第18話 虚夢


 司、彩女、大輔の三人は玲二の机にあった日記を見るために図書室に集まった。

 内容が内容だけに教室で堂々と見るのは躊躇ためらわれたため、図書室の端の席を使うことにした。


 ノートは白地に罫線の引かれたシンプルなもので、玲二はそれに日々起きた出来事をなぞっているようだった。

 要は、日記というよりは手記というべきだろう。


「……私が調べるより前に、藍原さんが斉藤くんの机から見つけたのです」


 彩女がちらりと美波のほうを見た。

 司がその視線を追って美波のほうへ目を向けると、なぜか彼女は照れたように、にへらっと変な笑みを浮かべた。


 どういう経緯で美波が玲二の机を調べたのかは定かではないが、司は少し困っていた。

 見つけた本人とはいえ、ノートにはあの化物のことが書かれているのだとしたら、できれば彼女には見せたくはない。

 だが、その後の美波の行動は意外だった。


「それじゃ、邪魔しちゃいけないから私は行くね」

「え、あ、ああ……」


 またね、と美波は顔の横で小さく手を振った。それに対して、彩女がかすかに微笑みながら手を振り返した。

「いつの間にそんな仲良くなったんだ?」と司が聞くと彩女は、


「女同士の秘密です」


 そう答えて、口に指を当てた。

 気にはなるが、そう言われてしまったらこれ以上は詮索できない。

 苦笑しながら、司はノートのページに手をかけた。


「それじゃ、読んでみるぞ」


 仲の良いクラスメイトが、裏でいったい何を見て何を思っていたのか。そのような、まるで深淵に触れるような怖れを抱えながら、司はページを開いた。




 ノートの最初のページの頭には5月とだけ書かれていて、具体的な日付はなかった。

 毎日とか週に一回だとかの具体的な周期があるわけではなく、思いつくままに書いていったのだろう。

 ひとまずノートのページをパラパラとめくり、目に入ったところだけを読んでいくことにした。


 5月。

 天気は、俺の心を表すような曇り空。今日もきっと、雨はふらないだろう。

 先生からこの先の進路を聞かれた。俺の将来の目標……実感が湧かない。

 俺にまともな生活ができるとは思えない。したいとも思わない。


 読んでいる方まで赤面したくなるような内容である。どうしても直視していられず、思わずペラペラとページをめくっていた。

 すると、文の一部に不自然に黒く塗りつぶされた箇所を見つけて、司はその手を止めた。


 9月。

 天気は俺の嫌いな晴れ。しかも快晴だ。

 また進路を聞かれた。どこの学校に進学するかを決めなくてはならない。

 正直どうでもいいのだが、豊岡村高校の×××××の噂は気になる。学校の授業そのものには興味はないが、俺の目的のために入学しておいて損はないだろう。

 進路は決まった。


 2月

 天気は雨。流れる水は嫌いじゃない。

 予定通り、豊岡村高等学校への進学が決まった。

 偶然にも、荒木大輔も豊岡に進学することになったらしい。素直に嬉しいと思う。

 ともあれ、これで××についての調査も進展するだろう。もしかしたら、夢が叶うかもしれない。


 3月

 天気は××。まるで×××ようだ。

 ×××××はたしかにいた。×の痕跡が×った。

 そして×は出会った。無貌の狩人×力は素××しい。奴は×を認×た。

 俺×も大いなる力×××グラ×××黙示録か。




 結局、ノートの後半は一言一句すべて読んでいた。

 他にも無貌の狩人について言及されているものがいくつかあり、その手記は入学後も続いていた。

 読み進めるほどに文体は大人びていき、それに連れて虫食いの文字と狂気じみた雰囲気が増して言った。

