第16話 闇夜と月光
司が寝ている間、一晩中見張りを続けると言い張る彩女。
司はひとまず率直に進言してみることにした。どのような答えが帰ってくるかは、予想がつくのだが。
「いやさ、彩女も寝なよ。疲れているだろ?」
「平気です」
「知ってた」
司はため息をついた。
試しにじっと顔を見つめてみると、彩女の目が泳ぐ。なんて分かりやすいのだろう。
「……本当に?」
「……。すみません。その――少しだけ、辛いです」
司が詰め寄ると、彩女は観念したように言った。
頬を少し赤く染めながらうつむく。今度は彩女がため息をついた。
「でも、もしものときのため……。私が起きて、相手の気配を察知しないと……」
「何か起きたときに疲れ果てていたら、それこそ意味がないじゃないか」
「そ、それは……だけど……」
彩女は口ごもっている。もう少しだ。もう少しで、直線的でそこそこ堅い彼女の牙城を崩せる。
「彩女が起きてるなら、俺も起きてる」
「な、司さん……」
「たしかに俺は君みたいな力はないが、一人よりは二人のほうが確実だろ?」
「だ、だめです! 司さんは寝てください!!」
司は「なんでさ?」とわざとらしく尋ねた。
彩女がうつむいたまま首を横にふる。彼女の長い髪は、頭の動きに合わせてさらさらと揺れた。
「私は、司さんには辛い思いをして欲しくありません……」
「それは俺も同じさ」
やや強めの口調で司は言った。うつむいた少女の瞳が、少し潤んだ。
「俺だって、彩女に辛い思いをさせたくないし……。さっきも言ったけど、何か起きたときにお互いへとへとじゃあ困るじゃないか」
「……っ」
彩女は一転、真剣な表情をして考え始めた。二人が寝なかった場合のリスクを考えているのだろう。
そういうことじゃなくて自分をいたわってくれ。と司は言いたかったが、すぐにはわかって貰えそうにないから口には出さないでいた。
しばらく考え込んだのち、彩女が口を開いた。
「……仕方ありません。私も、今日は眠ることにします……」
「よろしい」
司はうなずいた。これで一安心だ。
正直な話、無貌の狩人がここまで追いかけてきたとしたら、今度こそ終わりだと思う。
前回襲われたときも、ギリギリだったのだ。これ以上消耗した状態では、それこそ司が囮になって彩女を逃がすとか、そんなことしかできなくなる。
ならば、多少リスクを負っても休まなくてはならない。
そうして司が一息ついたところで、彩女が部屋にもう一つ布団を敷いている姿が目に入った。
「ん、彩女……何して……」
「……? 私が寝るための、布団の準備ですが……」
可愛らしく首を傾げる彩女。司は驚きにケホケホとむせた。もし飲み物を飲んでいる最中なら、思い切り吹き出していたに違いない。
「あ、彩女……まさか、ここで寝るのか?」
「そうですが……? あっ」
それがどんなことか気づいたのか、彩女はボッと真っ赤になった。
彼女は言い訳するように、わたわたと話し始める。
「わ、私だって、こういうのははしたないと思いますが、でも、こうして警戒していないと、もし司さんが――」
「お、落ち着け。わかったから……」
目を回している彩女を司がなだめる。彼女はまだ息を乱しながら、顔をホカホカと火照らせているが、ひとまずは落ち着いてきたようだ。
少女はため息をつきながら、改めて口を開いた。
「……なので、何かあったときに対応できるように司さんと同じ部屋で寝ます。
それに、できるだけ浅い眠りにとどめておくようにしておきます。……ですが、もし司さんのほうが先に目覚めたなら、どんなことをしてでも私を起こしてください」
そう言って襦袢姿の華奢な少女は、どこから持ってきたのか警策――座禅修行に使う
司は訝しげに、少し嫌な予感を感じながらその棒を受け取った。
「これ、なに?」
「私が寝ていたら、その棒で
「そんなえげつない起こし方はしない」
彩女のむちゃくちゃな提案に、司はため息をついた。
「んなことしないで、普通に肩でもゆすって起こすよ」
とは言うものの、それですら司にとっては少し気が引けた。
襟元から覗く彩女の肩は、触れると壊れそうなほど細い。
襦袢に身を包んだ少女の姿は普段より神秘的だった。いつもは気丈に見える彼女の整った姿勢でさえも、今は儚さを感じる。
司はそんな彼女の肩に触れるだけでも、ドキドキして落ち着かなくなるだろう。
そんなことより、だ。司はそう頭の中で唱えて煩悩を振り払った。
彼女の肩を揺すって起こすどころの話ではない。まず、これから一緒に寝なくてはならないのだ。そのほうが、よっぽど大きな問題だった。
「なあ、本当に同じ部屋で寝るのか……?」
「だって……仕方ないでしょう……?」
彩女は羞恥の表情で顔をそらす。その所作は妙に色気があり、司は悶えそうになって小さく唸った。
そんな司の様子には気づかず、彩女は寝床の準備を進める。やがて、部屋にもう一枚の布団が敷かれた。
