は見つかった。どうやら先に着いていたらしい。さすがに毎日朝練に参加しているだけあって、朝は早いようだ。


「お、きたきた。なんだ、今日も二人一緒か。お熱いねぇ」

「例の札を探していたんだ。茶化すなよ」


 いやらしい笑みを浮かべて踏み込んでくる大輔に、司は肩をすくめた。

 そうは言ったものの、実際はほとんど彩女の世話になって客間でくつろいでいただけなのだが。


「ふざけていないで、早く行きましょう」


 彩女はぷいっとそっぽを向くと、足早に体育倉庫へと向かった。だが、その横顔は耳まで赤く染まっていた。


「……脈ありって感じだな、司」

「なにがだよ?」

「とぼけるなって」


 司と大輔の二人は、じゃれあいながら彩女の後に続いた。




 司、彩女、大輔の三人は、再び開かずの間を訪れた。

 もし扉が開かなかったときは鍵を壊すことも考えたが、予想に反して扉には鍵がかかっていなかった。


 部屋に入るとすぐに、三人は唖然としながら声を上げた。


「な、なんだこれ……」

「おいおい、勘弁してくれよ」

「……っ」


 開かずの間の中にある旧体育倉庫は荒らされ放題で、おとといまでは整理してしまわれていた備品が、めちゃくちゃに辺りへと散らばっていた。


 だが、そんなことは問題ではない。驚いたのは、その部屋の奥。


 ゴポゴポという、生ゴミが混ざって泡立った油の気泡が破裂していくような不快な音を立て、まるで部屋の空間の一部が引き裂かれたかのような奇妙ながあることだった。

 その歪みは、無貌の狩人が移動するときに発生するものに酷似している。

 いったいいつからこれがあったのか。無謀の狩人が出現したのはおとといだ。そのときからだとしたら、昨日騒ぎにならなかったのはおかしい。

 そもそも開かずの間は開かないものだと皆思い込んでいて、中を調べたりはしなかったのかもしれない。

 だが、だとしたらこの不快な音は――。


「この歪みの中から……恐ろしい気配がします」


 彩女はごくりと生唾を呑み込むと、恐る恐る歪みのほうへと近づいていった。


「お、おい彩女――」


 司が止める間もなく、彩女はそっと片手を伸ばして歪みに触れる。瞬間、その空間の歪みが禍々しく発光を始めた。


「――くっ!」

 うめき声を上げながら、彩女は手を引っ込めた。

 司が慌てて駆け寄る。


「彩女、大丈夫か!?」

「はい。私は平気……これを見てください」


 彩女が歪みのほうを指で示す。

 遅れて大輔も二人のもとへと近寄ってきた。


「なんだこれ……湖、みたいなのが見えるぞ」


 大輔が呆然とそれを口にした。

 その歪みは、まるで鏡面ように違う景色を映し出していた。

 洞窟の中のような、岩肌が張り巡らされた暗い空間。その空間の奥には、湖のような巨大な水たまりがある。

 体育倉庫の奥に、こんな洞窟のような場所があるというのだろうか。

 様々な疑問が頭に浮かんで、司は唸った。


「妙だなこれ、どうなっているんだ……?」

「――の魔術」


 司の言葉に彩女はうつむきながら、そう答えた。


「門って、なんだそれ?」

「いえ、確証はないのですが……。15年前の事件でも使われたと言われる、空間をつなげる魔術です」

「空間を、つなげる……?」


 理解がついていかず、司は彩女の言葉を復唱した。

 空間をどうとかいうのもそうだが、魔術などというのは、日常生活をする上で縁がなさすぎる。

 混乱する司の代わりに、大輔が声を上げる。


「な、つまり、ワープするってことか? 『どこでもドア』みたいに?」

「……どこでもドア?」


 彩女はなんのことかわからなかったようだが、気にせずに「そのようなものです」と答えた。


「マジかよ……」

 ここまで来たら今更かもしれないが、あまりの突拍子のなさに、またも司は呻くような声を上げた。

 すると意を決したように、もう一度彩女が空間の歪みへと一歩踏み出した。


「しめ縄は、ありましたか?」


 彼女は司と大輔のほうへ振り向いて言った。

 その言葉に、司は首を振った。


「いや、ないみたいだ。確かにおとといはここにあったんだが……」

「そうですか……少し心もとないですが、仕方ありません」


 そう言うと、彩女はもう一度空間の歪みの中へと、今度は勢いよく手を突っ込んだ。


「な、彩女、何やってんだ!?」

「……っ。私は行きます。この先に行けばっ……。なにか、手がかりが、あるかもしれない!」

「待て!」


 司は彩女の残ったほうの手を強く握った。

 彩女は驚いた様子で、びくっと大きく肩を震わせた。


「な、なんですか――?」

「俺も行く。……だから、手を離すなよ」

「わ、わかりました」


 司と彩女は、手をつないだまま空間の歪みの中へと入っていく。

 それを見た大輔が、慌てて後を追った。


「ま、待って――俺も!」


 そうして三人は、の中へと身を投げ出した。




 ――テケリ・リ。嘲るようなあの不快な声が、微かに耳に聴こえる――。




 空間の歪み――を抜けた先は、土と岩でできた地面と壁面、つららの下がった天井、そして奥には湖のような大きな水たまり。

 地底湖、あるいは鍾乳洞――そんな言葉が、司の脳裏に浮かんだ。


 門をくぐった三人とは別に、男がもうひとり湖の前に立っていた。

 豊丘村高校の制服に、よく見るタイプの短い黒髪。個性の乏しい顔は、漫画やゲームの主人公などでよく見る顔つきだった。


「玲二……」


 司と大輔は、どちらともなくつぶやいた。


「なんだ、お前たちも来たのか」


 三人の姿を認めると、歓迎するように両手を広げる。


「ちょうどいい。これから面白いものが始まるんだ。特別に、お前たちにも見せてやるよ」


 目の前の男――斉藤玲二は不敵な笑みを浮かべ、高らかにそう宣言した。

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