 最後の方は、殴り書きに近かった。ほとんどが黒塗りで潰されていて、その濃い黒色は、視聴覚室や体育館の壁で見た人の形の影を連想させる。


「……これって」


 司は呆然としながらつぶやいた。

 これが本当に玲二の書いたものなら、無貌の狩人との関わりがあることは明白だ。

 どういうわけかほとんどが黒く塗りつぶされて虫食いだが、最後に書かれているのはグラーキの黙示録のことではないか。


「なあ、無貌の狩人って……お前たちの言ってるアレだよな?」


 大輔のその言葉に、彩女がうなずく。

 彩女は顔を青くしながら、ノートのページをめくって何度も日記を見直していた。

 それを見て、大輔はがっくりとうなだれた。


「そんな……玲二があの妙な出来事に関わってたって言うのかよ……」


 そうつぶやく大輔に対して、司は言葉を返せないでいた。否定したいが、できない。

 封印されていたものが突然蘇ってきたからには、何か理由があるはずだ。

 時間が経ったら劣化するものなのか、あるいは誰かしらが封印を解いたのか。

 無貌の狩人も怖ろしい化け物だが、彩女やその母親が持っていたという力だって人知を超えたものなのだ。それが10年やそこらで解けてしまうのなら、彩女の母親はなんのために命を賭したかわからない。


「……とにかく、玲二の足取りについて、もっと調べてみよう」


 玲二は本当は関係なくて、この日記だって誰か別のやつが書いたのかもしれない。そんな一縷いちるの望みを託してこう提案することしか、司にはできなかった。




 しかしその望みはすぐに、あっさりと絶たれることになる。

 司と彩女と大輔の三人は、斉藤玲二の住むアパートに来ていた。

 両親とは別居しているらしく、兄弟もいない。玲二の家庭環境がどんなものかはわからないが、彩女に負けず劣らず孤独な日々を過ごしていたのかもしれない。


 玲二の部屋の鍵は、彩女がアパートの大家さんに頼み込んで借りることができた。他人とコミュニケーションを取ることが得意じゃないという彩女だが、こういう大事なとこでの迷いのなさと行動力は頼もしい。


 部屋に入ると同時に、彩女は口元を抑えて「これは……」と呻きながら言った。


「どうかしたのか、彩女?」

「はい。なんというか……かすかに、だけどとても濃密なの気配がします」


 普段は悪霊などのことを”穢れ”と呼ぶ彼女が、”魔”の気配と呼んだ。

 つまり、この部屋から感じる気配は、ただの幽霊などではないわけだ。


「魔の気配って、あの体育倉庫と似ているものか?」

「はい。そういう異質な気配の残り香のようなものを、この部屋から感じます」

「……そうか」


 彩女のその言葉によって、司の中では玲二とこの一連の怪異との間に関連性があることは、ほぼ確実なものになっていた。

 今この異常な状況の中では、彩女の感覚は目に見えるものより信頼できることを、無貌の狩人からの逃避行の中で司は知った。


 ちらり、と大輔のほうに目を向ける。彼は相変わらず青い顔をしていた。昨日よりも、少しやつれたような気がする。

 大輔も司の方へと顔を向け、ぎこちない笑みを浮かべた。


「な、なんかの間違いだって。いや、玲二にも事情があったんだよ」


 大輔は親友の玲二がこの一件に関わっていることがまだ信じられない、信じたくないのだろう。

 司は大輔の困惑した口ぶりに、胸が切なくなった。


 玲二の部屋にある物はそれほど多くはなく、目につくものは小さな棚に並べられた洋楽のCDくらいだ。デスクトップのパソコンはあるがテレビはなかった。大きめのスピーカーが備え付けられているため、CDの音楽はこのパソコンを通して聴いているのだろう。