広くはない部屋のスペースを十分に使って、くっついているわけでもなく、端と端というわけでもない、近すぎず遠すぎずの距離感で、二つの布団が並んだ。
「そ、それじゃあ、司さん……」
「あ、ああ……」
微妙な空気になりながらも、二人はそれぞれの布団に入る。彩女が天井にある電光の紐に手を伸ばし、部屋の明かりを消した。
畳部屋を夜の闇が包み込む。真っ暗になった部屋の中では、月明かりだけが眩しい。
「おやすみ、彩女……」
「はい……おやすみなさい」
隣で彩女が、布団に入り込む音が聞こえた。
今日はいろいろありすぎて、司の心と体はすでにくたくただった。だが、やけに目は冴えている。
和室の大きなガラス窓の外では、木々が揺れてざわめく。葉のこすれる音に混ざって聞こえる虫の鳴き声は、バッタの仲間のものだろうか。
聞き慣れたそれらの音も、このようなシチュエーションだととても尊く神聖なものに聞こえる。
神社の境内で寝るというのは、司は初めての経験だった。
なにより、隣には同年代の少女が横になっているのだ。それを意識すると、どうしても眠りにつくことができない。
そうやって眠ることもできずに司が悶々していると、隣から微かな声が聞こえた。
「……起きて、いますか?」
ささやくような声が聞こえ、司は隣で横になっている彩女のほうへと顔を向けた。
すると、同じくこちらへと体を向けていた彩女と目が合い、司はどきりとした。
「起きているよ。なんか寝付けなくてさ」
「……私もです」
いつ無貌の狩人や配下の悪霊に襲われるかわからない。その不安から、なかなか寝付けないのだと彩女は訴えた。
「……そっか」
「それに……隣に、あなたがいると思うと……」
なんだか緊張して眠れない。彩女はそう続けた。
月明かりに照らされて、少女の寝間着と白い肌が、淡い青に光る。静かで少し冷たい境内の空気が、彼女の儚くて強い
司は苦笑しながらうなずいた。
「俺も、そんな感じだ。やけにそわそわする」
「あの……司さん」
彩女が照れたように微笑んで、瞳をこちらへと向ける。
二人で目を合わせたまま、少し間を置いてから彩女が言葉の続きを発した。
「少し、外の空気をすって来ませんか? ……」
「――そうだな。行こう」
二人は、布団から起き上がる。
すでに暗闇に目が慣れていたため、明かりをつける必要はなかった。
代わりに、はぐれないように、狩人から逃げるときと同じように、自然と手をつないだ。
彩女は唇をきゅっと引き結んで、少し頬を染めながらうつむいた。彼女のこの表情は、照れているのを隠そうとしているものだと、今になって司は理解した。
そう思うと、なんだか可愛らしくて司は微笑んだ。
「じゃあ行こうか。彩女」
「はい。……案内、しますね」
彩女に案内されるままついていくと、やがて神社の縁側にたどり着いた。
本坪鈴のある神社の正面から脇に少し入っていったところにあるこの場所からは、木々が開けていて夜空と月がよく見えた。
周辺には、しめ縄のかかった大木、飛び石の道と草むら。
虫の音にまぎれて、かすかに水の流れる音が聞こえる。
白い襦袢の裾を抑えて、彩女は縁側へと腰掛けた。
「お座りください」と言って、手で司を隣へと招く。
「……いい場所だな」
司は彩女の隣に、肩が触れないくらいの距離に腰を掛けながらつぶやいた。
すると、彩女は腕が触れるくらいまで司の方へと近寄ってきた。
どうやら、遠慮する必要はなかったらしい。
「はい。いい場所です。とても……」
彩女は、何か懐かしいことを思い出すように目を細めた。
「川が近いので……もう少し日が経てば、ホタルも見えるようになりますよ」
「へえ」
「眠れない夜は……よく父に連れられて、ここで風に当たっていたのです」
隣で微笑む少女の長い髪を、夜風が軽くなでた。
彼女にとって慣れ親しんだ場所。この場所そのものが、二人のことを歓迎してくれている。そんな気がした。
その心地よい空気を、司と彩女はしばし無言で楽しんだ。
やがて風が吹き止み、静寂が訪れたとき、彩女が口を開いた。
「あの……司さん。私、あなたのことをもっと知りたい」
「俺のこと?」
「ええ。たとえば……」
その後は、二人で時を惜しむように語り合った。
司が自分の好きなことや子供の頃の話をする。他の人には煙たがられる趣味の水槽の話も、彩女は真剣に、興味深そうに聞いてくれた。
続いて、彩女のこれまでの話。
白山の家に生まれた彼女は、今まで神社の切り盛りの手伝いをしたり、武術の稽古として父親にしごかれたりするばかりで、ろくに友達も作らなかった。
幼い頃から霊魂を見るちからと、穢れを祓う力――白山の巫女の末裔としての力を持っていたが、それは歴代の巫女の中では弱いものだった。
その上、前に無貌の狩人が起こした災いによって生き残っているのは彩女だけになってしまった。だから、実質的にその血は途絶えてしまった。
そんなふうに自虐的に言う彼女を、司は「まだ君がいる」と慰めた。