 いまどきCDを買うのは珍しいが、玲二はそういうものに、こだわりがありそうな印象がある。それは、司と玲二のどこか似ている部分でもあった。


 部屋を眺めているうちに、床の上に投げ捨てられている、ケーブルのついた黒い箱状のものが目に入った。


「これ、外付けハードディスクだよな?」


 司が黒い直方体の機械を拾い上げて振り向くと、少し困った顔をして唇を結んでいる彩女と目が合った。


「わ、私は、機械のことはぜんぜん……」

「……まあ、だよな。大輔、そこのパソコン使える?」


 大輔はうなずくと、当然のようにパソコンのスイッチを入れた。

 今更だが、玲二の部屋のものを勝手に使ってしまっていいのだろうかと心配になった。


「へへ。前にこれ使わせてもらったときに、パスワードは聞いているからな……ほら、通った」


 やはり当然のように大輔はキーボードを叩いてパスワードを入力し、玲二のユーザー名でログインしてしまった。

 本当に大丈夫なのだろうかとますますに不安になる。

 だが、と司は肩をすくめた。


「……そんなことも言っていられないか」

「ん、司なんか言ったか?」

「なんにも。後は俺がやるよ、貸してくれ」


 司は大輔に変わってパソコンの前に座ると、外付けハードディスクを取り付けて、マウスを操作して中のデータを開いた。

 そんな司を、彩女は落ち着かない様子で眺めている。


 しばらくデータを漁った後、あるファイル名を見つけて司の手が止まった。


 ――無貌の狩人について。


「これだ」

「……まじかよ」


 はっきりとした手がかりが見つかりそうな手応えに、司はぶるりと震えた。

 大輔の声も少し震えていたが、司とは違う理由だろう。


「これが……」彩女も理解したようで、パソコンの画面を食い入るように見つめる。


「このテレビに映っている資料は、無貌の狩人の……」

「モニターな。ああ、中を見てみるぞ」


 司はファイルを選択して、テキストを表示した。




 ”無貌の狩人について”

 無貌の狩人は亡霊を操り、大いなる知識を持った不死の存在だというのが浅木のおっさんから聞いたことだ。詳しい内容はこうだ。

 かつて、繝サ髢矩%蜈という魔道士がいた。彼は古の知識を求めてクォ縺後>繧に接触しようとした。

 その魔道士は不死の存在となるため、自ら縲√え繝に接触した。グラーキの黙励h縺を手に入れたことで、自らの意思と知識を保ったまま不死の存在になる方法を見出したらしい。

 そうして完全無欠の存在となった彼は、古の知識を求めて、∬=繧峨げ繝の住処への門を作った。その門がある場所が、豊丘村高校だ。

 だが、彼はそこで封印だれだ。謗・隗ヲ縺励◆縲ゅげ繝ゥ・

 菫昴▲縺溘∪縺見ているのは肴ュサ縺ョ蟄伜惠ゅ

 縲繝サ縺昴≧縺励※辟。谺縺ョ蟄伜惠縺ィ縺ェ縺」シ縺ッ縲∝商縺ョ遏・隴声が倥r豎ゅa縺ヲ繧ヲ繝懶声が

 声が、声、声、声声声声縺ェ声声縺ェ縺ェ声縺ェ縺縺縺縺

 縺ッ蟆∝魂縺縺ェ輔縺ェl縺溘縺ェやヲ窶ヲ雎縺ェ雁イ。譚鷹ォ倡ュ縺ェ牙ュヲ譬。縺ョ蝨ー縺ェ縺ェ荳九↓縲・




 背後から、何か嫌な気配を感じる。

 彩女が、司と大輔の袖の裾を握った。


「……私がいいと言うまで、振り向かないでください」


 有無を言わさぬ口調でそう言った。

 袖を掴む手が、少し強くなった。


 そうして三人でしばし息を潜めた後、彩女が安堵の息を吐いた。


「もう大丈夫です」


 司と大輔も、つられて肩をなで降ろす。

 恐る恐る後ろを振り返り、何の変わりもないことを確認する。


「なんだったんだ、今の嫌な感じは」

「いえ……」


 彩女はそれには答えずに、部屋の入口の方へと向き直る。


「……あまり長居しないほうがいいかもしれませんね。片付けたら、早くここから出ましょう」


 彩女は早口にそう言った。パソコンの画面を見ると、先ほどまで読んでいたテキストは消えていて”ファイルが壊れているため開けません”という文言だけが表示されていた。


「炎の、五芒星……」

「ん、なんか言ったか、彩女」

「いえ、とても有力な情報を得られたと思いまして」

「そうなのか。半分くらい文字化けしていたじゃないか」

「文字化け……?」


 文字化けとは本来あるべき文章が意味のわからない文字や記号の羅列になることだ、と司は彩女に簡単に説明をした。

 すると、彩女ははてと首をかしげた。


「私には、そうは見えませんでしたよ? そういえば、テ……モニター、から妙な気配は感じていましたが」

「うへ、マジかよ彩女ちゃん。俺もほとんど文字化けして見えたんだけど」


 司はもう一度ファイルの内容を確認しようとしたが、やはり開くことができなかった。

 こうしていても仕方がないと、三人はハードディスクをもともとあった場所に戻し、玲二の部屋を後にした。


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