「でも……ただでさえ能力が劣る私が生きていたところで、いずれ血は薄まってしまいます」
「家柄ってそういうものじゃないだろ。その名を継いだものが、まだこうやって生きている。そのことが大事だ」
「いいえ。きっと、それでは許されない!」
興奮気味にそこまで言った後に、彩女ははっと我に返った。
司に向き直って「でも、そう言っていただけて、少し気が楽になりました」と言って微笑む。
司には、彼女が無理に笑っているように見えた。だが、今はそれを掘り下げるべきではない。彼女にとっても、たぶん辛いだけなのだ。
「この学校に来ることを、父は反対していました」
少し時間をおいて、彩女がぽつりと言った。
「私は、この学校に入学できれば、15年前の事件のことも……母のことも、もっと知ることができると思ったのです。それに……」
彩女は自嘲するように口元だけで笑った。その瞳は、悲しげに揺れていた。
「まだ学校に危険が潜んでいるなら、私がなんとかして見せるって……そう思っていたのです」
思い上がっていた、と言って彩女は首を振った。
司は「そんなことはない」と彼女の背中を叩いた。
「彩女は強いよ。俺たちが束になっても敵わないかもしれない。現に、俺は彩女に助けられてここにいるんだ」
「司さん……」
彩女は笑顔を見せた。今度は、司が視線がつい釘付けになってしまったくらい、とてもいい笑顔だった。
彩女はふうっと気持ちを落ち着けるように息を吐いてから、続きを語り始めた。
「そして父と決闘して――」
「――決闘?」
「はい。決闘して、諦めずに何度も挑んで、最後は父のほうが折れたのです」
何かすごいことを言っている気がしたが、司は、そこもあまり深くは追及しないことにした。
「そうして豊丘村高校への進学が決まった私は、学校の中でも邪気の強い場所を調べ始めました」
「体育倉庫とかか?」
「はい。他にも数箇所。そうしているうちに、だんだんと……私が相手にしようとしているものが、どれほど大きな存在だったのかを思い知らされました」
触れた肩を通して、彩女の震えが伝わってくる。
彼女は自分の体を抱くようにしながら、揺らぐ声で話を続けた。
「無数の悪霊、嘲るように笑う不定形の魔物、そして……」
少女の声に、少しずつ恐怖の色が混ざり込んでいく。
「”時すらも超える門”」
怯える瞳は焦点を失い、恐怖は、徐々に狂気へと形を変えていく。
「彩女」
司は再び、彩女の背中をさすった。
そうすると、彼女の震えが少しずつ収まり、瞳に穏やかさが戻っていく。
「ありがとうございます。……司さんは、紳士ですね」
「うぐっ。そう言われると、なんか妙に恥ずかしい……」
司が呻きながら言うと、彩女はくすくすと笑い声を浮かべた。つられて司も笑った。
「たぶん……私しかいない、私がやらないと……そんなふうに、ずっと自分に言い聞かせていたのだと思います」
司はうなずいた。やっと、彼女自身がそれに気づいてくれたのだと、そう思った。
「やがて私は、責任感と恐怖から、だんだんと……狂気に飲まれていきました」
彩女はそう独白する。学校が始まる前から調査をしていた彩女は、おそらく入学式の頃にはもう、精神的に限界が近かったのだろう。
彼女の話を聞いてて、そう感じた。
「……でも今は違う?」
司がそう尋ねると彩女は、はにかむような表情を見せてうなずいた。
「――あなたがいる」
照れ隠しに、司は肩をすくめる。
「でも俺は、そんなたいしたことできないぞ」
「……それでもです」
彩女は目を閉じて、大切なものを抱きしめるように、胸の上に手のひらを置いた。
「それでも、あなたが力を貸してくれるというだけで、安心できる。
一人は……とても心細いのです」
ぽつぽつと、少しずつ見えてくる彼女の弱さと強さ。
そうして自分をさらけ出してくれることが、司はとにかく嬉しかった。
「なんか、私ばかり変な話をしちゃいましたね。少し、冷えてきました……そろそろ寝ましょうか?」
「――ああ。俺も、ちょっと眠くなってきた」
何を思ったのか、彩女が嬉しそうに微笑んだ。
彼女は司の手を握ると、ゆったりとした、美しい所作で立ち上がった。
「戻りましょう。……明日は学校に行くので、今のうちに体を休めておかないと」
「ああ。このまま閉じこもっているわけにはいかない。なんとか無貌の狩人の件を解決する方法、見つけないとな」
そうだ。もう知らん顔して見過ごすことはできない。
彩女のためにも、この一連の怪異の解決法を見つけよう。そう司は決心した。
「はい……頼りにしています」
「ああ。もう、明日からは彩女は一人じゃない」
司は決意を新たにした表情で、彩女は涙ぐんだ顔で、二人はうなずきあった。
この時の二人はまだ、知らなかった。
自分たちがどれほど人智を超えた怪異に巻き込まれているのかを。
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